小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

不惑の年

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自分じゃこれでもその都度多少は整理整頓しながら....

完璧じゃあないけど、それなりに環境も考え方も精選しながらやってきているつもりなんだけど....

所有物を見てみると、そうじゃないことは一目瞭然だ。

こうやって書いているのとは大違いに、迷いに迷い、いや、彷徨いに彷徨って、いまだに未練たらたらなものを捨てきれずに所有しているということは....

諦めきれずにひきずっている...という証拠でもあるんだろう。

 

「もったいない」

という気持がみっともないとは思わない。

それも間違っていないし、悪い選択でもない。

意外な場面で再び脚光浴びたり、直して使えて重宝したりする。

 

が、例えばランドセルを二度と背負わないように...

電卓どころか表計算ソフトが当たり前の時代にそろばんで実務を行わないように....

おそらく、もう二度と、使わない道具もある。

 

いやいやそういったものも....というノスタルジックな話じゃない。

より前に進んで行き安い態勢作りを考えているわけだ。

 

整理整頓しながら進んできた...と言うものの、自分の脳みそを本棚に例えるなら...

もう今じゃ完全に趣味から外れてしまっていたり、好きでもないし、二度と読まないと思えるものまでとってある。

もう何十年も読まずに、保有していることさえ忘れているのに、とってあったりする。

んじゃないのか?

必要のないものがけっこうぎっしり残っていて、

必要なものが見つけられなくなっていたり...

後ろ髪惹かれる思いにかられて、新たな一歩を踏み出せなくしている....ってことはないのか?

 

昨日街中で、若かりし頃自分がしていたようなファッションの方を見かけた。

年齢も自分と同世代のようだった。

どんな格好しようとご自由なんだが...

正直おかしい。

おかしかった。

若い頃に戻っているように見えて羨ましい...んじゃなく、随分とおかしい...としか見えなかった。

 

多分...自分が着てもそういうことなんだろう。

 

身につけるものばかりじゃない。

今”そこ”に執着したり、今”そう”考えること自体、この年齢になってしまうと随分と似合わないものも増えているってことだ。

 

なんていうのかな?

幼虫のまま飛ぼうとしたらおかしいだろうし、成虫になっているのに土の中に戻ろうとしたらおかしいだろうし...

それぐらいのズレは生じているというか、それぐらいの年月は経っているんだろうな、と。

 

若さは維持したいし、老け込むつもりもないが...

それがために「みっともなくなっている」ってのに気が付かないってのも...

 

気がつきゃけっこう早くに時は過ぎていて...

あっという間に三十年過ぎていた....なんてことも少なくない。

三十年前の”意識”が似合うってのも難しいだろうし、通用するってのも....おかしいはずだよな。

 

そこらあたりの整理整頓は難しいんだろうが....

さらに前進してゆくつもりなら...

必要なんだろうなぁ....

 

一体いくつになったら不惑の年に至れることやら(笑)....

ま、こんなもの

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自分が先回のように人生を考えるのは....

多分、”後悔”、が多いからなんだと思う。

現実の世界じゃや、あるものを無かったかのようにヒタ隠しにしてはいるが....(笑)

 

”後悔”は極力思い出さないようにフタをしているつもりぐらいなので...羅列したらばキリがないぐらいは出てくると思う。

 

誰だってそう、とか、そこには関心がない。

基準は「後悔したってやり直しは出来ない」という現実の掟だけ。

いや、後悔は消せないが、薄めることは出来るとは思っている。

それが”今を含めた未来の”行動だ。

 

何百万回誠実に後悔したところで後悔は濃くもならないが薄まることもない。

どうしたってやり直せない過去のことなので、「同じ状態のまま」だ。

なので、そこに努力するのはまさに時間の無駄。

このブログでも何度も自分に戒めている。

 

しかしながら、未来の行動なら何をやっても身になるものじゃない。

公序良俗に反するようなもの....でも案外実を結ぶモノはあったりするかもしれないが、やぶれかぶれや目標の定まっていない四方八方の努力はマイナスさえ引き起こす。

頑張りゃ頑張っただけ成功とはほど遠いものにもなったりする。

恋愛なんてその典型的な例かもしれない。

 

だから...考えたり、わきまえたりすることが大切なんだと思っている。

そして「後悔」はきっとその時の一つの辞書になっているんだろう。

「おっと...これはやめておいた方がいいよな」ってな具合に。

 

迷った時は「やらないこと」よりも「やっておくこと」に決めている。

迷った時は「言うこと」よりも「言わないこと」に決めている。

他の人は知らない。

自分は経験上その方が吉と出ると感じているからだ。

 

最近の世の中を見ていても「やっておきべき」だったのに「やらなかったこと」、

「言わない方がよかった」のに軽々しく「言ってしまった」ときに災いは起っているような気がする。

ま、人様のことに言及出来る立場じゃないんだが...

