小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

体重を知ってることが自分を把握してるってことじゃないだろう

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”自己分析”やら”本心の掘り下げ”やらは、あまり素人が勝手にやらない方がよろしい...とか聞いたことがあるんだけど....

自分の場合は「やって良かった」と思っている。

 


当然ながら「ここまでの経緯」を元に自分を暴いていく作業なので、「過去の自分をどう捉えるか?」というところが鍵になる。

あくまでも”自分の場合”ではあるが....楽観的というか...肯定的な見方は”その時点”では安堵感をもたらすかもしれないけれど....その後の自分を幸福には導かないと思う。

極端に言えば、「生まれながらのままで脱皮の必要もしないなら」....そりゃあ虫でさえ社会で通用しなくなる。

欠陥とまでは言わないものの、”欠点”や”足りない部分”を正しく認識できてこそ開ける未来もあるってもんだ。

 


もともとに自惚れ屋ということもあって、まさかの自分に醜い部分や汚い性質や卑怯な心なんて「あるはずがない」と言いたいんだが....

そんなもの....恐ろしいほど「持っている」。

本田圭佑は「サッカーの腕前や運を持っている」らしいのだが....自分が持っているのは残念ながらあまり良くないものだらけだ。

 


しかし....それもちゃんと考えれば当たり前のことだ。

良いものたくさん持っているならば....とうの昔にブレイクしている。

”そこいらへんの一般庶民のままでいる”事自体が、”足りない部分”の多さを証明している。

 


自分のことを正しく知ろうと言うもくろみがなかった時は、ほぼ肯定的である一方で、よく悩みもした。

いや、悩むというよりは「よく、人に憤りを感じた。」

....これは普通「人のせいにする」とも言い換えられる。

 

 

”人体実験”やら”自己分析”によって改めて見る自分ははっきり言ってみっともない。

正直残念だ。

が、だからこそ「今出来ていないこと」「これまで出来なかったこと」の理由ははっきりとわかってくる。

そりゃあ”環境”や”成り行き”の影響が皆無とは言えないが....

どんな理由があるにせよ....今の自分に至っているのは、やっぱり”自分のせい”だ。

”そこ”が理論的にも、よーく納得できるようになる。

 


”残念な自分”....だからくじけてしまう....のではなく、

”自分が残念な存在”であるからこそ、”残念な位置から”スタートするしかないんだな、ってのがよくわかる。

 


自分のサイズを正しく知らなかった時は....

飛びついても届かないものへの努力で疲れ果てもしたし、

大事な人を付き合うに値しないと邪険にしたこともある。

何よりも、出来もしないところまで想像するのは勝手だが、いかにも出来るかのように振舞った。

そんな装飾は全く無意味だというのに....

 


くどくどと同じようなことばかり書いているブログで、

何の前進も無いように見えるだろうけど...

これでも、”足りない自分”と向き合うようになったことで

随分と変わってきていると実感している。

なので今後も続けるつもり....

 


足りない自分でも愛おしい....

などと思うはずはない。

悔しいとまでは思わないが...哀しいし、寂しいことだし、残念だ。

虚しい....かな?やっぱり。

でも、それが等身大の自分だ。

けっこう虚しい....

のが等身大の自分なので、せめて少しでも....

虚しくない人生にして行きたい

ってとこなんだろう。

 


別にこんな顛末を願ったわけでもないし、狙ったわけでもないんだが....

”自分研究”をするようになってからの方が...案外淡々と生きている。

静かになったというか....

 


ひょっとかしてただ歳を取っただけだったりして....

「膿を出し切る」って簡単に言うんだけれども....

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団体内の相次ぐ不祥事にお偉いさん方が好んで使っているようだが....

「出し切った」ところは見たことがない。

 


まあ、所詮は自分のことじゃないので冷ややかに見ているけれども....

出し切っていないということは....

また膿んでくるということだ。

 


「自分を成長させる」とか、

「自分を変える」というのも同じことだと思っている。

”膿”とまでは言わないが、「自分の成長を止めているモノ」やら「頑なに変わろうとしない部分」をまずは見つけ、それをどうにかしてやらないことには....

一生懸命走るだけ走っても....

