小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

年末年始無事終了

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だらだらと過ごした割には、いろいろと遅れることなく年末年始のスケジュールは消化できた。

ちょと不思議なカンジもするんだが...

考えてみれば、「遊びに出かけなくなった....」というのが大きいんだろう、やっぱり。

 


年末年始に限らず”遊びに出かける”ことは少なくなった。

もともとは....毎週でも、いやさ出来れば平日も、週休4日制で3日のみ働くぐらいでも、”遊んでいたい”と思う方だったのに...

 


頭の中の整理のために...思い当たる理由というか要因を並べてみる。

①仕事第一の生活になって、そもそも遊びに優先的に時間を割くことがができなくなった。

②仕事で十分に疲れることが多く、プライベートな時間にまで疲れていられなくなった。

③これまでに十二分に遊んできて、今さら苦労してまで遊ぶ気が失せている。

④遊ぶにしても”快適に”遊びたいので、苦労や苦痛を伴う遊びに積極的ではなくなった。

⑤苦労や苦痛は日常や仕事上で嫌というほどに味わうので遊びの場でまで味わうぐらいなら遊びに行きたくなくなった。

 


ってなところか?

よってせいぜい積極的になれるのは...「飲み会」ぐらいなもんだ。

苦痛もないし、努力も要らないし、クーラーも、ヒーターも完備しているし(笑)

...で、いいんじゃないの、と思うようになった。

 


なので、こんな生活に別段の不満もない。

いや、むしろ...凍傷になりそうな雪山や日焼けを過ぎて焦げてたんじゃないかの真夏の太陽の下を、どうして我慢できていたのか?不思議に思うぐらいだ。

 


そもそもに....そういった厳しい自然から逃れるためにも人間は文明を発達させてきたんだろうに...

なら、快適な方に向かうのは”当然の選択”でもあるはずだ。

 


かつては「遊びの快楽」に痺れていた。

仕事も家庭も犠牲にしていたと思うが、冷たい視線から逃れるようにさらにより積極的に”遊び”に向かった。

いや、逆かもしれない、仕事や家庭の苦痛から逃れるために”遊びという麻薬”に溺れようとしていたんだろう。

 


そして...結局は仕事がうまく行かなくなって....

目が覚めた

ってなところか。

 


今の自分にとっては”遊びは麻薬”ではなくなっているんだろう。

なので逃げ込むこともないのだろうし、溺れたりしてたらば、かえって後々苦痛になることにも気が付いているようだ。

少し不思議な感覚だ。

 


とある知人からスキー場からの年賀状を戴いた。

不思議なことに全く羨ましくもなかったし、行きたいとも思わなかった。

いや、負け惜しみでもなんでもなく。

 


多分...今の一番の快楽は仕事を成功させることなんだと思う。

いや、それはかなり難しいんだが...

そこまで行かなくとも、遊びの麻薬に酔いしれる...どころか...いつしか、時間も無いのに遊びに出かけて仕事や所用がふんづまる方が...よっぽどか苦痛になっているということだ。

いつの間にそうなったのか知らないが...

で、その方が割とスムーズに生活できているということなんだろう。

 


忘れないようにしたいな。

まだどっか自分の中のわからない場所に、遊びに疼く虫がたくさん隠れているような気もするので。

始動

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年末から飲み倒しているせいか?体調がよろしくない。

ま、当たり前の話であるし、誰のせいでもない。

そして、寒いので外にも出たくない。

たまたまに一日、二日と、恒例になっている訪問の予定もあって外出はしたものの...今日は出たくないそのまんまで家に居る。

おそらく...年賀状の返事出しとちょいとした枯葉のそうじ以外は居ずっぱりになるだろう。

まあそうは言っても半分ぐらいはこれでも”予定通り”だ。

 


と言うのも...昨年の年始には年末からのバテで体調を崩してしまったこともあり、今年の年始2日間は”まるっきり”仕事をしないことに決めていた。

そもそもの下地に、貧乏臭いというか、時間を惜しみ過ぎるというか、少しの暇を作ってしまうことも”悪”とするようなところがあって...

