小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

後悔

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ようやく休みに辿りつくカンジ。

昨年末はここから確か3日ほど寝込んだ。

この”ホッとした感じ”が怪しい。

すでに半分ぐらい思考が停止してきた。

よく休みたい。

 


弱音や愚痴は極力吐かないようにこれでも気を付けているつもり。

特にリアルの世界じゃあ。

 

別に格好つけているわけじゃない。

多分...吐くのに慣れてしまうと、というか吐くことに抵抗がなくなると...

毎日のように”自然に”吐き続けるようになるだろうから。

 

そんなことを意識しなかった若い時期には、そういう事も少なくなかったように思うが....

聞きたくもない愚痴を聞かされて(本人は愚痴ではなく理論のように装っていた気分だと思うんだが....)

聞きたくもない言い訳を聞かされた友人らにはさぞかし迷惑をかけたかもしれない。

それも嫌だ。

 

が、それだけじゃない。

後悔を分断して材料として未来の資料にする分には有効な手段だと思うが、後悔した場面を「やり直せたら?...」の想像バージョンは...

何にもならない時間だと言い聞かせている。

その夢から醒めた自分がより虚しくなる。

 

そして、もう一つ。

幸いなことに?

もうどうしょうもない時期にきているというのが大きいような気がする

 

陸上競技を志してみたとしよう。

自分には何が向いているのか?よくわからないものの...

距離数で平均的な大方平均の1500mあたりの選手になろうとしたとしよう。

 

そんなんで社会に登場したようなもんだ。

それが、今となって、

「100mのが向いていたのかな?」

と”確信”したとしたらどうなる?

いや、してもどうなる?

もう、どうにも出来ない。ほとんど。

800mの選手や3000mの選手には転向できるかもしれない。

それでもその可能性すらかなり低くなっている。

 

どれだけ走ることが苦手だとわかってきたとしても....

そこへの努力が非効率だとわかってきたとしても....

今更にゃあ転向できないぐらいの年齢になってきているということ。

 

そんな時に砲丸投げ三段跳びがいかに楽しそうで、いかに効率的に思えたとしても....

もう...遅い...わけだ。

 

少なくともそんな年齢には居ると思う。

なので...

今更....

後悔することも出来ない(意味のない)年齢だということ。

 

すっぱりと「これからのことだけ」なんて事が言えるようになってきたのも、特別健康的なわけでもなく、前向きでもなく...

ただ...それしかないってことが浮き彫りになってきた年齢だということだけ。

 

本当にそう思う。

 

カラダも出来ない後悔に慣れてきているのか?後悔してみたくても、そんな時は思考が停止して...

ただただボンヤリしてしまうだけだ。

そして....なんとなく、涼しいような、寂しいような、虚しいような、

そんな気分に包まれる。

 

それに絡み獲られるのはマズいだろうと、

なるべく早く離れようとはしている。