小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

人生論メモ

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もともと脈絡のない文章なんだが....

ここんところはさらに脈略を失っていて、彷徨い続けているような文章になっていて....申し訳ないんだが....

それでいいんじゃないかと思って書いている。

 


精神状態は他人様から見たらば、健康ではないのかもしれないが、自分じゃ”普通のほう”と思っていることと、実際に頭の中は「整理がつつかない」状態なのだから、その様を正直に表現するなら、こうなるだろうと.....

何たって「方向転換」しようとしているのだから、迷いもなくスッキリと考えられるわけがない。

そんな力量が備わっているならとっくの昔に完了している。

 


「力の無い自分」をちゃんと認識し、それなりの分析と作戦を立ててやることが、冷静な判断だと、これでも思っている。

なので、今更格好つけたブログなら、書く必要もないだろうと。

 


荒れ狂った中学二年の夏、英語の教師が読書に導いた。

「授業が嫌なら聞かなくても良いから、座って本でも読んでろ」と。

手渡されたのが三木清の人生論ノートだった。

一応読もうとはしたけれど....

全然意味ワカンネエー

だった。

 


それが悔しくて、トルストイの人生論を買った。

もちろん翻訳本だが、余計にワケワカンネーだった。

 


そういうことだと思う。

トルストイ以下、三木清以下の自分が、岐路にあってそのサマを美しい文章なんかでまとめられるはずがないということ。

文字にしたらばもんどりうっているサマしか伝わらない文章ぐらいにしかならないだろう....というもの。

三木清が人生論ノートなら、よくいって自分なんざ「人生論メモ」だ。

そのメモがはてなで恥知らずに公開されているだけのこと。

 


それでも書いているのは....

全然楽しくないこの”転機”をも、後から「あそこで真面目になって考えてみてよかったな」とか「あそこで格好つけなくてよかったな」とか「あの時一旦立ち止まって落ち着こうとしたのがヨカッタな」とか「簡単に済ませずどうせならあれもこれもと手を広げたのがよかったな」とか「楽せず苦しんだのがよかったな」とか

....

いろんな”とか”のヒントが見つかるかもしれないと思って書いているだけのこと。

 


毎日「暗中模索中」なのだ、いい歳こいて。

毎日「試行錯誤」なのだ。

毎日「支離滅裂」にもなるのだ。

毎日「五里霧中」なのだ。

それでも....

まだ”なげやりになってしまわないだけ”マシなのかな?と。

 


大きなヒントなんて何一つ見つかっていない。

日常生活だって何の変化もないだろう。

周りの人は「まさかこの人の内面に大きな変化が訪れている」などと誰も思っていないだろう。

恐らく....自分の嫁さんとて。

 


それで良いのだ。

けっこういい歳こいても、そうして乗り越えていくしか、飲み込んでいくしか、ないのだと思うようにはなっている。

細かな結論は何一つ出ていないけど、”姿勢”に対する意識は少し芽生えてきていると思う。

だからこそ、それを見せないようにしているのは、この手のことは誰にも起っていることで、「あえて人に言うほどのもんじゃない」と思うようになっているからだろう。

粛々と自分で考えてりゃいいだけのこと。

”自分の精神状態の変化が世界中の出来事の中で何よりも優先”...の父親のDNAを少しだけ剥がせているようにも思うし....

 


そんな毎日なので、楽しいわけもないんだが....

「改めて考えてみたならば....そういや、これっておかしいよな?」ってな発見は意外に多い。

 


方向転換を意識する前までは「全て良し」としてきたからこそ、継続してきたことなのに....

改めて見直してみたらば....

「何で?」

ということは案外多いのだ。

 


日々の暮らしに追われるってのはそういうことで、「なんか変?」と思いつつも過ぎてきたことには同情もするが....

明らかおかしな”こだわり”なり、”信条”なりで信じられない主張をしてくるジジィがけっこう居たりするんだが....

「えっオレも?」

似たようなものなのか?と思うと正直苦笑いだ。

 


人間案外自分のことをわかっているようでわかっていない。