「丸一日何もしなかった」ような日は”最悪”のレッテルを自分で貼ったりもしてしまう方だ。

ましてや”忙しい時期”であればあるほどに、そんな時間は”もったいないもの”とされ、後々ふんづまってくると...「やっぱ、あんとき頑張っておきゃあよかったんだ...」と後悔の種になること必至。

 


...の結果が昨年のダウン。

これまでの人生も大体そう。

途中...シンドい時に...”少し休んだ方がいいんじゃないか?”と脳裏には浮かぶ...

浮かぶ...んだが...そんな時は...「ここが、こここそが、”頑張りどころ”」と鞭を入れてしまう方だけに....ダウンしてから判断が間違っていたことに気が付くハメになる。

 


その予防線というか、そんな思考の改善として、今年の年始二日間は、「まったく何もしない」と決めていた。

ボヤんとテレビをつけてみたり....それも良いかと...

 


というわけで、今日からぐらいは「チョイト動こうかしら...」ともくろんでいたんだが...

昨日の恒例年始ジョギングの後遺症であちこち痛過ぎて...なかなかフトンから出られずに居た。

やっぱ歳喰ってきたな、と改めて思わされる。

それじゃいかんと、年始でもあることだし...五度目の目標でも固めてみようかと....

 


まずもって”期間”は現在の五カ年計画の残りの期間を流用し、そこを「早く到達したのでノンビリ過ごす」などとは言わせないようにした(笑)

”量”ももくろんだ。

 


普段の行動にはさほどの影響は無いんだけれど...

まあ...加齢というか、予想したくない”衰え”からの加減変更は必至だと思う。

ここ数年ずっとそんなカンジで、やるにはやってるが...もう無理が本当に効かなくなってきた。

丁度今駅伝やってんだが...若い時なら前半に飛ばし過ぎてしまったとしても...案外後半も行けたりしたものが...

確実に”無理の代償”が訪れるようになった。

そこを予定しておかなきゃならない。

 


に、加えて...状況というか...環境の変化も、これまで以上にキツくなっていくと予想している。

森友・加計問題は誰が悪いと断定できる立場にはないものの、国のお金がそこに使われる事業にしちゃあ「明らかにおかしい」から問題になっているわけだ。

他にも補助金貰える事業は山ほどあっても問題にならないのだから、極めて異常な貰い方ではあるはずだ。

大相撲もそう。

ビットコインもそう。

そして日本の大借金もそう。

本日の朝日新聞にも、正月早々だというのに暗い警鐘記事が堂々と載せられているんだが....

ウーマラッシュアワーの村本よろしく、「億り人」には興味を持つ癖に、そこは考えないわけだ。

正直...あまり良い予感はしない...

なので今回もさらに、目標達成は「遠い道」だと思えている。

 


が、そんなことを言うなら、そもそも目標を立てる意味すら半減してしまうので、ま、自分も今の日本の状況は...見て見ぬフリをしてしまうんだろう。

いやさ、そうでもしないと”明るい未来”なんか想定できない...という、まあ引き算からのような思考だ。

 


”次の目標”の期限は一応”2年半後”とはしている。

が、人生の本当の清算期日はその次の5年後なんだろうと踏んでもいる。

けっこう「遠い先」と思っていたから具体的な期限を設定することはなかったが...哀しいかな?案外近づいてきてしまった(笑)....ようだ。

この2年半とて、2年半前には「けっこう遠い道のり」だと踏んでいたはずなんだが...過ぎてみりゃ”すぐ”だ。

まあ、後悔しない程度には頑張ってきたから、目標にも手が届いたんだろうけど...サボろうと思えば簡単に過ぎてもしまえるほどのわずかな期間であることもわかる。

もし...サボっていたらば...

と考えてみるなら...けっこう恐ろしい心境になる。

 


今は正直”7年半”は遠いと思っているし、とにもかくにも、その前の”2年半”をまず...というべきだんだが...

そこで”終わり”じゃない覚悟は育てておくべきか?といったところ....

 


そういう中で、今年も始動しようかと思っているんだが....

