「成りたい願望」と「現状の行動や思考」が乖離しているのが下人。
自分にとっちゃあ父親は、まさにその象徴。
服も脱ぎっぱなし...
どころじゃない。
扉も開けっ放しで、「閉める」とい動作を知らない。
もちろんご飯も食べっぱなし。
「時代がそうだから...」
ではない...
ドアの扉ぐらいは....普通は開けたら閉める。
冬なんて寒いので。
なのに...それさえも...”しない”のだ。
「どうして?」
なんて私にわかるはずがない。
まあ予想出来るのは...
扉の開閉が必要のない家に暮らしていたか...
誰かが閉めてくれる家だったんだろう。
恐らく...
両方なんだけれども...
また...そのあたりの「だらしなさ」を指摘されると...
まずは...直そうとするどころか...
面白くもないジョークで誤魔化そうとする。
もちろん誰も笑わないのだけれども...
そうなると急に不機嫌になり...やがて烈火のごとく怒り出す。
怒りだすと...その感情は止められず...「俺は仕事を一生懸命やっているんだ」と...
指摘とは全く関係のないところまで火の粉は散らばって....
挙句...家を飛び出して行ったりしてしまう...
何度も見てきた。
何なんだろうあの激情は...
馬鹿なのか...
原始人に極めて近いのか...
その”がさつさ”を...男らしい...とでも思っているのか...
そんな...”基本的”なことも出来ないクセして...
仕事は出来るはずもないのだが...
誰にも見られるものではないのをいいことに...
「相当にデキる人間である」ように”家族には”自慢してきた。
そして、それを認め、感謝しないと...
「お前らは誰のおかげで飯が食えると思っているんだ」と....
やっぱり激情した。
確かに...「食わしてもらっていた」ので...
まあ、そうなった時は...黙るしかなかった。
小さな頃に流行った”ゴジラ”を真似てるんじゃないのか?とか思ったりもするぐらいにしょっちゅう吠えていた。
他人事じゃないのだ。
こうして冷静に振り返ってみれば...
そこまで酷くはないけれども...
自分(私)もそのDNAは持っている。
若かりし頃はしょっちゅう爆発していたし...
気が付いてからも抑えられない衝動にかられたことも何度もある。
DNAのせいにばかりしちゃいけないんだろうけど...
幼稚な人間性は「ちゃんと遺伝した」ということだ。
ここも自分の課題ゆえに...
「少しずつ」だけれども...年々と抑えられるようにはなっている。
それは「親父からのDNAを削ぎ落す」
という使命感とは違って...
そんなに感情的になっていては...「幸せ」や「成功」なんてあり得ないからだ。
「もう一歩」「あと一歩」どころじゃない。
事の入り口でカっとなって、それを収められずに...
どれだけの事柄を出足早々台無しにしてきたことか...
父親は「幼稚な人間性」なんて指摘されると...今でもすぐに激情する。
「低い評価」を感情を抑えて受け入れることが全く出来ない。
自分(私)は...「見抜かれている」と納得する。
ようにしている。
しなきゃいけないと言い聞かせている。
その”分岐点”で人生は大きく変わる
と思うようになったから。