多分....徒労に終わる。

 


くどくどと同じような反省やら後悔ばかり見つけ出しては、羅列しているこのブログとて、永遠にそれを続けようと思ってのことじゃない。

出来ることなら早いうちに...「出し切りたい」のだ。

出し切って、正すべきことをハッキリさせなくては....

どんな努力もまさに「膿上の楼閣」になってしまうだろうと....

だから見つける度に書き残しておくようにしているだけのこと。

 


そもそもに....

現実の世界では、ここに書いているほど反省や後悔ばかりしているはずがない。

そんなに暇じゃないし、そんなことに熱心でお金をいただける場所はない。

 


さらに言うなら実は次の目標はもう出来ていて....

それに向かって歩み始めてもいる。

 


えらい猛暑で流石に夏は気絶したかのようになっていたけれども....

回顧ばかりじゃ前に進めないと....一月ほど前に大枠を定めた。

今回の期限は短い。

1年と9ヶ月だ。

明日にも終わるかもしれない立場のくせして....5ヵ年計画は夢過ぎる。

まずは絶対に譲りたくないところまでに全力を集中すべきだ。

 


ただ....目標を達成するということは本当に簡単じゃない。

ましてや年齢も年齢なので、やり直しも効かない。

すれば短所や欠点や醜い部分が「無いかのように」蓋をした自己評価で、本当のカイゼンなんて出来るものなのかと....

 


ということで目標達成への努力と、「俺の膿って何なのさ」を平行してやっているというわけ。

 

本庶佑さんからの話(2)

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そこからの比較で自分を見てみるなら

現在の自分がどうしてここに居るのかもよーくわかる。

それはもう”居るべくして居る”ようなものだ。

人生はやっぱりそうなっている。

なのにその位置に不服を感じる俺や親父はどこか自己評価が狂っている。

 


たしかに少々は頑張ったこともあるのかもしれない。

だから最低ではない....と、思う....

でも、やっぱり”少々”頑張った程度。

 


親切な気持ちが無くはない。

が、思いやりが強いと言えるようなところまででもない。

良い人と思われたい姑息な程度?

だからそんな程度。

 


突発的にまあまあの成績を出したこともある。

が、平均したらしれている。

やれば出来る?

”やろうとする能力”が備わっていないだけのこと。

だからこんな程度。

 


小さな小さな集団の中では運動も出来た方なのかもしれない。

”評判だけ”

結果は?

日本一という結果すら?

...残したことはない。

 


全てにおいて....

平たく言うなら「しれた程度」。

ただ....御世辞のネタぐらいの長所ではあるようで...

そんな”ホメ言葉”を真に受けただけのこと。

なら、結果も「しれた程度」で、むしろ上出来なぐらいだ。

 


それをかなり「出来る方だ」と勘違いしてきた....

そんな、これまでの人生に後悔がないと言ったらウソになる。

が、後悔してもしょうがないほどに、あれもこれもが「不出来な自分のせい」だということを、

本庶佑みたいな人が現れると....

よーく思い知らせてくれる.....と言うわけ。

 


なんだか、不思議だけれど、少しスッキリさせてもらえたりする。

改めて....「あー凡人なんだな」と肩の力が抜けたりする。

並のくせに気張っていた自分が恥ずかしかったりする。

いや、俺と同じく”凡人のクセ”して....

安倍総理をコキおろし、貴乃花をコキおろし、高橋吉伸をコキおろしている父親は....

一体何様にまでなっているのかと恐ろしくなってしまう。

俺も...そう覚醒してしまっている時があるんじゃないだろうか.....

 


いや....自惚れるぐらいだから、ありえない挑戦も出来てきたんだ....と言ってくれる人も居るんだが....

それも否定したい。

それら自信があるかのように見えた挑戦は....

”フザけられる範囲”でのこと....

真剣な場所での挑戦じゃない。

自惚れと自信は全く違う次元だ。

 


まあ....ただ....並の割には上出来なのかな?と思ったりはする。

それは....”単に運が良いだけ”の分だろう。

気が小さな分だけ、無意識のうちに防いだ失敗ってのもあるんだろう。

 


ありがとう本庶佑先生。

さすがは医者だ。

こんな私さえも遠隔操作で直してくれる(笑)

 


少しスッキリしてきた。

まだまだ予想円は小さくならないが....