記憶に新しい昨年の年始早々のダウンは、ある意味一つの良い警鐘にしてゆこうとは思っている。

どんなに美しい途中経過があっても、目標到達前に「倒れちゃ終めー。」だ。

軽傷だから良かったものの、”次”さえ考えられなくなるのなら、何のための頑張りだったか、ということにもなる。

....その前の2年とて...12月は休めないのは変らなかったし、その無理から、いずれもギックリ腰をやらかしている。

飲み会を断り、遊びの誘いを断って...友人も減らしたような気がする....

 


正月の家族で撮った写真を見て、随分フケたと思った。

第三者的に見て、”しゃかりき”はもう全く似合わない(笑)

 


昨日の年始初ジョグはその象徴か?

のんびり進んだからゴールに到達できたものの、記録とか、スピードとか、格好良さとか、そんな色気を出していたら....

肝心の”ゴールへの到達”が出来ない...と

そういった哀しい年齢になってきているという自覚は...昨年にも増して必要なんだろう....

さあ、ともかく”四度目”の目標は過ぎ”五度目の山”に登ることになったのだから...祝宴も終わりだ。

の割には....カラダの重いスタートだ(笑)

ま、自分が悪いんだけど。

 

仕事納め

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仕事納めの日。

今大掃除が終わった。

休み無く働いてきた12月。

例年ここからさらに残って仕事をするのが恒例なんだが...

今年は何故かもう仕事はしたくない。

やめだ。

早よ帰ろ(笑)

 


今年も昨年に増して不遇の年であったように思うんだが...

それでもなんとか乗り切ってこれたのは....予定を前倒しで処理する習慣が多少ついてきたからのように思う。

けっこうそれに救われた。

いや、それがなかったらかなりの修羅場を創造していたように思う。

 


常に前倒し、前倒し...だと、結局「休み」もなくなるんだが....それでも「余分に進んでいる感」に救われることは多いし、救われたと思う。

現時点のトレーニングとて、来週の月曜日分まで終了しているので、プライベートでも多少ゆったりできる。

そういった余裕も持てる。

現役で居る限り、この姿勢は続けたい。

 


また、今年は「やるべきこと」を珍しく減らした年でもあった。

資格取得のための勉強を止めてしまったのは正解だったと思う。

続けていたらば”目標”の達成もまだまだだったと思うし、ヘタしたら挫折していたかもしれない。

資格取得のための勉強は...多分...リタイヤでもしない限り当面しない。

おかしな言い方だが...資格取得のための勉強を止めてみて、ちょっとばかり冷静になってみたらば...それ以外に勉強しなければならいことがたくさんあることが判明し、「どっち向いてんだ」と我ながらびっくりしたぐらいだ。

まあ、それぐらい混迷しているというか、見失っていたということなんだろう。

 


超人でもないので...年齢を感じることも多くなったが「次の目標」も少し具体的に見えてきた。

5度目の目標になるが、4度達成しているからという自信が全く持てないのが笑える。

笑っている場合じゃないんだが...

 


本日仕事納めの飲み会がダブルブッキングしている。

いわゆるダブルヘッダーの飲み会だ。

12月の初め頃、約束した時は「それどこじゃないかも?」とかなり気が重かったが...

ま、それこそ余裕で参加できるようにと我武者羅に頑張ったかな?

 


1月とてかなり大変になることは目に見えているが....

とりあえず....今日は、カラダを壊さない程度に楽しもう。

たまにゃいい。

とりあえず”次へ”...かな?

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”しょぼい目標”とは言えども...一応は人生最高の到達点としての設定だったので...それなりの余韻に浸りたかったんだけど...

忙しすぎて回顧する暇もなかった。

で、焦って酔っ払って寝る直前に書いたんだろう...前回の文章は....

ひどいもんだ(笑)

ま、記念として消さずにとっておこう。

 


しかしながら余韻は期待していたほど無い。

むしろ正直言って、先の不安も少なくはなっていない。

目標達成以前と比べて多くなった...ということもないが、目標達成の安堵が不安を差し引いた...ということもない。

つまり...何も変らない。ということ。

 


今回もそうだったのか...というカンジ。

こういった類の”目標”は、これまで4度設定してきた。

つまり4度達成してきたわけでもあるんだが...

