小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

 

 


最近は....うだうだと父親の悪口を書いてきたんだが....

同じDNAを持つ身としては...「反面教師」のように利用させていただいている...

 

こすっからくサボる。すぐにいい気になる。人を嘲笑することで自分を浮き上がらせて見せる。影での努力は惜しむくせに表立っての努力は見せる。

(まだまだ山ほどある)

等々....俺にも親父の気質は満載なのだ。

 

...であるのに...物心ついた頃から早くも嫌っていたので、

「違う類の人間」だと思い込んでいた。

思春期には立場も逆転したので....

「より遠くの位置にある人間性」だと自信を持った...ぐらい。

 

気が付き始めたのは5年ほど前。

確信に変わったのはここ3年ぐらい。

 

最近「似てきた」んじゃない。

むしろ気が付いてきたので...最近の方がうんと遠ざかってはいる。

つまり....気が付いていなかった時代の方が「勘違いしていた」ので、親父譲りのDNAは野放しで活躍していた。

 

今になって気が付けば気が付くほどに....

「あの時もそうだったのか?」

そういや「あの時だって」

「あれもなのか?」

と、まあキリが無いほどに出てくる。

 

だから...”今”だって

油断をするならすぐに出てくる。

だから。

 

「反面教師」への悪口は、自分への鞭だ。

大体そういうのを書いている時は妙に頑張れていたりする。

 

 

堂々巡り

 

 

一年・一年と学校行事じゃあるまいし、そんなにも暦の進行に忠実に未来はやって来ない。

 

まあ、予想される来年の節目は....

3月、6月、そして12月なんだろう。

あわよくば....の締め切りは....

さ来年の3月。

 

とりあえず、そこまでは....

手を抜くことなく....

カラダを壊さない程度に鞭打って頑張りたい。

 

「何のために?」

 

そんなことはもうわからない。

だから、考えもしない。

 

頑張っていなかった頃の自分は

「どうしてなんだろう?」

とあえて回顧し、反省材料とするけれども...

頑張ろうとしてるんだから、そこにイチイチ理由を乗せるぐらいなら....

一つでも片付けていた方が結果に近づく(笑)

 

「何のために?」を考えることは有意義なこと....なんだろう....きっと。

自分の場合は自分に鞭打つための反面教師達の観察....がそれに当たるのかもしれないが....

哲学を生業にしているわけではないので...ほどほどで十分。

むしろ....

頑張らなくなった時に...

「何で?」

はとっておこう。

 

育ちが悪いからだと思うんだけれども...

自分の場合は向上心とか大志とかそんな立派な動機からモチベーションは沸いたりしない。

火をつけるにはほど遠過ぎるからだ。

 

ただ.....

「死ぬ時に後悔していたくない」...

のは想像出来る。

 

それで十分。

 

アホなので、今日は右かと思いきや明日は左と正反対で....

「無駄なことばっかやっているな」と思いつつ....

五年先なんて....

 

 

”今年”をスタートさせてみたものの....

あまりの体たらくに....

さらなる”新たな目標”を企てたんだろうが....

 

望みを持てば持つほどに...

能力の低下や身分の違いを確信するだけで....

それが...

「下り坂の人生」や「下人」という表現になった。

 

それは...自分範囲では...諦めたわけじゃなく...

「やり方を変えれば....まだ、なんとか通用するかも?」

という下心で...

普通は「謙虚な模索」と言うのかもしれない。

 

だから忙しかった。

生涯で一番忙しかった一年と言える。

ま、今までが暇だったのかもしれないけれども....(笑)

 

忙しい....というよりも「とりこぼしが出来ない」ことが多かった。

とにかく締め切りのあることが多く、「出来てません」が許されない状況が続いたので...

「やれることは全てやっておく」が日常の基本精神となっていた。

 

おかげか?

...の結果....来年半ばを期限としていた目標を今月達成。

 

「こんなこともあるんだ」

が正直な感想。

 

よって....基本的にこれまで20年ほどやってきた「五か年計画」はもう作らないつもり....

なんせ...「明日死ぬかもしれない」年齢にどんどん近づいてきて....

「五年先を一生懸命考える」ってのも笑い話だ。

そういうところが「上り坂」ではないところ。

 

極端に言えば...「今日一日は頑張れる」....としても....「五年先までは....」

気力も中だるみどころか、最初っから”嘘”の土俵で相撲を取るようなものになる。

 

「明日はない」とは言わないが....

「一年先は闇」...ぐらいで丁度いいのかもしれない。

今時のご時世は。

 

昨年の12月

 

 


"月締め"を毎月25日頃から始める。

今月は...当然にも”今年の締め”も意識した。

 

なんだか昨年とは随分と違う気がした。

 

なので、ちょっとブログを遡ってみた。

 

やっぱり違った。

昨年はやる気というものがない。

「目標を達成した」

とかホザいているが....そこで全てに到達したとでも自惚れていたんだろうか?

ぐらいに....

