小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

かといって...

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充実した素晴らしい”日常”になっている...わけでもない。

残念だけど...

 

非日常的なことや、催し物や、メモリアル行事への参加を出来るだけ見送ってまでも、「日常生活の充実」への努力をしているつもり...なのに...全然達成できていない。

いや、満足できる水準に達することもないまま、むしろ...日々疲れている。

何か大きなショックでもあったなら、放り投げてしまうぐらいに疲れているとも最近はよく思う。

 

だからストレスの解消法が言われたりしていて....

そのためにも旅をしたり、コンサートに出かけたり、スポーツ観戦に出かける人が居るんだろう。

疲労困憊してしまうよりはうんと健康的な選択だ。

 

が、それをしようとしないところが自分のケチ臭いところだ。

針の一刺しのような結果や指先でつまめるようなみみっちい成果であっても、わずかにでも直接的に日常につながることの方を選択してしまう。

それらの集積を盲信している。

 

蟻や蜘蛛の巣を壊してしまうと、その修復力に驚かされるんだが....

わき目もふらず一心不乱に日常を快適にしようとするその努力への敬服があるようだ。

 

それゆえに...非日常、脱日常の余暇に時間を使っていられる人の話に辟易としてしまうのかもしれない。

自分の心の奥底は「真面目に努力を続けられる日常でありたい」...んじゃなく、「できりゃあ俺だって遊んで暮らしたい」ってことになっているんだろう。

よく思われるように、宝くじにでも当たるなら、いとも簡単にそっちの道に転向したいんだろう。

本当の自分の本音は。

 

なので「楽しく遊んで暮らしたい」ってのを精神的に、道徳的に、根っこでは否定していない。

....宝くじには当たらないから....「キリギリスのような生活を送っていると...冬になったら大変なことになるぞ」と、自分自身を脅している。

飲み会への参加とか、日帰りぐらいの趣味ならば、なんとか日常を毀損することはないだろうけど、何日も、何泊も、気を緩めたならば...その時間に出来たはずのことはもう挽回できないかもね、といつも自分自身に我慢を要求している。

つまり...むしろ...”本心を”...否定しているわけだ...

 

だから....頑張っているつもりでも....どっか楽しくないし....

努力を増やしていても....充実に近づいているようには思えない...んだろうねぇ...

やりたくもないことを自分にやらせているんだから。

 

まあ、幸いってか、バブルの頃に比べたら、幸せそうな人間は随分と少ないように見受けられるので、誰もかれも大差ないんだろうと、文字で表現しているほど暗くは考えてもいないんだが....

自分の頑張りや努力へのエネルギーは、”前向きな気持ちから”なんかじゃなく、”憎悪から”なんだというシステムぐらいは理解するようになってきている。

 

だから結果が出ないとイラつく。

成果が認められないとムカつく。

「人のことなんかカンケーない」とウソ吹きながら...

楽しそうに毎日毎日遊んでいる奴を憎らしいと思っている。

どこに芸があるのかよくわからないような人脈と軽妙なおしゃべりが上手いだけの(そう歪んで見えているだけだと思う)芸人の生活が羨ましかったりする。

そして....

真面目に、コツコツとやってきているのに、日の目を見ずに愚痴たれて飲んだくれている奴らを見ると、「近づいちゃいけない」と思うのは....

真面目に、コツコツとやってきてたのに、埋もれてしまうことへの「憎悪の芽生え」を感じるからだ。

それじゃ一体何を良くするために頑張ってんのかって...

 

そういうことがあって

勉強をやめている。

 

まだ何も結果は出ていないけど....

こういう余分なことを考える余裕ぐらいは出てきたのかな?とか。

 

事の真偽が私なんぞにわかるはずもないが....今の官房副長官に気持ち悪いほどの憎悪を抱くのは、まあ、こういうところからなのかな?と。

 

瑞風

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豪華寝台列車とでも言うんだろうか?

四季島やら瑞風の話題が続く。

素直に「凄いな」とは思うけど....乗らないんだろな、多分。

 

テレビ番組でも、旅番組とでも言うのかな?世界各地の名勝景勝を披露してくれて...

カッパドキアとか古代アステカ文明とかギニア高地とか....