少しながら方向性が見えてきた。

 

本庶佑さんからの話(1)

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気が小さく馬鹿なくせになんて思い上がりが強いんだ。

だからすぐに舞い上がるくせに落胆しやすく、結果腰が据わらずずっと右往左往の人生を繰り返す。

いい歳こいているのに子供っぽいという可愛らしさでは済まされない。

大したことなど何も達成していないのに、どうしたらそう思えるのか?自己評価だけが高い。

一体どこの世間を見ているのか?と。

自分に都合良く見えるようなルーペでもかけているんじゃないかと....

 


と、父親を見てそう思ってきた。

だが...本庶佑さんを見ていると...

哀しいけれど自分も父親側の人間であることを思い知る。

少しどころじゃない。

本庶佑さんの生き様とは大きくかけ離れている。

 


実にみみっちい。

実に姑息。

大きく、勇敢で、立派なように見せているけど

心根はそれとは裏腹のようにみみっちい。

だから人生が全く違っている。

能力ももちろんだけれど、それだけじゃない。

 


かけ離れた能力ある人を見た時に、自分が凡人であることを再確認させられることはよくあることだけれども....

例えば大谷君とか大坂さんとかだとは、見てくれからもう違い過ぎて、自分とは比較対象にないことが最初っから明確なので、本気に”違い”を考えるまでには至らない。

 


が、運動系等でない方々の超人具合は、単純な視野の自分にとっては”見てくれ”も自分と似たサイズ感なので、「それなのにどうしてこんなにも違うのだ」ということがより浮かび上がって思い知らされる....ということがある。

 


伝記に出てくるような偉人さんも本来そうなのだろうけど....やっぱりリアリティに欠けるので、というか自分の想像力が欠如しているのか、インパクトは薄い。

しかしながらライブ映像まで見られてしまう現代じゃあ、”生きている人は”あたかも教壇の先生を見るぐらいの近さでは感じることが出来てしまう。

 


自分より能力の高い人なんか本当は周りに腐るほど居る。腐るほど居た。

本当は気が付かないわけでもない。気が付かなかったわけでもない。

「自分のが下だとは認めたくなかった」ってのが大きいんじゃないだろうか?

 


のように...あまりにも身近な存在だったり、どんぐりの背比べ程度の違いだと....

妬み嫉みぐらいしか思い浮かばなくなるのかもしれない。

 


が、本庶佑さんぐらいにまでかけ離れると....逆立ちしても追いつけない地位であることが明確で、同じ人間としてどうしてそんなにも違ってしまったのか?

までよーくわからせてもらえる気がする。

 


何もかも違う。

もちろん親も違えば、育ちも違って、選べない環境さえ違うのだから「そもそものスタートが違う」とも言えるんだろうけど....

むしろ....物心ついた頃からも”加速度がついたように”違って行くので、呆れて笑うしかない始末だ。

 


ノーベル賞を狙っていたのかどうかは知る由もない。

が、狙わずとも至るような選択の人生だ。

”研究が”....だけではない。

むしろ”研究以外のことまでも”

生き様というか選択眼というかそういうものが自分なんかとは「全然違う」からこそ、ノーベル賞にまで至ったことがよーくわかる。

いやさ、ノーベル賞なんてどうでもいいのかもしれない。

ともかく自分とは全く違った人生になったことをよーくわからせてもらえる。

恐らく....友情、恋愛、師弟観、家族、仕事、研究、未来、責任、金銭感覚......全てのことにおいて....

残念過ぎるのだが....

自分と....あまりにも”違いすぎる”のだろう。

 

みみっちい欲張りの話

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”心の専門家”のような方々は、「あまり自分を分析したり、突き詰めるようなことは”やらない方が”よろしい」....と言うんだけれども....

サーシャコーチの居ない大坂(自分)としたらば....

いやさ、サーシャコーチ(自分)も大坂(自分)も兼用して生きている自分からしたらば....

選手(自分)の心理状況や判断基準をコーチ(自分)が「知っておくこと」は、成功に導く上で重要なファクターになるんじゃないのだろうか?

 

 

いや、さほどに大袈裟なことでなくても....

「どうして俺はそう考えてしまうんだろう」...やら

「どうして俺はそういう行動をしてしまうんだろう」....ということを”普通に”やっぱり知りたくなってしまう。

ゆえに”自分自身の探求”なんて大袈裟なことじゃなく、”それ”知ってないと自分のコントロールもうまく行かないんじゃないの?と思うんだが....

