小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

どんなジジィがいい?

 

 


こう見えても案外奥ゆかしいので....

内心ご自慢の”若さ”を「見せつけたりする」ことはなかったんだけれども....

内心でさえも....カッコいいとは思えなくなったわけだ。

ヘタすりゃ醜かったり..滑稽でもあるんだろうな...

ぐらいは想像する。

 


一体何があったんだろう?

なんて言うと無責任だが...

少しばかり忙しすぎて....

自分でもわからないうちにターニングポイントを過ぎていた。という感じ。

 


浦島太郎じゃないが....

「あっ、おじいさんになっている」と...

 


たまさか近々の同窓会の予定があって....

ネームバリューを誇りたい勇者の自慢合戦が早くも始まっている。

 


悪いが....若い頃ならまだしも....

おじいさんになってまでは.....

”超みっともない”。

 


それを”見てしまったから”かもしれない。

 


たしかにいつまでも青春を気取り、同窓会でも「昔に戻ろう」と言っているような輩達だ。

そんな一夜限りのイベントに水を差すつもりはない。

が、「次の日からそのモチベーションはどうすんだ?」

とかえって心配してしてしまう。

そして俺はそいつらと当たり前だが「同い年!」

 


彼らを反面教師に見立てるなら....

若さへの願望って....この歳になってみたらば....

それは”明日”には向かっていないってことなんじゃないのか?....

嫌な言い方だけれども....

「現実的な明日の自分から”一瞬目を目をそらす煙幕”」をアンチエイジングとしてんじゃないかと。

それは...12時過ぎのシンデレラよりもなんだか虚しい....

 


「前向き」ってよく言うけど

子供の前向きの目標が"大人"なら

俺達の前向き先は"ジジィ"ということになる。

そうだろ、それが”確実な”未来だ。

 


何がアンチエイジングか知らない。

が、「若い頃に戻りたい」

なんて発想は前向きどころか次元的にはむしろ完全に後ろ向き。

あまり良いことには繋がりそうもない。

 


だから見た目が蘇った割にはなんだか気持ち悪いんだろう。

 


ということで。

もう別に....「おじいさん」でいいじゃないかと(笑)

 


小さな頃は「大人っぽい」は成熟への賞賛の印だったと思うんだが....

なら、「おじいさんぽい」も成熟への賞賛じゃないのか?

 


「100歳まで現役」

とかブチ上げているけれども....

本音は....

「年寄りは恰好悪い」

....

そう思っているということだよな。

 


ま、俺はどのみち恰好悪いので、年寄り、で十分。

現実との乖離

 


いやいやもう少し真面目に分析してみよう...

ここ数年....なんだかしっくりいかなかったのは....

もう”努力”では...”若さ”を取り戻すことが出来なくなっていたからだと思う。

 

これまでと同様に...考えても、工夫をしても、努力をしても...

いや、これまで以上にやってみても...

取り戻すどころか、キープすら出来ない。

日増しに壊れている。

そんな現状を感じていたからだと思う。

 

20年前に走り始めた時はささやかな賞賛も聞こえた....

”努力”の経験が皆無?ということもあり、若さもあり、進歩を手ごたえで感じることが出来た。

 

「全然お腹出ていないんだ」

「凄くシュッとしているね」

「そんな歳には見えないんだけど...」

色々なところで”若く”も見られた。

 

それらは努力への励みにもなった。

張り合いにもなった。

そして自分の努力のある種の方向性にもなっていた。

 

ある意味”その方向”が定着していたんだろう。

 

が....いつの頃からか...結果が出せなくなってきた。

いや、筋トレなど最高記録を更新することはなくなり....

最高記録に到達することもなくなっていった...

 

確かに体型は変わらないが....気がつきゃ姿勢がうんと悪くなっている。

多分、ちょっとしんどいのだ。真っすぐ立つことすら。

目も見えない。

髪型なんて一種類しかない。

服を着ていれば体型は変わっていないものの...

肌に張りはない。

シワシワというほどではないが....やっぱり20年前よりはうんとタルんでいる。

筋トレもしているのに。だ。

なので....筋トレしない顔はもっとシワシワだ。

 

ある意味20年前の”修繕”は成功し、自分を勘違いもさせてきた。

「十分若く見られるじゃないか?」

と自信もつけさせた。

 

だから余計に”若さへの渇望”を強くもしたんだろう....

それは...歳とともに”無い物ねだりへの執着”となるものなのに....

 

老化への自覚はしつつも....

どっかに....「まだ、通用するんじゃないだろうか?」...のような...”甘えた”願望が捨てきれず....

”現実の自分”との乖離が日々大きくなっていったというわけだ。

恐らく。

 

乖離の間は”虚”で埋められている。

糠に釘。

いや違う。

”実感”を感じられない世界とでも言えば良いか....