大体において達成が見えてくると....次のハードルの設定を考え出している。

毎度。

つまり....目標達成の時点では、気持ちはもうかなり”次”になっている。

 


本人の感覚としては...”前向き”だからじゃない。

結局のところ...目標達成で埋まるモノはない...から”次”を探し始めてしまう...といったカンジだ。

なんとなく乾いている自分のどこかが目標達成によって”満たされる”ことを欲しているはずなんだが....

そうはならない...ということ。

 


どうしてなのか?は今のところわからないし、わからないから4度も繰り返している。

そして多分...今現在は超忙しいので5度目の具体的な照準が整理されていないだけで...

余裕が出来たら...多分...5度目も設定するんだろう...と思う。

 


そうやって...いつの日か...本当に達成できず...”達成できない目標”だけが残る...ってのが”最後の目標”になるんだろう....

そのはかなさ?悔しさ?とともに...どんどん老いぼれていくんだろうか...

 


毎度毎度、「今回が最終か?」と思ってきたことが...

4度目まで達成出来たことだけでも喜ぶべきことなのかもしれないが...

その有難みを本当に実感するのは多分....

達成できないと観念した”最後の目標”の時なんだろう...

 


そう思うと....

なんだか悲しみを最後に味わうために努力しているようなもんだ。

なんだかな...

しょぼい目標の達成の瞬間(笑)

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さあさ...

多分...”愚痴”吐いていると思うけど....

今年の12月も休みなく過ぎている間に....

”人生の目標”を達成した。

 

 

って書くとなんだかおかしいんだが...

”人生の目標”がそんなに軽いのか?とか...

”うまく行ってなかったんじゃないのか?”とか...

 

 

ま、とりあえずそんなやっかみはどうでもいい。

ともかくに...2年半前に設定した”目標”にとりあえずタッチした。

そんな程度なので...今後...離れてしまうことが...ない...わけでもない...”はかない”達成だ。

 

 

ま、いつもそうなので、今更身構えることもない。

ただ...”いつも”と言うように...”目標達成”すら、生涯一度という設定でもないので、そのような気構えの人が居られたらご無礼を...

 

 

いや、ふざけているわけじゃあない。

が、自分の人生をそれほどに大袈裟には考えられないってのは普通なんじゃないか?と思っているだけ。

全然”特別”じゃないだろう。

だからいつか流行った歌は嫌いだ。

どうして自分を”特別”にしたがる...

普通は...”特別”じゃあない。

”特別”と思う必要もない。

仮に...それでも...”特別”でありたいなら....

そりゃあ相当の覚悟をしろよ、と。

人とは違う”特別”な病気も引き受ける覚悟もあるんだよな...

と。

 


ま、いい。

そんなこと。どうでも。

見解の相違だ(笑)

 

 

人のことをとやかく思わなくなったのもそんなところ。

どーでもいい。

 


とりあえず、達成した。

いつかの棒高跳びの選手じゃないが、常に最高更新を狙ってきたので、これで4回目?

だから新たな喜びもないのかもしれない。

が、今回は、とりあえず、人生ここまで達成すりゃあ良しとするかな?

という設定だったので、その喜びに浸りたかった。

そうなると想像していた。

 


が...現実は違っていた。

先ほどまでも明日のスケジュールを考えていた。

いやいや、と思い、ブログに筆を走らせたが....

なんだかそれも面倒臭くなってきて...

今からはもう一度明日のスケジュールを見直そうと思っている。

 


意外に感慨の無い一日になってしまった。

もう眠いし...

 


目標って....

こんなものだったっけ....

 


なんだか....ともかく...眠い。

なので...寝る。

 

いつまでも剛速球が投げられるわけじゃない

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あいかわらず「原点」は見つけられない....

が、得体の知れない不安の”原因”は少し見えてきた。

 


それは、自分の人生上で、ついに、自分が、ピークアウトしそうになっていることだ。

 


今のところは....ピークアウトはしていない。

と、思う。

ここ数年土俵際だが、”減退”の手前で踏ん張ってきたと思う。

 


のように...けっこう粘ってもきた。

が、ここ数年ブログで書いてもいるように、どうにもこうにもうまく行かない。

あれやこれやと色々手を打っても、滑り落ちる引力にかなわなくなっている。

 


あまり詳しいことはわからないが、役職定年や非正規雇用の蔓延する現代のピークアウトする平均年齢は超えてきているんじゃないだろうか?

