小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

それ見たことか

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「基本的に自分で決める」

習性が身に付いた(てしまった)のは

「大人への不信」からだと思う。

 

きっと...「良い大人」だって存在するのだろうけど...

育ちが悪い人間にとっちゃあ、そういう人が身近に居る確率が低い。

ましてや親や家族に問題があるとすると...

そういった良識人に出会うこと自体が稀になる。

 

かくして...不遇にも...不信を抱くような大人にしか出会ってこれなかったのかもしれない(笑)

 

が、今のようなコロナの対応を見るにつけ


「やっぱりな」


と思えてしまうのも皮肉だ。

 


昔から...大人たちの言う...

 

「みんなで」

「普通は」

「一緒に」

「頑張って」

「迷惑を考えて」

「我慢が必用

 

というボキャブラリーが嫌いだった。

 

嫌いと言うか...「自分たちもちゃんとそうしてるのか?」

 

と問いかけたくなるような場面ばかりを見てきたので。

 

あたかも...

「お前らは4人以下で食事だぞ、俺たちは8人でもいいけど。」

のように。

 

子供と大人の立場が違うことぐらいはわかる。

義務の量も違うのだから...責任も、権利も平等じゃなくても当然だ。

 

でも...

平等に得られるのなら平等に支払うべきであるところを

支払いだけは平等で、得られる分は自分だけが得するようにしたり...

平等に犠牲を払うから平等に得られることがあるとするなら...

犠牲は平等に払わないくせに、得られるものだけ平等であるようにしたり...

 

子供より知恵が働く分

巧妙に

実に巧妙に立ち回るのだ。

 

そういうことが...

子供には見えていないと思っている

 

見えてるわ、そんなもの。

 

ただ....

そうでない”まとも”な大人も居て、そういった人ならきっとまともな人生訓や、

成功へのまっとうな道筋なんか教えてくれたのかもしれないけど...

すべてを遮断してしまった自分には

そういう教えも”本”ぐらいからしか得られていない。

だから成功からはほど遠い人生になっているんだろうけど...(笑)

 

人には4人で、自分は8人

そんなことで「俺達は特別だからね」と勘違いした満足に浸っているような大人には...

なっていなくて良かった。