そりゃあ不安にもなるわけだ。

なんだそれだけのことだったのか

 

 


20年前から始まった修繕は....

「”若さ”を取り戻す方向」にあったんだろう。

 


確かにそうだ。

”痩せるために”走り出したものの、図に乗ってハーフマラソンに出たりして...

気がつきゃ人生最高記録を出したりしている。

 


愚かな自分のことだ...

「なんだかやれるじゃんオレ」と調子こいていったのは当然。

 


が、人間も生き物。

ある程度までは若さやうるおいや溌剌さの”衰え”を減少させたり、停止させたり、ともすれば回復させたり出来るのかもしれないが...

全体としては”確実に”死に向かって”日々”枯れ続けている。

 


哀しくもなんともない。

それが、自然の、摂理だ。

そうじゃない方が気持ち悪い。

 


「20年も努力し続けたのだから...」

というプライオリティなんかあるはずがない。

そんな”努力の成果”はとっくに日々使い果たしている。

 


「20年も経ってしまったのだから....」が正解。

それまでと同じ努力、同じ方向、同じやり方、

が通用するはずがないじゃん。

 


というものだろう。

 


なんだ。それだけのことだったのか。

 


ある意味今日もまた感心している。

 

なーるほどそういうことだったのか

 


20年前から「走り始めた」。

と、このブログでもよく記述する文面は....

「太ったからダイエットのためにジョギングを始めた」

を短縮したものなんだが....

そこから”今”のような”自己分析”に至っているのは「どうしてなのか?」

少しわかってきた気がしている。

 


20年前の「太った」も...恐らく自分の中じゃあ「壊れた」という感覚であって...

それは「直さなきゃいけないな」ということだったんだと思う。

 


基本的な思考回路は今も変わらない。

というか...そこから始まってずっと続いていたんだ、と。

 


20年前に「走り始めた」時は、いわゆる中年への入り口にあたる時期だ。

つまり...峠を越えて衰え始める頃。

違う言い方をすれば生き物としての”壊れ”を確信し始める頃でもあろう。

どうしてだかはわからないが....

「自分で自分を修理するしかないな」となったんだろう。

 


そこから....

”修理”は続いていたんだ。

なんせ、ずっと、衰え続けているので。

 


そしてここ2年程、自分でも一体どっちを向いているんだか...

というぐらいに「前に進んでいる感覚」がなくなったのは...

きっと...さらに...

”破損”が進んで

この20年の修繕方法じゃあ直せなくなっていたんだろう。

 


「なーるほどそういうことだったのか。」

「最近の五里霧七転八倒具合も無駄じゃなかったのかな?」

 


と今は感心している。

 


やっぱり「考えない」よりは「考えた方」が良さそうだ。

 


まあ多分、普通は単に”老化”と言うんだろうけど(笑)

幼稚な一家

 

 


こういった背景があったから....「負けず嫌い」には育ったと思う。

というか....「負けている」事実を...「素直に受け取ってはいけない」人間として育ったきたと思う。

 


それは...

「大きく」間違っていたことだと...

そして...「負けず嫌い」でもないと...

今は...思う。

 


むしろ....目の前にある...塗り替えられない「現実」を...受け入られなかった人間性なんだと...

言う....ところぐらいまでかな....

は、わかってきたと思う。

 


自分も、親も、親戚も、一派も、周囲の人々も

そういう人間だったから....

共依存に安堵して集まったのだろう。

 


が、世の中は広い。

 


そんなこと....イチイチ考えない人が居る。

そんなことにとらわれない

というんだろうか....

 


「見下げられた言動」や「見くびられた扱い」に、さほどに反応しない人が居るのだ。

「どーせ俺たちなんか....」などと開き直っているわけでもない。

淡々と淡々と「そうなのかー」「そう...なんだろなー」とか、他人ごとのような感想を漏らすぐらいなもんだ。

 


相手にしないといったほど毅然とした対応でもないんだが....

笑いもしないが、怒りもしない。

蔑んで見られたことへの感情の起伏というものがない。

 


蔑まれたことに対してイチイチ口撃すること、が唯一の反撃だと教わった家庭に育った自分にはコペルニクス的転回だった。

別に・対して・反応しない。のだから。

 


育ってきた環境には存在しないタイプだったので、不思議に思って聞いてみても...

「出来てねーんだから言われてもしょうがないじゃん。結果だよ結果。ものごとは」

とか言っている。

 


内心はわからない。

が、努力する姿勢はずっと続けている。

見下げられたからより頑張るということもなく、淡々と淡々と。

 


多分....本当に「どーでもいい」んだろう。

そう見える。

”言われること”や”見られること”がその人の関心ごとではないのだ。

そんなことよりも...自分が、何を、どう、出来るのか?出せるのか?残せるのか?....のようになって行くのか...口先だけじゃなく。

 


そういうことで精一杯.....と言ったわけじゃないが...そういうことなんだろうか.....

