ちょいと油断しているとすぐにこれだ。
また、更新忘れている(笑)
なので、前に書いた文章もスッカリ忘れているので、つながらないどころか、自己反駁しちゃってるかもしれない。
ま、しょうがない。
しょうがないと言えば、昔からの「目標の低さ」がある。
いや、正確には「志の低さ」か?
につれての「目標の低さ」になるだろうから、あちらこちらに散らばった「目標」はどれもこれも「低いもの」だらけでやってきている。
ただ...数だけ多いので、「やりきれていない」だけのこと。
わざとそうしているわけじゃない。
魂胆があるわけでもなし、ポリシーがあるわけでもない。
むしろ...ごく自然に...だ。
親も学校の先生も、大きな事を言っていた気がする。
「将来は?」「夢は?」「目標は?」
伝記?というのかな?そんなものもけっこう読んだ。
スポーツ番組や映画も。
が、今で言うなら、そこに居ただろう当時の錦織やイチローや、小泉進次郎や桑田佳祐さんのように「なりたい」と思う願望がなかった。
どうしてだか、そんなものはわからない。
ただ、そうだった、ということだけだから。
「金持ちのがいいな」とか「世界のアチコチに出かけてみたい」...のような漠然とした願望ぐらいはあったが、決して具体的ではないので、”そのために”何かをしてみよう...とはならなかった。
むしろ...「斜に構えること」に憧れ、それが心地良かった。
萩原健一ではなく、木暮修が好きだった。
プロデビューする前のチンピラ矢吹丈が好きだった。
ぐうたら....ではなかったと思うが、「遠くの目標」やら「高い目標」は持っていなかったので、「何のために」と言われるなら、「日々の暮らしを快適なものにするため」ぐらいの頑張りだったと思う。
A...よりは、Bのがマシかな?...ぐらいの。
つまり...多分...他人から見たらば....「どっちでもいい」ぐらいのこだわりなので、志は異常なほどに「低かった」のかもしれない。
あまりにも「低い」ので、それはもう「志」とは呼べず、次の日には変わっていたり、一カ月もするなら「どうでもよくなっていた」ものも多数あったんだろう。
そうなると...一貫した「信念」やら「目標」なんて無いわけで、ざっくり言うなら「行きあたりバッタリ」の人生と言っても過言じゃない。かな?
そんなもんだったと思う。
良く言や「変化すること」に躊躇はしないが、頑なさはない。
従って「長い道のりを歩んでゆく」という覚悟もない。
覚悟もないまま社会に飛び出たので、あっちにはじかれ、こっちにド突かれ、そっちに押され....と、余計に「どこに向かっているんだろう」の人生だ。
小さな頃に先生や親の言うことよく聞いて、ちゃんとした「大きな目標」持っときゃ良かったかな?ともよく思う。
「これだ!」というもの見つけて、ひたすらそれに尽力してこりゃ違った人生だったかも、とかも思ったりする。
「この道一本」ってのを見つけて成功している奴を見ると、俺もそんなんあったら違った人生だったかな?とか思うこともある。
が、それができない性質だったんだろうし、気質だったんだろうし、環境だったんだろうし...というま、そういうのを「運命」って言うのかな?ってことだ。
なので、いい歳こいても、あまり変わっていない。
相変わらず「志」は低い。
身の回りにあること、起ることを片付け、眼の前にあること、起ることに対処する。
それでさえやりきれず一日が終わってしまう。.....
そんな人生だ。
哀しくもなく楽しくもないが、淡々とそんな人生だと思う。
それで、普通だ。と思っている。
ただ...
だからといっちゃ横柄だが
目の前の事も片付けられないのに、大きなことホザいている奴は嫌いだ。
何の目標のためだか知らんが、嘘の上塗り答弁繰り返しているような....
そんな人生ではないから、志は低かっても大して問題じゃないだろ、とは思うかな?
そんなことより三連休はやっぱり助かったな。
ようやく「スタートライン」に戻ってきたカンジになってきた。
どんだけ遅れとるっちゅうねん(笑)