小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

後悔の穴

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「若い時にもっとちゃんと勉強しておけばよかった...」という人は多い。

自らの子らにそれをはっきりと公言して努力の大切さを伝える人らを冷ややかに見ていたつもりだが...

本当に後悔しているのは伝ええることさえ放棄していた自分かもしれない。

 


”勉強”だけでなく、”試練”とでも言おうか、

それも大袈裟なことでなく、塾へ行く、とか、習い事をする、とか、教えてもらう、とか....

そういうことが嫌いでとことん逃げてきた。

定期テストさえしかり...

逃れられないのが受験であったがため、そういった試験はとりあえず受けてはきたんだが...

こんな人生だった。

 


そんな運の良さ?は継続できるはずもない。

似つかわしくない努力のステージに上がらされることになった。

そこで出会うのは”苦手な人々たち”だ。

いわゆる”人生頑張ってきた人”だ。

 


そんな人達を自分は多分学生の頃は小バカにし、からかったり、見下してきたと思う。

が、そんな人々は、自分に比べてうんと若い頃から目標があったり、努力の必要性を知っていたり、もっと常識的だったりしたんだろう。

堅実...というよりも、いわゆる”ちゃんと”生きてきた人達だ。

 


若い頃、遊びまくっている時代には、そういう人達から「うらやましい」と言われることが多々あった。

そういう言葉を真に受けるほど馬鹿だった自分は、大いに自惚れもした。

真面目に努力せず、遊んでばかりなのに、軽々しく人生を生きていられることを。

 


...そんな軽々しい爽やかな?人生に疑問符が付き出したのが10年前か...

自分が間違っていたことに気が付き出したのが7年前か...

今じゃ賑やかだった若い頃は、単に軽薄で浅はかだった”完全に後悔すべきもの”になっている。

 


今さら言ったってしょうがない。

今さらやり直せるはずもない。

今から取り戻せるはずもない。

 


目から血が出るほどに重々しく後悔しているわけではないが....

「もう今さらどうにもならんさ」とは思いたくないようだ。

 


それだけが救いか?

 


努力、努力、といい歳こいてアホなように連呼しているのは、やるべきときに逃げてきた自分への”後悔”だ。

こんな類の人間なので、”周り”も似たようなもんだった。

まさに類は友を呼ぶ。

若い頃にはその顛末具合もぼんやりしていたが...

この歳になるとハッキリしてくる。

派手な遊び人の成れの果て...

 


もう少しマトモな思考の人間だったなら...

わかればわかるほどその”後悔”は増大しているんだとも思う。

 


マトモな人々は、自分がアッサリと逃げ出していた”辛抱すること”やら”我慢すること”に耐えていたんだろう。

人知れずに。

いつか誰かに聞いたことがある。

「人生苦労の総量は同じ」だとか....

なるほど...

なので、俺は、こんな歳になった”今”を、そんな時間に当てなきゃならないんだろう。

 


嫌に決まっているが...

誰のせいでもない、まさに自分でしでかしてきた人生のツケだ。

 


こんな根暗なこと認めたくはないんだが...

自分の努力の原動力は多分...「”後悔の穴”を少しでも埋めたい」ってな後ろ向きなところなんだろう。

まあ、投げやりになってしまうよりはマシか...

 


ということにしている。

 


ただ、逃げてきた期間から察すると...

まあ、死ぬまでこのこの状態は続くんだろうな、とも思えるのが、ちょと嫌だ(笑)

ま、自分が悪いんだけど。

錯覚

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"混沌"となっている原因の一つに”スポーツ”があると思っている。

今は”体調管理のため”のトレーニングとて、最初の頃は”ダイエットからの現役復帰”をもくろんでのことであったし...

 


今じゃそれほどのスポーツへの”こだわり”が自分でもわからないのだが...