 


そんなところから....自分の人生を振り返ってみても....大きくブレてきた割には....実に”中途半端”な結果に至っている.....と分析している。

決して望んではいないのに...

が、それは見方を変えるなら....上手に”危険水域”を回避してきて平平凡凡な日常に到達している....という見立てもできるんじゃないかと思っている。

いや、それは多分自分だけじゃなく、多くの人の特徴で...それを”平凡”と呼ぶような気がするんだけれども....

 


相反する性質の共存とでも言おうか....矛盾した性質の共存を保持することで人は中庸になっている。

いや、中庸を保つことが出来ている?

 


例えば隣の芝生なんか青く見るべきじゃないと戒めつつも....本音では非常に青く見えてしまっていたり.....

無駄遣いはもったいないと口うるさく言っている癖に....そんな自分を妙にケチ臭く感じる日があったり....とか....

が....”ゆえの”中途半端でもあるわけだ。

 


いちいちそれらの境界線なんか考えて行動してはいないのだろうけど....

”それらの基準”...は曖昧どころか、”基準”すら自分自身でわかっていない場合が往往で....そんなアバウトなところからの”判断力”だったりすれば.....

そりゃもう自分の中で正誤の判断も、善悪の判断も、行き当たりばったりとさほどの違いはなく、それじゃ適切な結果には辿り着けないはずだよな、とか....

 


その上で、一つ自分を擁護してやるならば....

”矛盾の存在”というよりも、「一方に偏りたくない」というのはあるのかもしれない。

が、それは....非常に”中途半端”にも陥りやすい気質だとも言える。

あっちも良いけど、こっちもね....

という気質なのだ。

 


しかも....「こっちだけ全部」じゃない。

一つずつでいいから、あっちも、こっちも、そっちも、たくさんの全部の種類が欲しいのだ。

「いろいろな幸せが欲しい」

と言い換えられるのかもしれない。

 


みみっちい欲張りの根性だ。

 


しかしながら、残念なことに振り返っても思い当たるフシが少なくない。

勉強が出来る子と思われたい時もあったなら

スポーツが出来る子と思われたい時もあり

やんちゃな子と思われたい時もあったれば、

スマートな子と思われたい時もあったりして.....

同一人物の成せる業かと思われたりする....

 


仮に、相反する能力であってさえも、欲求が出てきた時には....

「全てのこと」で合格したい.....と望んでしまう性質だと言うことだ。

ただ....救われる?のは、全部世界一になろうというような野望はないということ。

 


でも....部活から帰って疲れ果ててでも勉強した記憶はない。

素直に眠ることを優先してきた。

あれもこれもと望む割には、それほどには頑張りたくはないと.....

つまりほどほどの頑張りで到達できる程度でいいと....

しかも....本当の実力を身に付けなくとも....”思われる”程度が身に付きゃそれでいいと.....

 


「エエーッ。そんな自分嫌なんだけど....」

と思ったところで、分析の結果は....

それが自分。

と言うことだ。

 


事実ではない自分の希望通りの気質の自分は”願望”と言う。

それは分析なんかしなくても、夢の中でも創作できる。

そして....何の役にも立たない。

そんな時代が長過ぎた。

 


されど今更ながらに中途半端な自分から生まれ変わろうとしたところで....(ってかもう無理だ)

中途半端な自分を満足させる努力の方が現実的だろと。

いやさ百歩譲るなら、中途半端な自分を満足させてから中途半端な自分から脱却しても遅くはないだろうと....多分、その頃には死んでいるんだろうけど(笑)

 


そういえば....

かつてはもう少し高み、上を、多くを、大を、目指していたようだ。

そのような残骸がいくつもある。

が、それらは現在の自分には分不相応で、正直重荷になっている。

いわゆる”大き過ぎた俵”というやつだ。

 


かつてはそれでも”我慢した末のサイズ”だったのに.....

それが、今じゃ大き過ぎるとは....

それぐらい”中途半端の間”でも揺れているわけだ。

そりゃあ中途半端過ぎるぜよ、と。

 


中途半端な人間のくせして....

目標だけが立派だなんて.....目標だけが格好いいなんて....

そりゃあ達成は無理というものでしょう(半笑)

 


やっぱり目標も中途半端な人間にふさわしい中途半端なものでないと.....みっともないんですが....

