小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

一旦落ちつこう

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今週はけっこう忙しくて....

「いつも急いでいる自分」

「急いでしまってからしか気が付けない自分」

をよく再確認できてしまった。

 


このブログでも関連の記事を時折書いていると思うんだが....

少し前から「気がつきゃ急いでしまっている自分」を発見することが多くなった。

 


最近発見するようになったから最近そうなった....わけじゃないことぐらいは振り返られる。

 


ずっとそうだった....んだと思う。

あえて「遅くやる」ってな人も珍しいとは思うけど、「丁寧に」と言い聞かせても、「丁寧でも急ぐ」になってしまう。

それはもう「丁寧」じゃない。

 


記憶にあるのは小学校の低学年から....

当時は「出来た人から見せに来て」なんてテストやらプリントやらが多くて、なんだかやたら「一番に」提出するのをモットーとしていた。

これは....”かけっこ”じゃないので、”満点”であることの方が重要だと思うのだが、本筋を読めないアホなので、「一番」をいつも念頭に置いていた。

 


どうしてそんな習性が身に就いたのかわからないが....

思い当たるのは親父が異常に短気だったことぐらいか....

少しのウエイティングも我慢ならない性格で、特に弱者に対しては暴力を振るうタチだったので、幼い頃は少しでも親父を待たせると即座に殴られた。

 


そんな恐怖心がどこかに宿っているのだろうか?

人を待たせるような事態には異常に神経を使う。

誰も待ってやしないのに、モノを作ることにも「早く」を使命にしてしまう。

 


このような晩年になってようやく気がついたんだが....

その気億のある小学校低学年より....

ずっと、ずっと急いできたと思う。

俺の親父以外に、誰もせかしてやしないのに。

誰も急がせてもいないのに。

勝手に急ぎ、勝手に焦り、勝手にイライラしてきたと思う。

 


そして多くの事を台無しにし

多くの事を失敗し、

多くの人を遠ざけた....じゃないかと思う。

 


急がなければ

焦らなければ

イライラしていなければ

 


何も難しいことではなかったのに。

 


最近はそのイライラ状態に入った時にふと気が付ける時があるんだが....

冷静な表情を保ちつつも(そのつもりではいる).....

内心はものすごく興奮していたりする。

 


そんな自分を再確認して無責任に驚いてしまう時もある。

 


こんなもの習性とか言って「しょうがない」で許すもんじゃない。

 


もう数十年にわたって浸み込んだ性なので、今更削ぎ落とせるものでもないんだろうが....

封印するぐらいの努力はしたい。

 


まあ、焦らずプチ断捨離と並行努力していこう。

 

どこに向かって急いでいる?

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「瞬発的に一生懸命になっている状態」を”努力”と勘違いしてきた自分にとって....

おそらく初めての”継続の努力”(って”瞬間”じゃあ努力とは言わないと思う)がトレーニングだろう。


今から20年前にダイエットの為に始めた。

”続く”どころか「続けたい」なんて思っていなかった。

「痩せたら...」サッサとやめるつもりでいた。

食事制限も、運動も辛くて辛くて仕方なかったからだ。

 

が、今は日課のようになっている。

残念ながら”食事制限はもう緩いので、辛さもないんだが....

 

が、”効果”を感じるから続けているし、”波及”という影響が馬鹿にならないと思っている。

”色々なこと”がトレーニングをするようになってからのことだ。

 

それから....

仕事への努力が加わり....(順番がおかしいが、実際意識の上ではそうなので....)

毎日メモを整理するようになり....

庭の手入れが加わり....

今、プチ断捨離意識を加えようとしている(ややこしいのは、断捨離と宣言するレベルにないため)

 

「下り坂の意識」は”存在している場所”の見極めなので”努力”との直接の関係はないんだが....

「いつか昇る力も衰えてしまうのだから....一歩でも多く、速く、今よりも高みに昇らねば....」

としていたところから....

「急げば落っこちる」への意識の転換が、また今までになかった視野を与えてくれているようだ。

 

断捨離が出てきたのもそう。

もう「いくつ捨てた」という記録は載せてはいないし、まとめて捨てる作業に従事はしていないが....