多少なりともその分野でメシを食ってきた”過去の栄光”ってか、褒められる部分の少ない自分にとって唯一賞賛を受けた分野であったので、

手放してしまうことでの不安を払拭できないのだろう。

 


トレーニングはいつしか18年になった。

負荷は相当に低くなっているので、トレーニングというより傍から見たらば”単なる健康運動”なのかもしれなが、

飲み食いタバコし放題であった自分が、今現在でもそこそこ健康に生きていられるのはこの”健康運動”のおかげであることは否定できない。

ものすごく簡単な話が、健康でなければ”余分な運動”なんかする気にもならない。

 


が、だからこそ”いつまでもスポーツマンであるような勘違い”から離れられない。

見てくれだってとうの昔にスポーツマンじゃない。

そりゃあある程度鍛えているし、体調だけでなく体型にも気を使っているので、一見すりゃあ今でも運動出来そうなものだが、正直いくら出来たとしても若い頃のソレとは違う。

違い過ぎる。

 


わかりやすく言うとフィギュアの公式練習で羽生君はじめ若いスター選手が練習する中、多少腕に覚えのあるジジイが突然現れ、自慢げに一回転ジャンプを披露するレベルだ。

たしかに昔取った杵柄で”一回転”はなかなかきれいだが、二回転は絶対飛べない。

そういう運動能力になっている一回転だ。

”イナバウワー”も出来るのかもしれない。

が、これも「ものすごく曲がっている」のではなく、「イナバウワーに似ているぐらいに中途半端に曲がっている」ものだ。

そんな程度にしか出来ない現実がある。

でも、何もやっていない同年齢に比べたら、”とりあえず”運動が今でもこなせる。

これを”自慢”しているようなものなんだろう。

 


若い頃なら「今はそんなレベルであっても」...この先練習してゆけば「今よりはうまくなる」期待が持てるものの、

今後衰えの加速度が違ってくる自分の年齢じゃあ「もっとうまくなる」なんて期待は幻想でしかない。

浅田真央でさえ引退するんだ。

 


...スポーツの楽しみ方はそんな狭義なものでないことはわかる。

が、いつまでも”白昼夢”を見ているわけにもいかない。

それでは現実にも迎合してゆかない。

つまりは....いつまで経っても”混沌とした毎日を送るだけ”のことになる。

 


ということで、長いこと御世話になってきた”スポーツ感覚”から少し離れようと思う。

恐らく人生物ごころついて初めてだと思う。

ずっと運動と共にあった。

現役から離れている間でも、どっかしらでスポーツとの関わりがいつもあり、自分自身ではないがスタッフとしての関わりからでも日本で二位にもなったりもした。

そんなことも、ある意味、自分にとっては”勘違い”の原因になっているんだろう。

とうの昔に自分自身は”現役ではなくなっている”のに、”今でも通用するかのような”錯覚に。

 


案外”寂しい”とかの気持ちはない。

むしろ「いつまで青春やってたんだ。馬鹿じゃねえのか?」の思いの方が強い。

それだけに冷静に振り返っているのかもしれないが、とうの昔に似合わなくなっている道具やコスチューム?の多いこと(笑)

それだけ”しがみついていた”ということなんだろう。

なんせ”自慢のネタ”も運動しかなかったしね。

 


トレーニングは続けるつもり。

が、自分にとって断舎離すべきは”スポーツ”だったんか?

というのは、なんだか笑えるような笑えないような...

 


...こんなこと...社会人になった時に分別しとかなきゃいけなかったことなんだろうけど...

まあ、随分愚かな人生なもんだな、と重ね重ね思う。

混沌

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"混沌"は続いている。

いや、”この先も”ずっと続いて行くんだろうという気になってきている。

 


思考を巡らせる時間が増えているので、”一時的な迷い”なのかもしれないが、まあ外れてはいない気がしている。

 


”こういうところ”が単純だったんだろう。

漫画やテレビドラマや映画の影響が大きいのかもしれない。

どんなに雨が降り続いていても、霧の晴れない毎日だとしても、いつかスッキリと晴れる日はやって来ると....

苦労すればしただけいつかは花開く日が来ると...