なので、ピークアウトに至っても仕方がない...のかもしれない...

ましてや超人ではないので、自然のこと、ぐらいかもしれない...

のだが...

今までピークアウトしたことがないので嫌なのだ。

不安なのだ。

 


そりゃあ、スポーツだとか知能の面じゃあとっくの昔にピークアウトしているんだろうが...

経験とか熟練とかそんな総合的な力量で繕ってなんとか誤魔化してこれたんだろう...

そう...

若い頃ご自慢の剛速球は通用しなくなったが、熟練の投球術を生かした軟投派で生き延びているようなもの...

 


が...それでさえも通用しない気配が出てきたというわけ。

しかも...かといって今更”他の道”

への転向があるわけでもない。

要請もない。

希望もない。

道筋も見えない。

ということは...ついに”引退”が近寄ってきたのか?....

 


だから不安だったのか....

 


なるほどね。

自分が不安なのは戻れるような「原点」が無いからじゃない。

未来が見えないからだ。

さらに衰えてゆくであろう自分が活躍できそうな未来が見えないからだ。

いや、もともとに未来なんざ見えてた方じゃないが、それでも昔はうっすら感じた希望の灯でさえ、もう感じられなくなってしまっているからだ。

 


とりあえず....明日どうのこうのという話じゃない。

明日はこのまま続けられそうだ。

が、来年はわからないな....

から半年後はわからないな...になり

ついに来月はわからない、までにはなってきている。

”その時”は遠くなることは絶対になくても、確実に近づいてきているというわけ。

いよいよ近づいてきた感じだ。

 


軟投派に転向すると...「らしさ...がなくなった」...などと揶揄されることが多いものだが...そんな中傷は結果さえ残せるなら耳にも残らない。

むしろ衰えさえエネルギーにも転化できるというもの。

違う投球術の楽しさもある。

転向...ではなく、何度かの転職もしてきたが、それも引退→再就職ではない。

むしろ山頂を目指すために”もっと早い道”を選ぶようなもの。

 


が、”引退”は違う。

今の自分にとっちゃあ”終焉”をイメージしてしまう。

 


....たしかに....最近は、少ししんどいな、と感じる朝も多い。

まだ世間的な定年には遠いが、定年という制度があるのもうなずけるように思えてきている。

あと何年かで、楽(らく)しようかな.....と思う時も正直ある。

が、その”楽(らく)”を現実的に想像してみると...どうにも楽(たの)しいようには思えないのだな、今のところ...

 


テレビを見ていて嫉妬を覚える原因もわかってきた。

ずっと活躍できている人々が居るからだ。

いつまでも現役で、若い方々と楽しく過ごしている(ように見える)人々が大勢映し出されるようで羨ましく思うのだろう。

が、そんな人は”特別”だからテレビにも出ていられるわけで...

普通はまあ、哀しいかな誰にでも確実にやってくること...いつかはそうなること...

なんだろう...

 


いやいや引退が近づいた選手ってのは成績も残せなくなっていることが多いんで、ボロカス言っていた気もするんだが...

いざ自分のこととなってみると情けないもんだ。

 


まあ横綱でもないし、スタープレイヤーでもないし、キッパリ引退はしなくてもいいかな。

いやいやカズとかイチローとか改めて凄いなと思うかな。

 


ボロボロになるまで....とは言えないが...

やれるところまで散々粘り続けるってのが一番後悔しない道かな。

答....見つからず。

ついこの前まで”ファジーな生活”って言ってたくせに

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「前」の文章を書いてからもう一週間経つ。

が...忙しくって忙しくって、「原点」の答えどころかブログさえ書けていない。

まあ、例年12月は一日も休みが無いので、こんなもんだ。

ある意味「原点」なんか知らなくても生きていけるってことなんだろう。

 


しかしながらこれは...「原点」ではないのかもしれないが....

「モチベーションの起点」のようなものを想像した時には、案外ダークな感情からスタートするものなのかもしれないとは思っている。

「親孝行をしなければ...」「彼の愛情に報いなければ....」という”立派”な方々も居られるんだろうが...