案外カンタンに捨てるようにしている。

1日10個でなくとも、1日1個を10日で10個ってなカンジだ。

 

そう。

今日10個捨ててしまいたい派だったのだ。

いや、今もそう。

仕事を休んででも”今日中に”10個捨ててしまいたいのだ。

10日で10個捨てても、別に構わないことなのに。

 

「そういった我武者羅さがあって突破してこれたことも多い」

....そんなお世辞をいただいたことは少なくない。

それに自惚れてもいたんだろう。

 

が、自分は知っている。

焦るほどに急いでいる自分を。

イラつくほどに急いでいる自分を。

人のせいにしてしまうほどにムカついて急いでいる自分を。

 

そんな冷静さを失った”急ぎ”で、的確な、良質な、結果が出せると思っていたならば.....

それは大きな誤りだし、大きな自惚れだ。

 

「それはもう”せっかちな方なんで”」と自分を甘やかしている場合じゃないだろう。

 

治すべきだ。

自分の”急ぐ癖”は長年甘やかしてきた結果....

「治すべき程度」にまで達している。

 

断捨離に加えて継続的な努力目標にすべきだろう。

治るまで。

疑似行為

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昨年の12月頃から基本忙しい。

時折”ふっと”息をつくことは出来るんだけれども....

”計画的”にはそれを予定する余裕はない。

 


異例の長期連休となった今年のG・Wは、さすがに一息ついたと感じたんだが....

その後はそれ以前と何ら変わっていないし(笑)

 


が、月曜日には....「今日で全部やりきってやる」と毎週思っているのだ。

そして....9割方”やったつもり”になっているんだが.....

週末には毎度パンパンになっている.....

 


なので.....相当イライラしていたり.....急いでいたり.....焦っていたり.....しているはずなんだが....

というか....そんな気持ちを確認するんだが....

 


今のところは一応....「お引き取り頂いている」....つもりである。

 


その回数は以前より多い。

というか....

本当は”以前の方”がうんと多かったんだと思う。

 


が、恐ろしいことに....

一日のうちのかなりの時間をイライラ過ごしているくせに.....それを自覚している時間が少なかったから.....

「俺はしっかり冷静だぜ」.....と、錯覚していたんだろう....

 


もう過ぎたことなので、どーにもならないんだが.....

そりゃあ大きな過失だったと思う。

というか大きな勘違いだったと思う。

 


多分....毎時イライラしている状況を、”充実?”なんて取り違えていたんだと思う。

”多忙”と”イライラ”は切り離すことが出来ることなのに。

 


パブロフの犬だ。

犬:ベルが鳴る→よだれ

俺:多忙→イライラ

..............原始的かよ。

 


いい歳こいた大人の人間なのに....状況への感情すらコントロール出来ていなかったのを....

”多忙”だと。

ぷっ...だ。

 


幸いにも?

DNAを分け与えて下さった父上のお姿を近くに拝見できる環境になって....よーく思い知らされるよ。

「所詮、蛙の子は蛙だわ(笑)。お前の感情に波を与えるなんて簡単かつ明瞭。パブロフの犬同様「多忙を投げつけてやるならば」すぐにイラつく感情を顔に出すくせに。」と。

 


その通り!

本当に未熟だ。

こんな歳にもなってしまっているのに。

 


ただ....このブログにも書いてきているんだけど....

「そんな程度の自分」であること...には人生遅まきながら気がつき始めてきたらしい。

 


以前なら「大進歩」と甘やかしたことだろう....

が、ようやく人様の足元。

情けないが幼稚な時間を長く過ごし過ぎてしまった報いだ。

 


こんなに次元の低いメカニズムを備えた一家に生まれたからこそか?身の程知らずに”さらなる上”を目指していたんだけれども....

 


「そんな資格はねーだろ」と。

 


それよりも前に、本当の自分の力量や性質を自覚すべきだろと。

すぐにイラつき冷静さを失うほどに愚かな精神力しか持ち合わせていないことを.....もっと思い知るべきだろ、と。

 


.....とりあえず.....手を染め出した断捨離も自分に都合良くかこつけて.....

