小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

そんなにも過去が大事か

 

 

 

「そこまで言うのは父親に失礼だ」と言った人も居るんだが....

「十分に中身も知らないくせに指導のような助言を言う方が常識として失礼だわ」と思っている。

ってか、自分の評価なんてどっちでもいい。

 


親父は一体何を重んじているのか、お寺へも、教会への懺悔も、神社への初詣も、墓参りも、仏壇に手を合わせることも、遺影を飾ることにも、熱心だ。

熱心な宗教家ではない。

機会があったならコーランでも読みそうなぐらいだから...

ある意味無茶苦茶だ。

 


困難や悩みがあると....

そちらに行く。

自分ではもう頑張ろうとしない。

「俺は苦しいんだ」とまるで苦しいのは世界で自分だけだと家族訴えるかのように泣きわめき、そして神頼みに走る。

 


家族がして欲しかったことは....

”現実的な解決”

なのに....そこに目を背けて...祈りにすがる...

 


顔を見たことがないだろうぐらいの遠い祖先の遺影にまで拝んでいる。

そんなにも過去が大切なのか?今現在の家族が困っているというのに....

 


そんな姿勢を山ほど見てきた自分は....

あんまりよくわからなかったが...

「俺は過去じゃなく未来を大切にしたい」

を強く思うようになっている。

 


というか....

親父が嫌いだったのに...どっか似ているので....確固たる「正反対」を探していたら...

そこが見つかった。

 


というところか。

 


結構昔から、ご先祖様や神様仏様には失礼かもしれないが....

「全ては未来のため」

を基本方針としてきた。

これからも出来る限りそうでありたい。

 


祈ることを馬鹿にはしないが

祈る前に現実の相手が大切ではないのか?

 


ましてや家族というならば