どっかで思っている方だったんだろう。

 


が、最近その想定は”現実的ではない”ことに気が付いてきた。

今日もどっかのコメンテイターが言っていた。

北朝鮮の問題は大きく進展することはなく、”ずっと不安を抱えたままの日本”で行くんだろう」と。

 


あまり好きではないコメンテイターだが、妙に納得した。

 


モヤモヤを引きずるのは嫌なので、仮に悪い方向であっても「早く決着をつけたい」と思う人は少なくないだろう。

いわゆる「生殺し」はやめてくれ。というヤツだ。

 


が、それぞれに”事情”というものがある。

「生殺しはやめてくれ」は自分の事情だ。

「そんなこと知るかよ。コッチはコッチで大変なんだ」という人も居る。

社会はその絡み合いで成立している。

ウインウイン。双方平等な合意。は、煮えたぎる我慢を半分ずつの”裏返し”かもしれない。

かつていつも期待していた「スッキリした結末」は、単に希望がかなった”一部以外”を黙殺する...もしくは”視野が狭くて”見えてなかっただけ、のことなのかもしれない。

 


このままスッキリすることなく、死んで行くのかもしれない。

いや、死んで行くものなのかもしれない。

そう思うと妙なもんだが少しばかり”諦め”もついてくる。

いつの日かの青春ドラマのように、最後は「熱い抱擁」だったり、「涙の激励」だったり、みんなで「夕陽に走ったり」するのが混沌からの結末だと期待していた方が幼稚というものなのだろう。

いい歳こいて少し大人になったのかもしれない(笑)

 


こんな具合に考えていたらば、ずっと混沌と過ごして行くには、ただでさえ頭が悪く迷いやすいのだから、少しぐらいは”身辺整理”をした方が良いんじゃないかと思えてきた。

まだ”終活”を始めるには早いと思うんだが....

 


”節目”というものがどんなものかと考えてみた時...

「”今まで”のことが通用して、”これまで”のモノがまだまだ必要な時」ではなく、「”今まで”のことが通用しなくなって、”これまで”のモノが”実はとっくの昔に”必要ではなくなっていた時」じゃないのかなという気がしてきた。

先日も棚の奥からけっこう古い趣味の道具が出てきて、それがまた風化して使い物にならなくなっていたのを見て...「こんなものをずっと引きずっているんだろうな」とか思った。

 


断舎離のプロのような方々も”はてな”には多いので、うかつなことは言えないんだが...

これからの人生に持っていかないモノをたくさん抱え込み過ぎているから余計に混沌としているのかもしれない。

監視

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”楽しく毎日過ごせりゃいいや方式”で生きてきたので、「目標を持つ事」の意味すら考えたこともなく、当然「それに向かっての努力」なんて知るよしもない生活だった。

が、そんな「運任せ」の生活がいつまでも続けられるはずもなく、「今の生活」に至っている。

 


なので、もともとに「前向きに取り組む姿勢」など持たない。

「目標」なんてすぐに忘れてしまう。

「重い荷物を背負いそうになれば」すぐに離れてしまいたくなる。

 


それが自分の本性だ。

似たDNAの親を見ていりゃよくわかる。

 


が、それじゃやって行けないからということで、誰にも望まれてもいない「目標」を設定し、無理やりにでも自分をそこに追いたてている。

 


全く自然な流れじゃない。

無理が多過ぎる。

だから逃げ出さないように、こんなブログで時折鞭を入れているわけだ。

 


その効果はこれまではあったと思う。

し、これからも無いってことはないと思う。

 


....何を書いているんだか...

 


また、新たな問題が発覚。

先の五カ年計画の目標を1年前倒しで達成してからというもの、何もかも障害続きだ。

前進どころか摩耗しながら生きている感じで、縮小、減退、消耗を余議なくされている。

努力はしているつもりなんだが....

 


それでもまだ努力不足なのか?

はたまた他の理由なのか?

社会状況なのだろうか?

年齢なんだろうか...