ホッとしてしまっている。

 

実はその後の1月にも気を取り直したのか、新たな目標を設定したらしく、それが今年を引っ張ってくれたんだろう。

昨年の12月の自分は...

抜け殻だ。

振り返る必要もない。

 

ま、そういうことも正直に記録出来ているところはブログを書いていて良かったと思える点だ。

 

自分は間違っても聖人君主にはなれない。

 

「下り坂の人生」

「下人」

はおそらく”その後”に出てきた戒めなんだろう。

 

昨年の12月は”それ以下”でもあったということか....(笑)

 

要領...良いのか?

 


実際、DNAに導かれるように...似たような仕事に就いた...

 

いや、このことについてもいずれ書くような気がするが....

大志どころか人生とか進路とかに目標というものがなかったので....

「流れのままになってしまった」んだろう...

 

だから...「ああすればよかった...」「こうしときゃよかった...」なんて後悔は山ほど考えられるけど...

大きな後悔はない。

 

というか...

後悔の多くは.....その時の未来に当たる”今”になったから「わかる」だけのことで....

インターネット一つとってもそう。

これほどのおびただしい情報なんかなかった時代に....

「同じ様に」考えられたはずはない。

 

いや、むしろ、何も知れない時代だからこそ、よほどの意志や目標を持たない限りは....

近しい人々の影響を受けて、流される...ってのが”並”たる証拠かと....

並以下の下人なら、尚更だ。

 

これでも多少は真面目なところもあって...

流れのまま...

とはいえ、「なってしまった」ことであっても...とりあえずは責任を果たそうとはする。

方だと...思っている。

 

そのおかげ?か....

大きな後悔は出さずに済んでいるんだと思う。

 

しかしながらここに来るまでは大きな障壁もあった。

今だからわかるんだが.....

やっぱり親父だ。

 

なんせ「似たような仕事」なので....最初の頃はうっとおしいほどにアドバイスしたがった。

 

それが「合っているもの」ならいいんだが....

「ものすごく違和感を感じるもの」ばかりだったので、聞く耳は持たないようにしていたんだが....

それでもこちとら初心者の際はやっぱり不安も多いので、「参考にすべきなのか....」と何度も折れてみたんだが....

 

ことごとくハマること。

裏目に。

 

何度も何度もそんな目に遭うと....

果たして親父はちゃんと仕事が出来てきているのか?と....

真面目に勉強し、努力し、経験できてきたのかと....

疑い始めたことは.....

全部的中した。

 

人にやらせ、人を利用し、人のせいにしていた

 

だけだった。

それを「要領が良い」と自慢までしていた....

 

さらには....”成果”はキッチリ「自分のものであるかのように...」多くに披露しまくるとなれば....

 

そりゃあ....

そんな体験は...最初は「まさか」と思うだろうけど...

2度3度もするものなら....

「離れる」のが普通だよな、と。

 

私が親父を「反面教師」と呼ぶのはそこにもある。

彼が選ばない方法をとった方が成功する。

そして....本当に汚らしいのだが....散々批判しておいて....そうなると....近づいてくる。

 

自分の周りでも、親父以外にはそういう人が見当たらないので、本当は珍しいのかもしれないが.....

これが日常という運命なので、そこいらの判断がどうしても鈍る。

 

まあ、「その後」は書くのも気持ち悪いからして....

 

ともかく見事なほどに”逆目”を選択するのはどうしてなのか?

いや、彼の思考や行動がどうして人の心を離してしまうのか....

....なんてことまでもはや考える必要もないな、とはなっている。

 

そんなことを追求している間にも、自分が不幸にならない道を....

つまりDNAに逆らう強い意志をコツコツ育てるべきだろうと....

 

ともかく....

聞かない。

聞いてしまったら、反対の方向を模索し、そこから答えを導くべき、

としている。

 

そうなってから....

外すことがなくなり、仕事の精度や信頼がかなり上がったのは偶然ではないと思っている。

 

それぐらい社会からズレているということは....

それぐらい....自己中心な考え方なんだろう。

後ろ髪は切りましょう

 

真面目に書いていることに飽きてきた。

 

”事実”

なのでいくらでも出てくる。

キリがない.....

 

それでも随分とみっともない話を続けてきたのは....

思春期に決別をし....「真逆の道を歩んできたもの」と思い込んでいたものが....

こんなブログなんて書くようになったんで....

自分を正直にあぶり出し、そのために過去の辱めもあらわにしてみたならば....

 

「影響を徹底的に排除してきた」はずの自分が...

 

案外「似たようなもん....」

なのか....と

 

特に....

失敗した時とか....人が離れてしまった時は....

全く別の行動を選択した”つもり”であったにもかかわらず....

あたかも手品でもあるかのように...

「同じような行動をとっていたのか?」と

 

そこに...「改めて気が付いて」

ちょっとびっくりしたというか....

これが....DNAというものなのかと....

 

これでもけっこう意識して、遠ざけて...嫌って...排除して...きたつもりなのに....

 

ということは....この先だって....全然油断出来ない...わけだ。

 

だから....「改めて」

「排除」の宣言を出さないと....