そりゃあ「見たい」と思うけど...行かないんだろうな、多分。

 

こんな自分に相反するように、アチコチに旅をする人が身の回りはけっこう多い。

が、正直あまり羨ましくない。

”旅”が最大の生き甲斐、楽しみであって、”日常”はつまらなそうだからだ。

いや...そんな”日常”にまで”旅”はしっかり入りこんできて、出かける前からのワクワク感、帰ってきてからの思い出感。

それも”旅”のお楽しみ袋らしい。

でも、やっぱり羨ましくはない。

 

こんな自分でも、人並みぐらいには旅に出かけていると思う。

観光目的は極めて少ないながらも、趣味で、仕事で、付き合いで、と、国内だけでなく、海外にも出かけた。

が、むしろ、それらが「”日常”ではないこと」に落胆した。

もう少し言えば、自分の「日常には有り得ない」人生であることを再確認させられるかのようで失望さえ呼び込んでくる。

 

多分、ここいらの感銘の仕方が「旅好き」の方々との分岐点になるんだろう。

それも、それぞれの自由だ。

自分には遊牧民の遺伝子が欠けているのかもしれない。

いや、ひょっとしたらそういった”旅”からの失望感が背中を押しているのか?

旅よりも「日常の充実」を人生観にしているような気がする。

 

人生一回きりの四季島や瑞風でお金を使うぐらいなら、毎日友達のように一緒に居る自家用車にお金を使いたいし、二度と行けない海外に赴くなら仕事の範囲を少しでも広げて、いつでも行ける「日常活動エリア」を広げたい。

泊まるホテルを良くするのなら、少しでも自宅を快適にしたい。

そうやってここまでやってきたんだろうな、と四季島や瑞風を見てそう思った。

実に狭量でせこい男なんだろうけど...それなりのものは集積もしているのかと。

まあ、「せこい」と言わちゃやっておれんし(笑)

 

どちらが正しいか?ってもんじゃないだろうな。

でも、俺は乗らないな、多分。

写真も撮らないだろうし。

 

そういや「記念日」ってのもあまり関心がない。

きっと「毎日充実」が目標なんだろう。

相当に欲張りということか....

 

ちょっとしんどくなってもきているけど....

せめてあと3年ぐらいは、こんなカンジで頑張りたいわな。

気がする

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勉強を日課から外してから、あっと言う間に2カ月が経った。

かといって暇になったということもない。

むしろ以前と同じように仕事や他の用事をこなすのに相変わらず精一杯だ。

 

よーく思い出してみたならば、もともと勉強なんてやってる時間あるかしら?と始めたものなので、もともとに無理はあったのだ。

 

そして....

整理整頓や掃除にも忙しい。

けっこうな物を広く、大きく、多く、所有している。

そんなに裕福ではないが、それらは自分の達成の目標だったので、無理しても、そうしてきた。

そうすべきだと思って確保してきた。

 

が、そのアホさ加減にようやく気がついてきた。

腐る、茂る、枯れる、縮む、緩む、禿げる、壊れる....つまり、大概のものにはメンテナンスが必要で、そんなにあれもこれも、

より大きく、多く...じゃあ面倒みきれないわけだ。

 

ある程度年齢を重ねてきたので、そういうものが、何もかも、

になって積み重なってきている。

 

正直、もう完璧にできる量じゃない。

なので、土日やりきっても、完璧じゃないまま終了してしまう....

ことを繰り返している。

 

その上に勉強...

だったので、そりゃあもう、やり残しばっかになっていたんだろう。

最近その頃よりは、少し、片付いて、きたような....

 

気がする。

男前

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野際陽子さんが亡くなった。

こんな私が言うのもなんだが、タイプの女性ではなかったのし(かなり年齢も上だし)、そういう意味では興味の無い人だったんだが、”彼女の生き様”には嫉妬していた。

 

というか、この人の生き様を知った時に、「大体が男の方が女々しいもんなんだな」との定理を抱くようになった。

実生活は知らないが、ともかく聞くところの男っぷりが良い。

NHKへの入社、退社、その後の転身なんざ、転職OKの現代でさえも、もうちょっと保身的に考えるであろうところを....

 

現実の私はかなり思い切りも良く、度胸もあって、堂々と生きている方だと思われている。

が、内面は違う。

それは自分だから知っている。

そう見られたいから努力はしているし、踏ん張ってもいる。

が、本当は違う。

 

野際さんは

そういった”本当の姿”の写し鏡のような存在だった。

「あなた...言ってるだけで、実際やらないじゃないの(笑)」と言わてるんだろうなぁ...と。

 

そんな男前の生き方に「少しでも追いつきたいな」と思っていただが...