 


自惚れてはいけない。

けど、さぼってもいけない。

立派なことも言えない。

これもまた実に中庸。

でも、自分はそういう人間。

そういう結果を残してきてしまっている。

それが嫌だから、あの時こうだったら....とか、この時こうだったら....と想像するんだが....

後々後悔する”中途半端な”結果を選択してきたのは

自分だ。

 


そんなところなのだ。

謙遜でも自虐でもなく、事実がそうなのだ。

であるならば....

「そういう自分だ」という確信からスタートした方が成功への精度も高い、ということ。

そう、当然ながらにその”成功”も中途半端な成功なんだけど(笑)

 


いいじゃねえか、中途半端な成功でも。

極端な”失敗”よりは。

 


見栄張っちゃいけない。

張りたいのなら、言葉じゃなく結果で見せれば良いだけのこと。

中途半端な目標すら達成できていないくせして大きな庭の芝生なんて気にしてる場合じゃないということ。

人体実験からの今のところの結果考察

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そもそもが...ダイエットを目的としたトレーニングが実験の始まりだったので、それほどの効果を期待していたものじゃあないんだが....

まあそこから色々と実験の幅を広げてみた結果、「わかってきたこと」ってのは案外”意外”な結果だった。

 


レーニングの開始当初は「ゼロからのスタート」と言っても良いぐらいだったので、そりゃあ何でもかんでも上達しているように....感じるわけで....

「俺ってもしかして、努力してたらもっと違った人生あった?」

ってな気にもなったりした。

 


違う種目のスポーツだったり、勉強だったり、資格取得に励んでいたらば.....

官僚だったり、スターだったり、有名人だったり....とか...

 


馬鹿な自分はそんな”有り得ない妄想”に気を良くし、さらに努力の幅を広げることにはなるんだが....

いずれ天井は頭打ちになった。

しかも....案外低いところで。

 


けっこう高度な資格試験を2点足りなくて落ちたことがある。

「普通、浪人受験が当たり前だから、来年なら絶対だよ」

と言われたが、なんだか”違う”と考えた。

 


能力あれば一発で受かっている。

それぐらいの余裕を能力と言うんだろうと...

ギリギリで受かったのならともかく、ギリギリで滑っている。

そこいらは偏差値の分布が集中するところで、1点差にも密集しているわけだ。

つまり....順位の差からしたらば「たかだか2点」じゃない。

自分の能力の順位は「その位置」なんだと。

 


順位とか、能力とかはよくピラミッド型の図形で表される。

そりゃあ”上”の方でありたい。

いや、「やれば出来る子」と長年自惚れてきた自分なので、努力さえすればけっこう”上”なのかもしれないと....

期待していたわけだ。

 


まあ、さほどの努力でもないと思うんだが....

でも、いくつかの挑戦をしてきて....

「上」じゃないんだということはわかってきた。

というか....ひょっとして?と思っていたほどの「上」からはほど遠いということがわかってきた。

 


人体実験の始まりの頃の....

「努力すれば出来るかも?」は、

残念なことに....

「努力していないと、出来なくなるかも」になっている。

それは言い換えるなら、努力していてようやく人並み?

なのに....努力でピラミッドの上部に行こうなんて....厚かましいにもほどがある。

ということを思い知る努力になっている....というわけ。

 


それがどんな効果を生みだすのか?

プラスなのかマイナスなのかさえもわかっちゃいないと思うんだけど....

 


ともかく下の方なんだから....

何かやってないと沈んでしまうだろうと....

だから毎日あがいているのかもしれないが(沈みかかって溺れているのかもしれない)

ともかく、そのあがきで、なんとか浮いていられてるんじゃないか?

とは思っている。

 


人体実験を続けてきて一番大きく変ったのは自分への評価だと思う。

残念な結果なんだけれど....

妙に落ち着いてはいる。

人体実験の話

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結局のところは...

自分の身体を通して、人体実験をしているような日常になっている。

先回の十投資のところでも書いたんだけれども...

見たくはないんだが、見ないようにはしているんだけれど.....どっかで、自分の醜さやずるさや姑息さを炙り出そうとしている。

炙り出したいと深層心理で思っているようなところがある。

 


それがどうしてなのか?

どこからの欲求なのかは今のところ自分じゃわかっていない。

テレビに出ていらっしゃる精神分析医?のような方々なら見事に解明していただけるのかもしれないけれど....