「不要なモノを見出して、それを廃棄していくこと」は....

「あたかも愚かな自分の垢を剥いで捨てるような作業」だと勝手に見立てて....

妙にスッキリしているのかもしれない。

 


ま、実際.....なんでこんなものを買ったんだろう?

というような....

なんでこんな考え方をしてしまうんだろう?

ってな部分は...

気にしてみたらば異常に多いこと。

 

脳内も断捨離

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廃棄を日課とするようになって10日ほどになるか?

昨日は分別してあった処分品をかなり捨てた。

もう数はわからない。

コード類やら、書籍やら、服やらを入れれば「100」は超えている。

合計は「151」以上....で確認不可能...といったところ。

 


パっと見はあまり変わらない。

が、少し「収まっている感」は出てきた。

残すは「外の納屋」。

 


が、本題はそこじゃない。

「これから」は、わざわざの「廃棄作業」じゃなく、日常行動として.....

「使わない」....だったら「捨てる」

「使えなくなってきた」....ら「捨てる」

「捨てるようなものなら」....「買わない」

だ。

 


その徹底....というよりも習慣化だろう。

 


これでも、過去2回の断捨離ツアーによって、以前よりはマシになってはきているが....

「さらに」を目指している。

 


「職場」「庭」「自宅」「車内」と少々ながらも足並みも揃ってきた。

 


ゆえに4回目の断捨離ツアーが必要も無くなるほどに....今後は「日頃の鍛錬」が必要だということ。

 


実際.....今回の断捨離ツアーでも、迷った挙句残したモノもある。

多分....今後の日常行動で....「ん?」となって捨てることになるんじゃなかろうか?

 


「職場」「庭」「自宅」「車内」.....となればほぼ自分の生活環境だ。

ならば....脳内もそれに準じてくることを....

期待している。

 


出来れば...パソコン内も....

 

なかなか面白い

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「廃棄物」のカウントを例えば....「ボールペン」までも入れるなら...

毎日なんやかんやを「捨てている」ことにもなるんだろうが....

それだと把握しきれないので、まあ”あえて捨てるモノを探しだした”場合のみをカウントすることにしよう。

 


整理は毎日している。

なので当然に”捨てるモノ”も出てきてはいるんだが.....

「ゴミの日」が違ったりするので、一旦まとめてあって捨てるには至っていない。

今日は久々に捨てる。

「12」個を。

これで合計「51」になる。

 


まだまだ家の中はスッキリにはほど遠い。

が、多少は”空白”を感じられるようにはなってきた。

 


大型の「捨てるキャンペーン」は3度目にもなり。

廃棄量は期待したほどではなさそうだが....やっぱり「やっただけのこと」はあって、気持ちの悪い思いはしない。

 


今は案外大雑把で良いと思っている。

いわば「通路を空ける作業」とでも言えばよろしいか?

 


で、とりあえず効率良い生活が出来るようになったれば....

毎日気がついた時に「一つずつ」のスタイルが定着できれば....

ある程度の整理整頓は維持できるんじゃないかと....

甘いことを考えている。

 


さあ、今日もどこかで時間を作って....

何か捨てましょう。

 


なかなか面白い。

 


というか....

頭の中の整理が出来ないのが

「なるほど」と具現化されているようだ。

 


おそらく過去に一瞬のひらめきかなんかがあったんだろうけど....

不必要なものを集め過ぎ。

 


明らかに”先”のが短い人生になったればこそ、

つまりは「下り坂」の人生になったればこそ、

こんな自分でもようやくに....「自分の人生には不必要」が判断出来るようになったということか.....

 


遅すぎる。

 

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昨日のブログを書いた後に庭を見て思った。

我が家に勝手に生えてきた自生の蔦?(本当は何だかわからないが、ツル性の植物)を見て。

 

切っても切っても生えてくるのでうっとおしいんだが....

ひょっとしたら....