 

もののけ姫」という映画で、主人公はタタリ神からの呪いを受けてアザが出来る。

”後悔”は多分そんなものだと思う。

消せない。

そして、シシ神様も現実には居ないので、余計に消えない。

 

呪いのアザが暴れ出さないように、未来という時間は使うべきだと思っているんだろう。

少しでも心穏やかに過ごせる時間を本当は欲しているから。

が、そんな時間はよほどにか恵まれた奴じゃないと持たせてもらえない。

ということで、結果心穏やかに過ごそうとするがために心穏やかに過ごせない時間が増えているという魔界のような現実に居るわけだ。


ま、そんなものでしょう。

一体どのあたりに居るんだ?

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これが自分が想定している”人生”のイメージ図、のようなもの。

そんな、真剣に研究したわけでもないし、研究するつもりもないんで。

 

当たり前だが、自分の意志とは無関係にこの世に登場した。

「してしまった」にも近いかもしれない。

が、「してしまった」以上はなんらかの活動がおそらく必要とされている。

それは何だかわからない。

蟻でも蚊ですらも、何が宿命なのかわからないまま毎日生きているのであって、人間だけがわかったようなこと言えた身分でもない。

 

ただ...

何の選択肢もなく、そのまま真っすぐ...というわけでもない。

自らの決断だけでなく、やむにやまれぬ事態での路線変更等もあって、展開は様々な可能性を秘めている。

いやいや実は栄光とは正反対の没落への近道を選んでいるのかもしれない。

 

感情的な図ではない。

ただ....こんなものかな?と。

なので「少年よ大志を抱け」のクラーク博士は嫌いだし、野球を思う存分やれて勉強のかたわらでしか野球をやれない弱小チームのピッチャーからのホームランを量産して野球愛を語る奴も嫌いだ。

 

「前向き」などとよく評されるが、この図を見れば「後ろなんか向けやしない」こともよくわかる。

時計が左に回転しないように、人生はある意味時空とともに一方向にある。

「後戻り」は絶対出来ない。

 

が、路線変更は出来る。

路線変更のまた路線変更も出来る。

それゆえの「出戻り」も可能。

 

政治家や芸能一家のように生まれながらの道をまっすぐ進んで大輪を咲かせる人も居るんだろう。

それも人生。

試行錯誤紆余曲折しながら衰退していく人も居るんだろう。

それも人生。

 

ただ...

いつまで経っても選択可能だとは思っている。

選択可能だとは思っているから散々迷うし、諦めきれずに頑張ろうとしたりしている。

 


ま、そういうこと。

 

この2年、何やってもシックリこないのは、いつの間にか、隣の進路に移っていたのかもしれない。

自分の位置がわからなくなっている、ってこともあるんだろう。

 

海馬

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先日、ネットのニュースか何かで、

350ml缶ビールを週に9本以上飲むと脳の海馬が萎縮するby英研究

なる記事を見たんだが....

そのせいだろうか?

ここんところ集中力がない。

何をやっても気分が乗らない。

単に暑いから、だけなのかもしれないが。

 

今日もそう。

三連休とてすこぶる順調ではなかった。

遅いし、ノロいし、ダルい。

 

ま、そんな愚痴をたれていても、時間は過ぎていくので、追い込まれてしまう前に、ともかく一つでも片付けようか、ってなところで、やっぱりポジティブになれないのでブログに向かって切り替えようとしている。

 

何なんだろう、このやる気の無さは。

まだ今週始まったばかりだぞ。

持つのか?週末まで。

 

三連休はともかく暑い場所に居た。

汗の量も半端なかった。

着替えだけでも10回以上したか?

 

酒が抜けて体調にも良いと思っていたんだが....

何のことはない軽い熱中症のようになっているのかもしれない。

 

さあ、動かない海馬を無理やりにでも動かさないと....

 

ともかく寝た方が良いんだろう...

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暑い...し、忙しい...

