昨日書いたこととはちょと矛盾もするんだが...
逆に...
「どっちでもよいこと」は...とりあえず大して考えもせずに「やっておく」。
「済ませておく」...ぐらいに軽いかな?
を意識するようになっている。
そんなに暇でもないのに...
もともと全部が全部、じっくり100%も考えてから...キッチリ判断出来る...「はずがない」のだ。
だから...
どちらかと言えば...
これまでは「考えなくてもいいことまで、時間をかけて考えていたこともあるだろう?」といった気がする...
いや、大丈夫。
大して考えなくても小心者ゆえの敏感さがある(笑)
多分...「やらなかった方がよかった」と後悔するようなことの場合には何らかの「ひっかかり」を感じることだろう。
それを信頼して...
とりあえず...「済ませて」いる。
...ようになったれば...片付くこと、片付くこと。
残念ながら良心のカケラも、思いやりも、忠誠心もあったもんじゃない。
謝ることも、出向くことも、声をかけることも...
全部「片付けること」なのだ。
「気持ち?」
そんなんイチイチ考えているから「たったの一歩」が出てこない。
だったのかなぁ...
とか思えている。
モノごとは良いように考えたい。
じっくり熟考して...配慮に配慮を重ねた末...十分に相手のことを思って...わざわざ期間を空けて...「謝った」としよう...
一方、「謝ることが嫌なので、嫌なことは早めに済ませましょう」と、Uターンで謝りに出かけたとしましょう。
そんな時の結果は...
こちらの熟考ではなく、「お相手の気分次第」なのだ。
「”よく考えれば”良い結果が出る」なんてのは...相当な自惚れだ。
「自分の考えることなんて大したことない」と思っているなら、そんな作戦は出てこない。
良かれと思って熟考していたならば...
「なんで即座に謝りに来ないんだ」と怒りを増長させるってことも...あるだろうに...
これによって日常のレスポンスが良くなっている気がする。
いつも携帯するお手元メモも半分ぐらいになっている。
なんせ...
片付け魔になっているので。
「考えること」が大切なのは重重にわかる。
が、社会は...残念ながら私の体内時計で動いてはくれない。
万民平等の24時間と決められている。
それに合わせていかなければ電車にも間に合わないのだから...
自分の中に時間を浪費する作業があるのなら...
それは削除・縮小するしかない。
まあ、そんなところ。
多分...責任感の問題というよりも...
「どう見られたっていいや」的な部分が増えているんだと思う。
ささいなことぐらい「間違える人」と思われたところで人生そんなにも大差ないだろうと...
むしろ...
いつもいつも一杯一杯で...真面目に生きていらっしゃるのかもしれないけれども...
(頼み事一つ出来そうにないよな~)
と思われてしまう方が...
自分の需要を減らすんじゃないかと...
ただでさえ需要が減る年代なのに。
だからとりあえず片付けまくって余裕を生み出すためにも...
「間違ってたっていいや」
と開き直っているのだろう。
こういうのを...「恥も外聞もない」と言うのかもしれないけれども...
案外楽だ(笑)
あんまり考えなくていいので。
そしてその分脳みその空き領域でも増えているのか...
逆に、
作業(思考)の領域が広範囲になっている気もする...
そもそも...
「人のことを考えている」がご自慢の生き方の方々の御不満は...
「こんなにもあなたの事を考えているのに」
だ。
そんなにも「自分の考えること」に自信を持たれると...
けっこう迷惑な場合も多い。
ってことに気が付かないんだろう....なぁ...
そういう鬱陶しいラベルを貼られるよりは...
片付け魔の方がいいかな?