見てくれは悪いが案外理想の生き方なのかも?とか

 


素直に真っすぐ育つ木は、格好も良いし、美しい。

蔦のはそれを下から眺めるだけ。

でも.....

身勝手な人間どもは、目立つ木だからこそ、美しい時は喝采しても.....

邪魔になると折りにかかる。

 

大きくなり過ぎた時には.....

邪魔者扱いだ。

 

格好良く生きてくると....

今更....地面に這いつくばり、塀をよじ登るような人生は嫌なんだろう。

そのプライドで黙って朽ちて行くのかもしれない....

 

桜や大銀杏としての人生も

案外大変なのかもしれない。

 

本当に能力があるならまだしも

にわかの才能を勘違いした日にゃあ

へし折られたときに持ちこたえられない。

 

人間は....誰しも平等で均等のように言うんだが....

植物にもペンペン草と桜があり、

魚にも鰯と鮪があり、

虫にも蛾と蝶があるように....

生まれた時からの違いってのは「無い」と言ったら嘘になる。

 

子供の頃、

若い頃は、

「少年よ大志を抱け」とかそそのかされて....

なんだかオレも由緒ある家柄で、将来国の中枢に入りこむ人物だと”勘違い”していたのかもしれない。

そんな遺伝子は無いはずなのに、桜や大銀杏を目指していたのかもしれない。

だから

いつまでたっても桜や大銀杏になっていない自分に焦っていたのかもしれない。

 

が、なってもいないのに、なったかのように振る舞い....

言うだけ番長、言うだけ武勇伝、言うだけ自慢の反面教師どもを見て....

俺は蔦なら蔦なりでいいかと....

蔦でもいいから、「枯れずに生き伸びてやろうか?と。

「みっともない」と決めつけていた蔦のスタイルを受け入れることにしたのかもしれない。

「言うだけ人種」に相槌を打つことにさえ抵抗感が出てきている。

 

別にサボっているわけじゃないし、以前と変わらない日常なんだけど

「オレは俺。人は人。」

もう無理しない感じがなんか楽であるし、案外事もスムーズに運ぶ。

いやあ....それよりも、自分とて、相当に大きく、立派に見せようとして....

頑張っていたんじゃないだろうか?

それは”大志”ではなく、”虚勢”ぜよ。(ぷっ、笑)

 

....きっと桜や大銀杏に見せている

ってのも案外無駄なエネルギー使うんだろう。

反面教師

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毛沢東の言葉らしいが、流石。

散々親父の悪口を書いているように「反面教師」の教育的効果は凄いと思っている。

 

良いか悪いかは私にゃわからない。

が、勉強嫌いな自分でさえも、その教育委的効果がはっきりと表れてしまう。

自分の場合には、「毒を持って毒を制している」とも言うのかもしれない。

 

親父ばかりでじゃない。

昨日のブログにも書いたように、かつての仲間には”親父のような奴”が多い。

若い頃はさほどの抵抗感も無かったので....「気が付かなかった」というよりも.....「自分もそう」だったんだろう。

 

今から20年ほど前からか....そのような”性質”に気持ち悪さを感じるようになり、一時期は身の毛もよだつほどの嫌悪感を抱くようになって脱出を始めた。

今は....少し冷静に見られるになって極端な排除はしなくなっているけれども....気が付かれないように少し距離は置くようにはしている。

 

つまり....案外まだ近くに居るわけだ。

でも、もう影響を受けたりはしない。

本当に嫌な思いをさせられるし、何しろ気分が悪い。

姑息な癖に自惚れた自分本位の駄々っ子のような立ち居振る舞いが。

 

反面教師様を近くで拝見させてもらっているので、自分の姿勢は正せているとは思うんだが....

イラっと来た時、調子こいてる時、呑んでいる時などなど、哀しいかなむくむくと起きてくる本性に気が付く時がある。

 

反面教師は近くに居ない方が居心地も良く気分も清々しいんだが....

居ないなら居ないで....自分が天狗になり反面教師になってしまうのかもしれない。

 

やっぱり毒は毒でないと制せないのか。

 

昨日も整理整頓にはいそしんだが....

具体的な廃棄・処分はなし。