”器の大きな男”に見られたがりの父親は、いつも「楽観的な男」を装っていた。
自分のことだけならまだ良いが....事態の直前に真剣に考えている私にまで....
「そんな、やる前からくよくよしていてどーすんだ。やってみなきゃわからねーじゃねーか」と威勢の良い所を常に見せようとしていた。
が、世の中それほどに甘いわけもなく....大体が楽観的な結果には至らない。
いや、むしろ楽観的とは正反対の結果になってしまうことの方が多い。
すればどうなるのかと言えば....
もう....尋常じゃないほどにうろたえるのだ。
その様子は狼狽と言っても良い。
自殺しそうに落ち込むだけじゃなく、ひどい場合には家族に当り散らし、人のせいにし、いい歳こいて泣き叫ぶ....
そんな姿勢を何度も、何十回も、見てきていたらば.....
少しは違う道を歩めば良かったものを....
よほどにか強いDNAなんだろう、やがて哀しくも「楽観的」を振る舞う人間に自分も育っていった。
「楽観的」は平常時は楽だ。
「大したことにはなりゃーせん」と振舞っておれば...何も考えなくてもよい。
それでいて....あたかも”堂々としたような人間”になりすますことが....一応....出来る。
しかし....ひとたび思わぬ事態になったれば.....
何の準備もないばかりか....心構えすらしていないので....
堂々さはどこへ行った?恐ろしいほどにうろたえる。
父親同様何度もうろたえてきた。
あれだけ舞い上がっていたくせに、正反対なほどに落胆を見せ、周りの人々の気分も害したことだろう.....
何度も、何十回も、自分も、そんな姿を見せてきたと....思う。
しかしながらいつしか....誰のせいにも出来ない立場になって....
「楽観的」は捨てた。
用心深いどころか小心者と思われても構わない。
予想出来る最悪の事態になったとしても....
うろたえたくはないので....
うろたえてはいけないと思うので...
「楽観的」に魅力を感じなくなった。
そんな自分の未来の想定は大体決まっている。
良いことは「最小」
悪いことは「最大」
に....見積もるクセがついている。
例えば....収入の予定は「最低額」で、支出の予定は「最高額」で。
ならば、そりゃあ「お金が残る予想」にはならない。
なので全然楽しい予想じゃなくなる。
が、事態の平均は....それよりは多少マシなことが多いようだ。
つまり....最悪は”最”とつくだけあって....さほどには頻度は無いようだ。
今はその延長にある。
そりゃあ”捕らぬ狸の皮算用”を想像しないこともないけれど....
最悪....「ここまで駄目になるだろうな....」という残念な予想も立てているつもり....
そんなんじゃ未来が楽しくないだろうに....という人も居るんだが....
根拠の無かった”楽観”の喪失に加えて、見ないようにしていた恐怖に襲われる方がよほどか楽しくない。