女性だっただけでもかなり難しかったのに...

この世に存在しなくなってしまうとなると...

 

まさに”届かぬ目標”なのか?と...

 

いや...諦めてはいないけどね。

でも、残念無念。

 

81歳という年齢は、今後相当に意識してゆく予感。

 

忖度と哲学

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かすかに道徳教育を習ってきた年代なので...

「おかしいな...習ってきた正しい世の中はこんなはずじゃなかったのに...」

ってことも山ほど経験してきた。

 

理不尽というだけでは収めきれないそれらの事象を納得させたがる人達は....

世の中そんなに単純じゃないんだよ。

裏にも道があるんだよ。

パワーバランスなのだよ。

私達は特別なのだよ。

と、明るみには道徳の大切を説きつつ、振り返った怖ろしい形相で、道徳を打ち破る力を誇示している。

その顔で、「長い物には巻かれておくのが利口というものなのだよ。なあ○○君」

と、デスラー総統のように言うならば、ついたての陰から、まさかの知合いが登場する....

と、まあ、こんなことになっているんだろう。

 

卑しくも民主主義を標榜し、自由、平等、国民主権と言いながら...

「アホか?そんな言葉遊びを信じているのか?世の中”力”のあるもん勝ちだろうが?なんなら仲間に入っておいた方がいいんじゃないの?」

とニタリ顔でささやいている。

 

残念ながら、これを覆すことのできる万能な力をもったスーパーヒーローであるはずもない。

ましてや地位、立場、ひいては生存権まで抹殺されようとするならば、

泣き寝入りすら引き受けることも仕方ないのか?

 

哲学の誕生って

権力と無縁じゃないんだろうな、

と、思う今日この頃。

 

いや、そんなにも大袈裟な話じゃない。

このような”力”を社会で使える者でありたいくせに通用せず、その腹いせのように、一番小さな社会とも言える家庭で”力無き者”に対して行ってしまう者が少なくないから....

「お先真っ暗」としか感じられない子供を増やしているんじゃないだろうか...

 

ニーチェサルトルも名前ぐらいしか知らないし...

哲学って定義を正しく理解しているとも思っちゃいないが、

欲や集団に影響されない個の思考を積み上げることは、ある意味自らのオリジナル経典を作り上げていく作業のようで、落ち着かない、イライラする、自分の気持ちを静める作用があるのかな?とか...

 

夏草や兵どもが夢の跡

 

今更にして思うけど...松尾芭蕉は哲学だよな....

単にノスタルジックじゃなく、まさに奥がある。

 

ま、そういや題名にも堂々とうたってあったわ...(笑)

 

忖度

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妙な言葉が流行った。

が、実に気持ち悪い。

コメンテイターや芸人も面白がって使っていたし、そんなお笑い番組も好きなんだが、それでもこの言葉は気持ち悪く感じる。

 

前の学園問題は、本来は気持ち悪いはずのこの言葉をオブラートのように使用した。

あたかも、これが大人の事情、なのだよ、と言わんばかりに。

それでくるめて見事に葬られた。

 

そして新たな学園問題。

「忖度?じゃないだろ?好き好んで賛同してんじゃない。居場所がなくなるから賛同したフリして我慢してんだろ」ってなのが出てきた。

 

似ている。

圧倒的な裁量権と大人の絶対優位な理屈と衝動的な暴力で支配出来ていたかつての中学校と。

「もう我慢ならねー」って出てきたのが校内暴力だ。

 

校内暴力を肯定するつもりはない。

が、知恵もない、力もない、権力もない、そんな弱者が一方的な強制から逃れるには、どうしたらいいんだ?という叫びにも似た反応だった。

 

これらは、肉親を悪く言えないDV被害者の声の抹殺にも近い。

「俺の親はこんな親なんだー」と訴えたところで、普通は「親不孝な子だね~」と自分が悪者にされてしまうのがオチ。

だから他人にゃ話せるわけもない。

さらには、DVったって、殴る蹴るだけじゃない。

将来を不安にさせる言葉、親としての立場を放棄するような言葉や態度、言葉の上とはいうものの身分を抹殺するかのような脅し...