 


混沌としている。

なので、最近の日課は、その混沌の中から自分が逃げて行かないように監視することになっている。

目標

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最初の就職は営利事業ではなかったので、「稼ぐ事」は人生の目標ではなかった。

むしろ、なかなかに、安定していた職業だったので、平穏無事に楽しく暮らして行ければいいかな?と。

今から思えば随分ノンビリした社会参加だった。

仕事は人並み以上にはこなしていたと思うが、なんせ所得に変わりがないので、楽しみは余暇に向いていた。

遊びの時間の充実が人生の充実であるような...

仮に持ち金全部使ってしまったとしても....

 


そこから仕事も変わって営利事業となり、「儲けること」を至上とされた。

家庭も出来、教育費も必要になってくれば、自分の遊び金どころじゃない。

いや、自分の遊び金が欲しいなら、「今以上」に稼がねばならない使命が下りてくる。

 


その習慣で今に至っている。

少しでも稼ぐことが安心感につながっている。

世の中金じゃないと言われても、金がないとしたいことができないことも多い。

されば、あればあるだけあった方が良い。

 


さもしい生き方なのかもしれないが、大体がそんな感じで生きてきた。

 


が、どうにもままならなくなってきている。

自分の能力不足や努力不足をまずは反省すべきなんだろうが、同じように反省しつつやってきたのに、最近とくにままならない。

時代も感じるし、運命も感じるし、年齢も感じる。

 


さほどには深刻じゃないが、生活スタイルを見直す時期がやってきたのかとか思ったりもする。

企業研修でもある一定の年齢になったり、役職定年を迎えると、「その後の過ごし方」をアドバイスをしているとの噂も聞く。

そう、収入が減ってゆくからだ。

つまり、お金の面で「下り坂の人生」が始まるのだから、「今までと一緒」というわけにはいかないんだよ、ということなんだろう。

そういえば、周りも財布の紐が固くなってきたような気もする。

仕事による格差に期待していたんだが...そうでもないのか...

 


本来は、ここで、「こんな雰囲気に負けちゃいけない」

とすべきだと思うんだが...乗り越えられない「壁」であるとしたらば、無駄な時間にもなろう。

 


ということで、「お金の使い方」を少し見直してみたりしている。

実は....そういう意味でタバコもやめたんじゃないんだが、そういや一月15,000円ほど浮いているわけだ。

なるへそ。

 


なんとなくの予感もあったんだろうか?

仕事用以外の私服はほとんど購入しなくなっている。

まあ、いっそのこと「今ある私服を着倒して使えなくなってから」新たに購入するとしても、新たな購入すら必要ないかもしれない。

節約?というよりも、「使わなくてもよいお金」をけっこういい加減に使っていた部分があるようだ。

 


ということで、ワインも少し安いものにしてみようかと...

ビールの本数も減らそうかと...

 


残念だが....

増やせないのだから、減らさない努力が必要なのかと。

ま、そういうこと考える年齢なんだろう。

相変わらず...

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あっと言う間に時間が過ぎている。

前回の更新から10日も経っているのか....

 


まあ、いろいろあった。

というか、個人的なことだけじゃなく、ここんところ世の中騒がしくて落ち着かない。

世の中が大きく動こうとしているのだから、”自分のこと”、どころじゃないのかもしれないが、かといって”世の中”をどうにかできるわけでもないので、”自分がやれること”を考えるしかない、からの脱却もない。

 


その”自分のこと”

は、相変わらず上手くはいっていない。

そうカンタンに上手くゆくはずもないことも理解している。

でも、面白い状態ではない。

 


ただ....スケジュールはサボらずこなしている。

そこはヤケになったりしないようだ(笑)

それぐらいの”成長”はあるということだろう。

 


が、それ以上の”前進”もない。

前進なきまま時が過ぎているといった感じ。

この10日間のように。

 