解明していただく必要は感じていない。

 


面倒臭い習性のようには思うけれど....

これはこれで努力への足がかりとなっているような気もして....

というか人体実験の意識が無かった頃には努力なんかの必要性を感じていなかったから、

必要悪の習性のようには思っている。

 


今にして思えば”トレーニング”がその入口だったか?

運動に関してはかなり自惚れていたこともあり、たまたまの運動不足が続いていただけで、すぐに復活できると思いきや....

そうではなかった....だけではなく、けっこう年齢が来ていたので、故障だの疲労だのを考えつつのトレーニングを余儀なくされるようになっていった....

「どこまでなら耐えられるのか?」

「楽過ぎても効果はない」等々

まさに人体実験のようなトレーニングだった。

 


ある程度の専門分野に居たこともあり、書籍に頼ることはあまりしない。

むしろ、人のカラダのことよりも、自分のカラダが一番ダイレクトに感じるのだから、そこが最短で最大の資料のはず。

イチイチそんな面倒臭い解釈はしていないが、まあストレートに考えてもそうだろう。

自分でメニューを決め、負荷を決め、回数を決め、そして結果を”感じる”

そんなことをもう20年近くやっている。

ある意味....

人のカラダの感想を参考にしてトレーニングを計画されている方よりも、”自分のこと”は把握できていると思う。

 


そういう積み重ねからか....

いつの間にか自分の行動の多くが、人体実験のようになっているのかもしれない。

投資だけでなく、仕事でも、交遊でも、展示会でも展覧会でも、曲をダウンロードすることも、飲み会も、ネットも、ブログも、ともかくやってみる。

 


ただ、これだけ多様になってくると、24時間で全部はやりきれない。

だから今のメニューに留まっているだけで、時間があるならさらにいろいろなことをやってみたい。

そこで、「どこまで出来るのか?」を知りたいわけだ。

 


ということは同時に「どこまでは出来ない」というラインを見つけるということでもあり。

それには当然「失敗のライン」を知らなければならないということになる。

ちょっと格好つけた大袈裟な言い方をするなら.....

「失敗のラインを自分の身体に刻み込まなければならない」わけだ。

 


すれば....それは人体実験のようなものになるのかな?と。

別にMではないと思っている。

けど....

ここまで生きてきたのだから、他の誰かよりも、自分のことを知りたいわけだ。

どれだけ卑怯なのか?とか(笑)

 


それほどにも卑怯だとも思っていないけど....いい格好して隠している卑怯さはあるだろうと、意地悪に自分を試してみたいわけ。

現実の世界の他人様に、格好つけて接しているほど本当の自分は格好よくないだろう、と。

後輩達に偉そうにうんちくを垂れているほどには賢くないだろうに、と。

 


お前(俺)の正直なところの能力は?

お前(俺)の正直なところの優しさは?

お前(俺)の正直なところの精神的耐久力は?

お前(俺)の正直なところの妬み根性は?

お前(俺)の正直なところの歪みは?

お前(俺)の正直なところの憎しみは?

 


まさかそんなにも自分が醜いなんて思いたくもないからに....

自分にも気が付かれないように隠そうとしている部分があるはずだ。

でなきゃここまでもっとうまくいっていた。

いっていないのは....人のせいではないのだね。

 


というところから....

盛っていない等身大の自分をはっきりさせないと。

把握しないと。

どこから何を努力すればいいのか?なんてわかるわけねーじゃねーか。

 


という自分自身への企画のようなもの。

今のところその中心に仕事があり、トレーニングがあり、庭仕事があり、投資があり、家族があり、交遊があり、趣味があり、ブログもあるということ。

 


大きな具体的目標はいまだ見つかっていないけれど....

等身大の俺ってどんな程度?を知るのはひょっとしたら一つの目標になっているのかもしれない。

 


さあ、雨も上がってきた。

嫌で嫌で仕方がない草抜きに参ろうか....

嫌で嫌でやりたくもない草抜きに出向いてしまうのが、等身大の自分だということ。

 


そんな細かな人体実験を毎日繰り返しているということ。

何の成果も出ていないようだけど、昔より少しは盛っていない正味の自分の力は把握できてきているかな?

それが何の役に立つのかもわからないんだけど(笑)