なので律儀にブログなんか書かなくたっていい。

 

ということで、とりあえず所用を済ませた。

もちろん完璧じゃないが、局地豪雨を予想して、それは回避したつもり

 

んな程度なんだが、大変といえば毎度大変なのだ。

昨日の体重が65.85kgで、さきほどの体重が63.85kgなので、そういうこと。

 

今日は作業が多く、一日二食主義の自分ですら、あれやこれやと食った。

食った...結果がこの数値なので、ダイエットに関心のあるお方がたは、倒れない程度に汗を流して動き回ることが良いんじゃないかと...

んなもん、冷房のきいた部屋で痩せる秘訣は無いと思う(笑)

 

んで....

脳みそまでトロけているので、何も思い浮かばない。

夏はこんなもんだ。

生い茂る草、こぼれ落ちて腐る果実、片付かない部屋、家族のモメ事、仕事のモメ事、.....

片っ端らからやっつけているつもりなんだけど...

 

さあ、今日もいつもと同じようにクタクタ...

立派なネタなんか思い付きやしない。

 

でも....まんざら悪くない夜なんで...

 

さ、寝よ。

 

今時「ほら吹き」って居るの?

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「ほらふき」

などとあえて人を侮蔑したくはないんだが...

小さい頃から何故か大嫌いだった。

別に犯罪でもないし、迷惑を被ることが確実でもない割に。

 

今をもって「そのような人」に苛まされているわけじゃあないんだが...

「多いんだな」これが。

 

日頃は「どーでもいい」と避けてはいるんだが...

なんせ「自慢した人々」なので、妙にまとわりつくまとわりつく...

 

あっ、そうか、普通は”あえて”言いたいわけでもないのだから、”普通じゃないから”まとわりつく...わけだよな...

とか、妙に自分を納得んさせたりして...(笑)

 

で、自分も少々大人になって勝負する年代になってきているので...

「見極めポイント」ぐらいは準備してきた。

 

そう。

実際に「やっていただいてみようかな」と...

 

ふふふ、のふん。

さすがに、「ほら」は吹かないんだが...

 

「言い訳」することすること...

 

どうでもいいんだけど...

なんでそんなに「人より優れている」って言いたいの?

実際「優れてもいない」のに。

その”矛盾の修復のが大きい”に決まっているじゃないのさ。

 

で...どうすんの。

実際に「出来ること」証明できなくて....

やっぱあと三年はともかく頑張ろう

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真面目な性格なので、崇高な精神と格段の能力を政治には期待している。

だから関心もある。

なのに現況は....

 

ってな状況なので、フラストレーションどころか、気持ちがダルくなってしまう今日この頃。

そんなことに自分の人生を影響されて良いのかえ?ってな明け方の雷鳴一発で起こされた。

 

妙な時間だったものの、最近目標を見失いかけ、少しふらふらしているので、小さな決心でもしてみようかと机に向かってみた。

2回目の五ヶ年計画の期日が「あと三年」になったことは確認している。

が、残念ながら「過ぎた二年」の成果はあまり芳しくは思っていない。

されば余計に「あと三年」は重要になる。

 

そもそもが何故に「五ヶ年計画」なのかと言えば、「十年先は全く予想が出来ない」からであり、「五年先」も本当は見えていない。

見えてはいないが、何もかもが「一年」で達成できるわけでもない。

 

そんなところからの「猶予の区切り」が「五年」だというだけのことで、具体的な目標は「一年後」ぐらいまでしか実際予想ができない。

ちゅうことから、「一年後」を考えてみた。

 

案外アバウトな自分の「五ヶ年計画」だが、「一年後」...つまり「三年目」ではやはり目標に近づくことはあっても達成は出来ない。

つまり×。

ならとばかり「二年後」...つまり「四年目」も想定してみたが...近づいたとしても、やっぱり届きはしない。

つまり△。

で、「三年後」...つまり「五年目」を想定してみたらば...順調に行けば、順調に行ったなら...達成できる。

つまり○。

 

ということを簡単な表にして確認できた。

つまり無理な計画でもなく、実現できる可能性がある。

ってことなので、目指して、達成した方が、「いいに決まっている」ということだ。

 

少し....もやもやが晴れた。

「何のために頑張っているのか?」なんて思ったりもしていたが...少なくとも三年後に「ニヤリ」とするために頑張っているわけだ。

 

「五年先」が「三年先」になっている、というのもある。

が、やっぱり、頭の中だけで整理をつけるというのも難しいんだろう。

なんだか良い雷になった(笑)

 

今のところ中学も高校も三年間だもんな。

努力の節目となる期間なんだろ、昔から。