と言うわけ。

 

親父は....

「優しい」を”弱さ”や”卑怯”や”言い訳”の隠れ蓑にしていた。

 

「自分が嫌われてしまう」....ことを回避するためなら....

親も、女房も、子供も、親戚も、友達も、口の効けない先祖さえも....

代理人に仕立てた....

 

どうしてそれほどにも矢面から逃げるのか?

 

やっていることは全然”良い人”ではないのに....

おびただしいほどの言葉を集めて.....

「自分は良い人」に修正をした。

家族や知人が「悪者」になってでも。

 

1回、2回、....5回目ぐらいからは....

普通気が付くだろう....

 


だから

実の母親にさえ...

「あんな嘘つきで卑怯な男は見たことないから気をつけなさいよ」

と言われてしまうのだ....

 

全員「所用があって...」の参加者ゼロの法事になってしまうのだ。

 

自分の側の子供の世代の半数は行方不明....

おまけに女房の一家まで....壊滅して行方知らず....

 

偶然じゃない。

北朝鮮が核開発をピークに持っていった時は、さすがにシェルターまでは購入しなかったけれども....

パスポートも更新し、「仕事も、知り合いも何もかも捨てて安全な海外に逃げるから....」と、それが「利口な生き方だ」と自慢していたぐらいだ....

 

何よりも”自分が大切”な人間の近くに居て....

ソイツよりも大切にはされないだろう。

であれば....

当たり前のように...人は離れる。

そして衰退する。

 

思いっきりのブラックホールみたいな奴だ。

 

のくせして....

「どうして誰も来てくれないんだろう」....

と泣いている。

 

総理大臣のような権力でも持っていないのなら....

「何よりも自分が第一」

のような人間の近くに居て楽しいはずはないんだよ。

 

さあ...

もうわかったろう。

 

あんまり「甘い決別」じゃあ幸せにはなれないことを....

「中途半端な決別」じゃあ不幸への切符を握らされることを....

 

こういうのを「後ろ髪惹かれる」

というのかな?日本じゃ

 

だったら「後ろ髪切りましょう」

 

そのために書いている。

 

DNAには逆らえるのか?

 

 

マメ....

というのとは違うと思う。

それは恐らく”人のため”の部分もあると推測する。

 

おびただしい人に嫌らしいほど凝った年賀状を送り、それを自慢する。

”出すから””来ている”だけなのに...

 

1枚も出さずして....たくさんの年賀状が来るなら自慢してもらっても構わないんだけれども....

その返信が信望の証拠ではないことがどうしてわからないのだろう....

 

年中かけて写真を撮り、その中から一番の自慢の写真を選んで年賀状にする。

文章にも懲り、誤字脱字を何度も点検し、自慢の一品に整える。

 


その姿勢は「あの人どうしているかな?」には遥かに遠い....

 


ではなく....「素晴らしい年賀状ね」

という返事を期待しているのだ。

猛烈に。

 

それはもう”執念”を離れて”怨念”とでもいえるものなんじゃないのだろうか?

そんな時間があるのなら....

家族に、近い友人に、もっとしてやれることはあるんじゃなかろうか?

ひょっとしたらば....

もう一生も会うことのない手紙だけの関係の人に....

何をそんなにも褒められたいのだ....

 

何故にそんなにも褒められたい。

そんなにも毎日毎日気持良くなっていたいのか?

 

そんなことだから....ちょっと嫌なことがあるだけで、

ささいな不安があるだけで、

こらえることも出来ずに大の男のくせして動揺しまくり「眠れない」と泣きわめく。

 

自分の思い通りにならない時も同じ。

子供の前でまで我慢することなく泣いて、喚いて、思い通りを押し通すのは....ある種の卑怯な脅し...っていうんだよ。

遠くはかない知り合いにまで「大事にされたい」と願うくせに...

一番近くで大事にしなきゃならない奴らが見えないのか?

 

「ワシは人の気持ちが見えるようによくわかる」

と勘違いもはなはだしい豪語をし、

おべっか、お世辞、ホメ殺し

が見抜けず、舞い上がってどれだけ利用されてきたことか....

 

そんなにも愉快でいたいのか?

そんなにも称賛の中に居たいのか?

そんなにも毎日快適で居られると思っているのか?

 

自分じゃ”その方面”に一生懸命向かっているつもりなんだろう...

 

だから...

 

そうならない時は....

 

全部「人のせい」だったんだ...

なるほど。

 

親父のもくろみが思う通りに行かない時なんだろう....

酔っぱらって帰ってきたと思いきや....

なんだか理由もわからない状態で散々殴られた。

一度や二度じゃない。

ひょっとしたら....

謎の祖父ってやつも....

そうやって親父を散々殴ってきたのかもしれない。

 

ま、いいや、どっちでも。

 

俺はお前らの仲間には入らない。

例えDNAは同じだとしても....

 

「断ち切る」ことが自分の生まれた意味だと勝手に思っている。

それでいいんじゃないか?

大して責任感ないようなんだし(笑)