setaさんお久しぶりです。
せっかくコメントいただいたので、もう少し詳しく書かせていただきます。
多分自分の我儘は...
そんな強いこだわりでもなく...
「消去法の末の選択肢」
です。
だから...
「どうしてもこうしたい」
「こうでなければ」
というモットーがあったりするものではないと思っています。
社会に生きているので...
「相手」のことを考えることは当然にあります。
が、「相手」は必ずしも「一人」でもありません。
「もう一人」...しかも「一人」とは利益を相反するような「もう一人」が居たりします。
まさか「大人の社会で」...「どっちをとるの?」などという幼稚な場面は起こらない...
と想定しますが、自分の中では葛藤ぐらいは起こるでしょう。
うまいこと...双方のためになるような柔軟な道を見つけるかもしれません。
が、それは多分...
”自己満足”
です。
利益が相反するのに...「双方」などということがあるはずがありません。
丸く収まったように見えたのだとしたら...「どちらかに我慢を押し付けた」結果なのでしょう。
ここまで生きてきた中で、諦めとも言えるほどに自分の中で熟成された”考え方”があります。
「世の中何でも半分」
です。
昼と夜。黒と白。表と裏。正と誤。善と悪...
細かな割合にこだわらなければ...
「どちらか一方」
はありえません。
スピリチュアルではないですが、そこに宇宙万物の法則があるような気がしています。
なので...
自分の努力や思考が「100%の結果を生み出す」のは大きな自惚れだと考えます。
100%の力を発揮すれば100%得られる...
のではなく、50%%を得るためには100%の頑張りが必要
といったところです。
どれだけ好かれようとしても...
せいぜい半分ぐらいの人にまで。
残りの半分の人には、努力は通じず...というか残酷な場合は”その努力が仇になって”嫌われるぐらいがオチです。
大人気、大ブームのドラマでも視聴率は50%をなかなか超えなかったり...
支持率がどっちに転んでも50%前後だったりするのも、そんなところからだと考えています。
であるからして...
例え「たったの二人」であったとしても...
二人ともに満足してもらえるような行動を自分が取れる
なんてのは
自惚れというか、単なる自己満足に過ぎないと思っています。
もちろんそうであっても現実の場面では
「(表面上であったとしても)人の気分を気にしている風にしていないといけない」
なんてことは毎日あるので、そこは大人社会の住人としては...
シッカリ装っていますが...
答としては...
「どのみち後悔も50%は残る」
のだろうから...
「自分の好きな方」を選択していると...
ま、そうしているわけです。
それを...
「開き直り」
と言われるのでしたら、別に「開き直り」で構いませんが(笑)
自分では...
「熟考の末」のつもり...なんですけどね。
う~ん、的外れな回答だったでしょうか(笑)