小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

コメント欄ではパンクしてしまうかもしれないので(笑)

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setaさんお久しぶりです。

 

せっかくコメントいただいたので、もう少し詳しく書かせていただきます。

 

多分自分の我儘は...

そんな強いこだわりでもなく...

「消去法の末の選択肢」

です。

 

だから...

「どうしてもこうしたい」

「こうでなければ」

というモットーがあったりするものではないと思っています。

 

社会に生きているので...

「相手」のことを考えることは当然にあります。

が、「相手」は必ずしも「一人」でもありません。

「もう一人」...しかも「一人」とは利益を相反するような「もう一人」が居たりします。

 

まさか「大人の社会で」...「どっちをとるの?」などという幼稚な場面は起こらない...

と想定しますが、自分の中では葛藤ぐらいは起こるでしょう。

うまいこと...双方のためになるような柔軟な道を見つけるかもしれません。

 

が、それは多分...

”自己満足”

です。

 

利益が相反するのに...「双方」などということがあるはずがありません。

丸く収まったように見えたのだとしたら...「どちらかに我慢を押し付けた」結果なのでしょう。

 

ここまで生きてきた中で、諦めとも言えるほどに自分の中で熟成された”考え方”があります。

「世の中何でも半分」

です。

 

昼と夜。黒と白。表と裏。正と誤。善と悪...

細かな割合にこだわらなければ...

「どちらか一方」

はありえません。

 

スピリチュアルではないですが、そこに宇宙万物の法則があるような気がしています。

 

なので...

自分の努力や思考が「100%の結果を生み出す」のは大きな自惚れだと考えます。

100%の力を発揮すれば100%得られる...

のではなく、50%%を得るためには100%の頑張りが必要

といったところです。

 

どれだけ好かれようとしても...

せいぜい半分ぐらいの人にまで。

残りの半分の人には、努力は通じず...というか残酷な場合は”その努力が仇になって”嫌われるぐらいがオチです。

 

大人気、大ブームのドラマでも視聴率は50%をなかなか超えなかったり...

支持率がどっちに転んでも50%前後だったりするのも、そんなところからだと考えています。

 

であるからして...

例え「たったの二人」であったとしても...

二人ともに満足してもらえるような行動を自分が取れる

なんてのは

自惚れというか、単なる自己満足に過ぎないと思っています。

 

もちろんそうであっても現実の場面では

「(表面上であったとしても)人の気分を気にしている風にしていないといけない」

なんてことは毎日あるので、そこは大人社会の住人としては...

シッカリ装っていますが...

 

答としては...

「どのみち後悔も50%は残る」

のだろうから...

「自分の好きな方」を選択していると...

 

ま、そうしているわけです。

 

それを...

「開き直り」

と言われるのでしたら、別に「開き直り」で構いませんが(笑)

 

自分では...

「熟考の末」のつもり...なんですけどね。

 

う~ん、的外れな回答だったでしょうか(笑)