毎度言うが、数値的な目標がある。

期限も切ってある。

ということは、何も成長しないまま期限が到来すれば目標は達成できないことになる。

だから気分はちょと焦る。

でも、そんな繰り返しだ。

そんな繰り返しのまま”大期限”に近づきつつ生きている....ということだ。

 


いくつかの五カ年計画も、18年前にトレーニングを始めたことも、一通りの人生の採点の”区切り”をそこに置いている。

その後も生きていられるかもしれないし、その前に死んでしまうかもしれないが、とりあえず”生きて迎えられる”ならば、そこでの”決算”を気にしている。

人生ゲームの「決算日」のようなものかもしれない。

 


そこでの「数値」にこだわっている。

 


「心だ」「仲間だ」「目に見えない指標がある」....は否定しないが、そんな自分自身にも言い訳できるような指標は”目標”とは言えないと言い聞かせている。

動かせない目標だから、自分から近づくしかないとなる。

 


そんなものが一応ある。

レベルは低いが、そんなものを節々で設定もしてきた。

それらの一番大きな区切りまで、あと約2年半になってきている。

 


改めて考えてみて、ちょと驚いた。

正直、楽ではない人生なので、早くにその地点に辿り着いて、ちょいと楽したいと時々思ってもいる。

が、「あと2年半になっちゃっているの?」とも思ったからだ。

 


正直、そこまでも大変だが、それ以後はさらに明るい未来が無い。

楽しみもなさそうだ。

五木寛之じゃあないが、「下山の人生」を覚悟している。

もちろんしょぼくれることには抵抗してゆくだろうが、広い宇宙のちっぽけな一生命体としちゃあ逆らえない運命もあろう。

 


そんな毎日の中、あたかもスライムに取り憑かれたような毎日だ。

昔、なんかのバラエティ番組で、人間ゴキブリホイホイ、みたいなのをやっていたが、あんな感じ。

前進どころか日々の出来事にもんどりうっているだけで....

時間は過ぎている....

 


まあ...そうは言っても、多分あと2年半の”その後”を多分考え始めるんだろうな、懲りもせず。

そんな気もしている。

 

 

 

中庸...実に中庸

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「金持ち」...っちゃあ、まあ、書きたい事書いているからタイトルに品が無くても仕方ないのかもしれないが...

それにしても下品なタイトルだ。

早く流したいので更新。

 

 

頭が悪いわけでもないが利口でもない。

貧乏でもないが金持ちでもない。

ブサイクでもない(と思うが)イケ面でもない。

 


中庸。

まさに中庸。

先回の話じゃないが、今更に中庸であることを知っていたんだけど...

「いやいやせめて中の上ぐらいまでに」

「できることなら中の上の上ぐらいまでに」と

諦めてはなかったんだが....

 


でも、いまだに中庸。

何をやっても中庸。

どこをとっても中庸。

なんじゃこれ。

 


自分で思っている以上に、「人のこと」を気にしない性格のようだ。

同窓会が意外にも苦痛じゃないのは、皆がよーく他の人のことを観察し、情報を知っていたこと....を改めて知ること。

卒業後のこととなると、尚ビックリするんだが、在籍中、つまりは自分もそこに居たのに、自分はけっこう知らない。知らなかった。

ことを聞けるのが妙に新鮮。

 


まあ、自己中とは思っていたが、我ながら呆れるほどに、何も知らない。

「へえ~だから、そうだったのか?」と今頃納得したりしている。

そんな情報の遅い子だったからか、けっこう自分を「少しは上の方かも」とか勘違いもしていたんだろう。

が、改めて振り返っても...やっぱ「中庸」じゃねえか、と。

 


よーく考えてみれば、誕生日も、生まれた年も、地域も、何もかもが中庸だ。

中庸の中の中庸であると言えるぐらいに。

これじゃ大した人生になれるわけない。

ということは最後まで中庸が嫌でじたばたしつつも中庸で終わる。ってことなんだろうな。多分。

 


そんなにも頑張ってきた人生とも思わないが....

7割ぐらいは頑張っていたかと....

 


あっ、そこも中庸なのか。