前回、「”ささやかな”努力」に目を向けられるようになってきた。
と書いた。
この三年ほど...「この一言」を言いたかった
...んだが...
なかなか出て来なかった(笑)
これ、コレ。
多分...色々と考えあぐねてきた結果...
これが...”若い頃まで”、いや、「40歳までとは」とは
「全然違ってきたところ」だと思う。
「大きいことはいいことだ」...なんてのが流行った幼少期だった。
美空ひばりや田中角栄や長嶋茂雄などの...いわゆる”天才肌”がもてはやされた時代だ。
みみっちい努力家...は恰好悪く...ダイナミックな活躍の出来る天才肌がヒーロー像だった。
ガリ勉君も見下げられていた。
映画でも...「トラック野郎」や「仁義なき野郎ども」の方が上だった。
東大生より暴走族のリーダーのが憧れられた。
「恰好いい努力」ならともかく...机にしがみつくような”みみっちいような努力”は...結果だって”みみっちく”...「せこい根性の持主」であるようで...妙に蔑まされていた...気がする。
現実はそうでもないのだろうけど...いわゆる”空気”が。
子供は所詮子供。
深くは考えられない。
空気の方にうんと影響を受ける。
それに加えて、子供以上に「深く考えられずに世間の空気の影響を受ける」家庭だったのだから...
ま、空気感は増幅したのだろうね。
父親も祖父も見栄っ張りでエエ恰好しいだった。
「恰好悪いこと」はしたくないので...みみっちい努力なんて...するはずも、した形跡も、なかった。
自分も...しっかりと血をつないでいた...ってことなんだろう。
「ささやかな努力」に気が付かなかった...のではなく...
あえて「否定」し、手をつけようとしなかった。ぐらいだ。
すれば当然「やれば出来るのに...」...だって...いつまでたっても「出来るはずもない」のだ。