小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

毎日楽しくないのは不幸ですか?

 

 


年末にウジウジとみっともない話を書いているんだが....

しょうがない。

年末だろうと、年始だろうと、自分の思考の順序が変わるわけでもないので....

 

たまたま順番的なところに....

年末・年始が来てしまっているだけ。

受験生だってめでたくもない年末・年始で頑張っているんだから、これぐらいのこと。

 

というか....

父親譲りのDNAで、あれほどに”快楽”を、”楽しい時間”を、求めて奔走していたのに....

今はもう完全にそれは諦めている。

 

いやあ....かつての快楽とて....本当の幸福な時間だったのかどうなのか?それは自分じゃわからない。

その時は「そうだ」と思い込んでいた...はず...なんだろうけど....

 

ディスコにサーフィンにスキーにペンションに民宿にパーティに宴会に....

和洋折衷様々な快楽を追い求め見事に溺れていた(笑)

 

確かに楽しかったんだけれど....

始終酔っぱらっていたのか?あんまりはっきりとした記憶もないし....

当時の仲間は誰一人残っていない。

 

多分....そんな遊び人は今の世の中生き延びられないようだ。

 

さらにはもういいお歳。

今更そんな生活を望むわけもないし、そこを幸せと思うはずもないだろう。

じゃあ、”今の幸せ”って?

 

そんなもの...

「無い」

んだと、基本思うようになっている。

 

寂しくも哀しくもない。

自分だけじゃない。

どうせ”みんな”そうなんだから。

 

いやいや人様までに自分の尺度を当てはめて、落とし込めようってな算段でもない。

 

若い頃に夢見ていた(実践していたとも言う)ところに幸せはないし、そもそもに幸せなんて”日常に無い”から幸せだと感じるんだと思う。

だから....「毎日幸せ」なんてそもそもあり得ないから、哀しくもなんともないのだ。

 

自分の父親は「何もない日常」をすごく寂しがるし苦労や不安が少しでもあると「眠れない」と哀しがる。

この世が"楽園"だとでも思っているのだろうか?

 

日本人で最も大成功したともいえる徳川家康でさえ....

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」と感じて死んでいったのに....

こんな凡人風情が「楽勝」「快適」「毎日幸せ」であるはずがないのだ。

 

なので....

「今日も楽しいこと一つもなかった」

「今日も嫌なことばっか」

ってのが....ごくごく”普通”だと思えば...

別になんてことはない....

 

逆に....

そんなにも自分のところだけに幸せが集まってくると期待しているなら.....

それもある種の自惚れだ。

 

大した努力もしていない”自分だけ”が上手く行くはずないだろ(薄笑)

 

が、年末の自分へのご挨拶。