自立できるような年齢になりゃまだいい。

金も稼げない年齢で、「いつでもお前の生存権なんて抹殺できるんだからな」と脅されて育ってきた子供は、それを誰に相談できる?

いや、具体的な言葉での相談すら出来ないだろう。

なんせ、そこまで社会的にも育っていなかったりする。

ただ...なんとなく、「だから俺の言うこと聞け、俺の言うとおりにしろ、俺の言うとおりにしないと....将来はないんだぜ」

という”脅し”を背負わされて生きていくことになる。

だから家が面白くない。

親の顔を見るだけで気が重くなる。気持ち悪くさえなる。

それが親にとっては余計に面白くない。

「なんだその目は」となる.....

 

耐えきれなくて....

母親に吐露しても...母親も父親には逆らえなかったりする。

いや、逆にチクられてさらに父親から不遇を受ける。

先生を始めとした他人に相談したところで....「いいお父さんなのに、お前が反抗的なんじゃないのか?」なんて言われてしまう始末だったり....

 

いい歳こいて清廉潔白、正々堂々...とはいかないぐらいはわかる。

が、忖度って...ものの見事にDV親父が「私がそんなこと強要した覚えはないんですけどね~」と平然と答えるのと、同じ臭いが俺にはする。

だから俺は異常に気持ち悪くなる。

 


そして何故だ、洋楽好きの自分でさえ、中島みゆきのファイトが聞きたくなる。

ってか吉田拓郎の歌っている方のが。

18年前とは...

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別に年齢も隠してきたわけじゃないが、年齢や家庭環境や仕事の内容については、あまり書いてはこなかった。

 

というのは、それも一つの自分への戒めであって、「年のせい」「家族のせい」「仕事のせい」で、「出来ない」....という言い訳にしたくはなかった....してはならない、と思っていたからだ。

特に個人からの情報発信が自由となっている現状じゃあ、もう不平不満どころか、愚痴、弱音、人のせい、嘆き、厭味...の公表?何でもありだ。

いや、”あり”でもいいんだが、それらを吐くことが日常化するようになり、頑張ったり、反省したり、努力したりすることよりも、真っ先に、そんな言葉を生むように脳みそが働きだすようになってしまっているように見受けられて....

「そうはなりたくない(なっちゃいかんな)と、自制の念を込めて、”せい”にするような要素については、あまり書かないように意識してきた。

 

書かない、ということは、考えない、ということでもある。

それを信頼した。

 

が、それにも無理というものがあるようだ。

ささやかなものだがトレーニングも始めて18年になる。

地道に地道にだが伸ばしてきたタイムや距離や回数が伸びなくなったのはおととしぐらいからだ。

そりゃ決して愉快な状況じゃあない。

が、そういうことへの対策だってしてこなかったわけでもない。

やってこなかったら、そもそも続いていない。

が、”やってきた上でも”そうなってしまうようになったのだ。

 

そのトレーニングを始めた時だって「いい歳なんだけどな...」と思っていたものが、もう18年も経っている。

そりゃ相当「いい歳」になっている(自分じゃ認めていないけど)。

 

つまり....別にあえてフケ込む必要はないけれど、様々な状況の変化、環境の変化を無視できる年齢ではなくなった....ってことも脳裏に置かなくちゃいけない年齢にはなったんだろうな、とか。

 

先日も趣味の釣りを再開した友人に「どうしてまた急に?」と聞いてみたんだが...その返事は....

「いや、釣りなんて足腰さえ丈夫ならけっこう年食ってもやれると思ってたんだけど...老眼とか、手先の震えとか、ましてや血管関係の病気で不随状況残った日には、仕掛けが作れなくてやれない、と思ったからさ。けっこうもう、今が、やれるとき、なのかな?と。」

って言われて...

なるほど、と思った。

 

”仕事”に関しては、生計もあるし、老後だって関係してくるので、ある程度将来をボンヤリ考えてみることはあるんだが...

まさかの”趣味”でやれなくなるかもしれない...ってな想像はそういやしたことないな、と。

 

奇しくもとある親族に癌が宣告されたのと同じ歳になっている。

その方はそこから3年の闘病生活で亡くなった。

 

正直今は、今でも、仕事中心、収入中心の生活は何も変わっていないんだが...

18年前とは全然違う環境に居るんだろうな、と、あえて再確認し始めている。

そして....そういうこと....無視して生きていくには、ちょっと無理のある年齢になってきたかな?とも。