当たり前に自分はサグラダ・ファミリアでもなければアントニ・ガウディのような知見があるわけでもない。
努力だってむしろしたくはない方だ。
南の島でゆっくりしたい(笑)
なのに...ましてや結果に遠回りと言えるようなトレーニングだったり、資格だったり、何のためだかわからないような準備を整えるのは「どうしてなのか?」
日頃あまり考えたりせずに進めて行く方なんだけど...
こうやって一息ついて考えてみるならば...
そりゃもう「完成していない」からでしかない。
いや、完成後の姿さえわかっていないものを
「完成させようと」しているんだろうけど...
実際は
「ずっと完成していないまま」なのだ(笑)
こういったルーティーンに覚醒したのは21年前にもなる。
最初は...
よく覚えていないが...
ともかくなんだか...
「今のままじゃ駄目だ」...と思ったから...だったと思う。
かといって「どんなんが良いものか?」見当もつかなかったので...
もう思いつくこと、やれること、手あたり次第に...
なんだかやってきていたんだろう。
五か年計画とか言っちゃってるけど、事前には実はそれほどの計画があったわけじゃない。
「大体五年後にはこうなっていたいなぁ...」
ぐらいのものだ。
それで死ななきゃ五年経つ。
計画というか目標が低いせいか...
案外到達していたりする。
でも...それで終わらないのだ。
「もうちょっとどうにかなるかな?」
そしてまた五年...
で、また同じように五年...
ついには21年で、「期限だけは」念願のゴールまで続けられたというのに...
ゴールに「次」なんてないはずなのに...
また新しい一歩を踏み出している。
これはコロナのせいばかりじゃないだろう。
冒頭の例よろしく...
きっと完成してしまうなら...
それこそがゴール。
本当の意味の「終わり」であって、それは人間で言う、今大流行りの「death」に等しい...ってことのような気がする。
有難いことにまだ「death」じゃあない。
この先途中で意識を失ってしまえば別だけれども...
とりあえず意識のあるうちは
ゴール
にはならないのかもしれない。
ジブリ作品で一番好きなのは「ハウルの動く城」なんだga...
きっとあそこにも
「未完成だからこそ...”動き続ける”...」
ってな思いがあるような気がする。
”完成”は...ある意味「終わり」
もうそれ以上にも以下にもどうにも変わらない。
異常なほどに「安定はしている」けれども...
小さな芽吹きの変化すらない。
何の変化もないのだから...退屈といえば退屈な状態だ。
嗚呼...
そういやそう確信して前職は辞めたんだっけ(笑)
じゃあ、「不安定」という自分が求めていた道?を歩んでいるだけなんだ。
未完成?不安定?は悪いこと?
未完成、不安定だかこその充実ってのがあるような気がする。
「あしたのジョー」の魅力もそんなところのような気がしてきた。