自分の場合はもうちょっとネガティブというかマイナスというか...あまり褒められない側の感情から「やる気」につながっていることは少なくないように思う。

なので「原点」と言われても、「思い出したくない感情」を探ることになるので、消極的になるのかな?

 


「復讐心」とでも言おうか...

他人への復讐だけでなく...醜かった...あるいは「出来なかった」自分への復讐から「出来るようになってやる」ってなことにつながるのは少なくないだろう。

よく「負けず嫌い」などとも言われるが、そんな人が妙にうっとおしいのも...そのためかもしれない。

なので...「原点に立ち帰る」ということは、「醜い自分を掘り下げる」ことにもなろうか....

 


しかも...人間一カ所にとどまっているわけでもない。

歳とともに成長し、居場所も移している。

それぞれの時代にそれぞれの場所を「全て成功」で収められている人は珍しいだろう。

ということは、多くの時代と場所に遺恨と怨念を残してきたりもするわけだ。

 


まあ、そんなおどろおどろしい話しばかりでもないが...

自分の場合は「褒められたからやる気になった」なんてのは、「少なすぎる」エネルギーだ。

燃料にもなってないような気がする。

 


20年ほど前からようやくトレーニングやら訓練というものを意識するような日課が出てきたんだが...

それとて、それまでは「必要を感じない」からやってなかったのであって、どうして感じなかったのかといえば、「その程度の頑張りと結果」で別に構わなかったということなんだろう。

ある意味「欲がない」状態で、精神的にはけっこうなことのように思うんだが...なんせ欲がないので稼げない。

稼ごうとする気力もない。

それでこの世を渡るのは非常に難しい。

 


で、結果が残せなくなってきて、「どうしてなのか?」とフト気が付いてみたらば案外皆さん遠くに居て....

相当に置いていかれているんじゃないかと....

そんな時の焦りやら妬みやら嫉みから...ようやく「動き始めた」んじゃないかな...と。

 


贅沢を求めず今の状態で満足できるのであれば...

「このままでいい」....と、努力も求めないのかもしれない。

それも「善の心」なのかもしれない。

一見穏やかだ...が、見方を変えれば...怠惰にもつながる。

 


一方、心が満たされていない状態を”渇望”と言うのだろうか?

「もっと、もっと」

「さらに、さらに」

おそらくそんな感情はとどまることを知らない。

少なくとも自分の力の限界を感じるまでは....「もっと、もっと」になるんだろう....

 


奇遇にもSTAR WARS上映の時期になっているが、「満足しない」気持ちがないとデススターの製造には至らない。

より強いデススターにも至らない。

それは「負のエネルギー」なんだろうか?

”同じような”エネルギーで、地球上の大都市も造られてきているんじゃないだろうか?

住むのに、生活するのに、活動するのに、必要の無い高さにまで高く造られるビルディングは、「正のエネルギー」だけで探求されるものなんだろうか....

それらは”向上心”というマントを被った「満足しない醜い欲求」の表れなんじゃないのだろうか....

 


自分のことも...別にさほどに醜い心の持ち主とは思いたくはないんだが....

人に勝ちたい。

負けたくない。

なんてのは....競争社会におけるモチベーションとしては「必須」なのかもしれないが....

それは「他の人より上に居たい」という、”平等”の発想からはかけ離れた....”共存”を考えた時には迷惑な精神構造じゃないかと...

ましてや「一番じゃなきゃ」「てっぺんじゃなきゃ」ってのは、「誰よりも優秀でありたい」という怨念に近いような復讐心であって....それって他人にとっちゃあ、ある種の”凶器”のようなものでもあるんじゃないかと...

 


まあ、いずれにしたって自分は中途半端で、どっちもあり、でどっちにもつかず、だろう。

しかも....「原点」にすら帰れず、多忙に忙殺されたまま年を終えることになるんだろう(笑)

 


正直”ゆとり”も欲しい...が、金も欲しい...ので、来年もあまり変らないとは思うが....

年々”中途半端”が通用しなくなってきている場面は多い。

世の中はサディスティックなほどに”シビアさ”を追求しているように思う。

 


いつぞやの「ファジーな生活」は何処へやら...だ。

 


原点は...やっぱ「嫉妬」か?

とても醜いんだけれども....