 


残念ながらこの時点ではもう随分と大人になっていて....しかも、かなり自信満々に生きていたんだけれども....

「幼稚なまま大人になってしまっている自分」と初めて対面した気がした。

 


親のせいにしてはいけないのかもしれないが....自分の親たちは”蔑まれて見られる屈辱の奪回”には熱心な教育だったんだろうけど....

子供を大人に育てる教育ではなかったんだろう。

そして自分のDNAはそこにある。

 


女房は、この手の話が大嫌いで、「私はそんなに自分や家族を否定したくない」とホザく。

まあ、見事な家庭、見事な人格に育ったんだろう。

そんな人にあえて強要することでもないし....

 


ただ...残念ながら自分は、変わっていかなきゃいけない運命に生まれたんだと思う。

大変というわけでもない。

「恵まれてる方だよな」という面もけっこうある。

 


ただ....自然にしていりゃDNA通りだ。

時折思い出して強制的にそうなるように仕向けないと子供達にも素直に遺伝する。

幼稚な人間性は自分の代で終わりで十分。

せめてそれぐらいは世の中に貢献しないと(笑)

 

愚民とも言う

 

 


仮に....”蔑んでみられても仕方のない現実”....であったとしても....別に逆上することじゃない。

というか....逆上したところで何も変わらない。

 


悔しかったならば...

いや、それが嫌だったならば....

勉強するなり、努力するなりして、自分を、環境を、全てを変える方向に熱くなった方がいい。

 


”逆上”で、自分が見られているイメージを一新させようというのが....

愚かなる下人たる証だ。

なるほど...愚民とも言うわけだ(笑)

 


こんな下人根性を叩き込んだ親達が伝えていた”出自”とて、どうにも怪しいもんだというのがわかってきた。

 


家系図もない癖に....

武家の出だとか名家からの血筋だとのたまっていたんだが....

手がかりになる品なんて何一つなく、しかも....住んでいる場所は城下町から一段落ちた河川敷のような場所。

 


現行の仕切りじゃあ一応「同じ地域」とみなされるんだろうけど....

昔から言う河原乞食の住まう場所。

 


住んでいる人の位が違うことは....

大きな区割りの中学校に進学した頃から気がつき始めた。

 


家柄というか、収入というか、地位というか....そういったものが明らかに違った。

そりゃあ平屋の長屋だらけの町内じゃあ少しばかりの商いでも名士を語れたかもしれないんだが....

家も店舗も長屋の続きなので....当然借家だ。

”借家の名士”なんて聞いたことがない(笑)

結婚して家を出るまでずっとそこで過ごした。

 

 

でも....家族どもは....「我が家は”他の家”とは違う。」と毎日のように吠えていたし....

正月の集まりはさながら「重役会議」の配列だった。

 


....笑えるわ....今は。そんなの。

逆上する

 


今になって思い出すと...

「蔑んだ目で見られること」

には猛烈に反発していた。

 


少し...尋常ではなかった気がする。

瞬間的に異様に興奮していたと思う。

まるで反射神経のように。

 


父親も母親も、そういや祖母も...

「蔑んだ目で見られること」に対しては.....そうだった。

よく状況を判断したり、2,3日考えてみればそうではない態度や言葉だったりしても....

その瞬間に異常にムキになった。

 


その理由なんか多分考えようとしなかったんだろうが....

一番身近な大人の反応がそうなのだから....

「許してはいけない侮辱」

だと骨身に沁み込ませたんだろう。

 


そして大人になり....

ずっと「下に見られること」には...

やっぱり瞬発的に異常に憎悪が沸く反応をしてきたと思う。

 


言葉はちょいと悪いが....

たしかにナメられたスタートじゃあ有利じゃない。

相手が「負けてるな」とビビってくれている方が与しやすい。

 


しかしながら.....

そんなに深く意味の無いことに....

イチイチ過大に反応するってのも....

 


しかも....こっちの勘違いだったりするならば....

なんというか....大事なチャンスもけっこう逃してきたんだろうし....

何よりも....

「キ○ガイじゃねえのか?コイツは」

と思われてきたことも多いんじゃないだろうか?

 


10年前のリーマンショックで体験したのは....

金の足りなさと心の弱さだ。

 


順調な時は大きな事を言ってるくせに....

ちょいと転ぶと顔面蒼白だ。

 


そんな自分を見てしまったし、知ってしまった。

 


その頃から身体だけでなく内面のコントロールや鍛錬にも興味を持つようになった。

10年経っても効果のほどは感じないけれども....

 


こうして.....

かつての自分の興奮はマズかったな....

ぐらいはわかるようになっている。