小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

錯覚

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"混沌"となっている原因の一つに”スポーツ”があると思っている。

今は”体調管理のため”のトレーニングとて、最初の頃は”ダイエットからの現役復帰”をもくろんでのことであったし...

 


今じゃそれほどのスポーツへの”こだわり”が自分でもわからないのだが...

多少なりともその分野でメシを食ってきた”過去の栄光”ってか、褒められる部分の少ない自分にとって唯一賞賛を受けた分野であったので、

手放してしまうことでの不安を払拭できないのだろう。

 


トレーニングはいつしか18年になった。

負荷は相当に低くなっているので、トレーニングというより傍から見たらば”単なる健康運動”なのかもしれなが、

飲み食いタバコし放題であった自分が、今現在でもそこそこ健康に生きていられるのはこの”健康運動”のおかげであることは否定できない。

ものすごく簡単な話が、健康でなければ”余分な運動”なんかする気にもならない。

 


が、だからこそ”いつまでもスポーツマンであるような勘違い”から離れられない。

見てくれだってとうの昔にスポーツマンじゃない。

そりゃあある程度鍛えているし、体調だけでなく体型にも気を使っているので、一見すりゃあ今でも運動出来そうなものだが、正直いくら出来たとしても若い頃のソレとは違う。

違い過ぎる。

 


わかりやすく言うとフィギュアの公式練習で羽生君はじめ若いスター選手が練習する中、多少腕に覚えのあるジジイが突然現れ、自慢げに一回転ジャンプを披露するレベルだ。

たしかに昔取った杵柄で”一回転”はなかなかきれいだが、二回転は絶対飛べない。

そういう運動能力になっている一回転だ。

”イナバウワー”も出来るのかもしれない。

が、これも「ものすごく曲がっている」のではなく、「イナバウワーに似ているぐらいに中途半端に曲がっている」ものだ。

そんな程度にしか出来ない現実がある。

でも、何もやっていない同年齢に比べたら、”とりあえず”運動が今でもこなせる。

これを”自慢”しているようなものなんだろう。

 


若い頃なら「今はそんなレベルであっても」...この先練習してゆけば「今よりはうまくなる」期待が持てるものの、

今後衰えの加速度が違ってくる自分の年齢じゃあ「もっとうまくなる」なんて期待は幻想でしかない。

浅田真央でさえ引退するんだ。

 


...スポーツの楽しみ方はそんな狭義なものでないことはわかる。

が、いつまでも”白昼夢”を見ているわけにもいかない。

それでは現実にも迎合してゆかない。

つまりは....いつまで経っても”混沌とした毎日を送るだけ”のことになる。

 


ということで、長いこと御世話になってきた”スポーツ感覚”から少し離れようと思う。

恐らく人生物ごころついて初めてだと思う。

ずっと運動と共にあった。

現役から離れている間でも、どっかしらでスポーツとの関わりがいつもあり、自分自身ではないがスタッフとしての関わりからでも日本で二位にもなったりもした。

そんなことも、ある意味、自分にとっては”勘違い”の原因になっているんだろう。

とうの昔に自分自身は”現役ではなくなっている”のに、”今でも通用するかのような”錯覚に。

 


案外”寂しい”とかの気持ちはない。

むしろ「いつまで青春やってたんだ。馬鹿じゃねえのか?」の思いの方が強い。

それだけに冷静に振り返っているのかもしれないが、とうの昔に似合わなくなっている道具やコスチューム?の多いこと(笑)

それだけ”しがみついていた”ということなんだろう。

なんせ”自慢のネタ”も運動しかなかったしね。

 


トレーニングは続けるつもり。

が、自分にとって断舎離すべきは”スポーツ”だったんか?

というのは、なんだか笑えるような笑えないような...

 


...こんなこと...社会人になった時に分別しとかなきゃいけなかったことなんだろうけど...

まあ、随分愚かな人生なもんだな、と重ね重ね思う。