迷った時の選択肢...すら減っている

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頑張ってはいるつもり...だけど....

事態は年々深刻になっている...と、思う。

努力は実を結んでいないこと...にもなる。

 


その通りだ。

しかし....例えばプロ野球の二軍選手だったり、高校野球の補欠は頑張っていないのか?

と、言うなら、そんなことはないだろう。

一軍の選手やレギュラーより、うんと頑張っている人も居るはず。

大都会のサラリーマンやテレビタレントとて同様。

 


頑張っていても....実を結ばないことはある。

いや、その方が多い?か?

 


わかっちゃいるんだけど....

諦めきれない。

その思いだけでここまで踏ん張っている。

ここで踏みとどまっている。

が、力尽きようとしている....

のがわかるから....焦りや不安が尽きない。

 


いつも以上にヒドかった年末年始は結局のところ12月に入ってから2日間だけの休みでここまで来た。約50日で二日の休みだ。

 


「要領が悪い」という人も居るかもしれないが、「やるべきことを残して」は休んでいられなくなっているだけのこと。

どうしてか?

そこで終わった場合に後悔に変るから。

 


という50日を乗り越えて...

初めてまともに休んだ。

仕事の事は何も考えれらなかった。

リフレッシュ?

とんでもない。

ただ、仕事の事を含め、何も考えたくなくなっていただけのことだ。

 


そんな折に偶然「徳さんのバスの旅?」かなんかを見た。

よくわからないけど....

こんな時間の過ごし方もあるんだと....なんだか妙に羨ましかった。

 


若い頃だったら...

こんな状況なら

もっと悩んだと思う。

もっと後悔に襲われたと思う。

それが...案外すんなりしているのは....

冷静だからじゃない。

選択肢が無くなった、もしくは少なくなって迷う必要すらなくなっている、だけのことなんだろう。

 


まだ死にはしないと思うけど...

最後の道は選択肢ゼロで「死」なのだから、それに向かって着実に選択肢を減らしてゆく年代に入っているんだろうなぁとか思った。

 


リアルの生活じゃあ、そんなに暗くはしていないんだが....

正直楽しいことも少なくなっている。

 

努力すべきだった日々

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別に野球が得意だったわけでもないし、プロ野球選手になりたかったわけでもないが...

清宮君のニュースを見るにつけ、どうして自分にはこういう道がなかったんだろうか?とか思ったりもする。

 


もともとの素質が違うとか、環境が違うとか、生い立ちが違うとか、両親が違うとか、そんなとかとかは解っている。

別に人気者になりたいわけじゃない。

ひのき舞台を目指そうとしなかった自分、

いやさ、どこがひのき舞台なのか知らなかった自分

いやさいやさ、ひのき舞台よりも日陰者に興味があった”昔の自分”が忌まわしい....

 


が、結局のところ....

「ああしておけばこうなっていたかもしれないな...」

「こうしていたらこっちの人生があったかもしれないな...」

などと思ったところで....

”過去のその時点”では、それを選択しなかった自分が居たわけだ。

もしくは決断せずに流れに身を任せるという”選択?”をした自分が居たわけだ。

 


細かなことまで含めて、そういった選択の連続の結果が「今」だ。

都合のよいところだけ切り取って、「ああしておけば....」と考えてみたところで「現在の自分」は変わらない。

仮に....

もっと”上出来の過去”なら...上出来の過去...であったとしても....

それはそれでどっかで傲慢にまでなっていて...案外今頃には「おごれる人も久しからず」となっていたかもしれない。

 


目標を掲げ、遅まきながらも「努力が必要なんだ」と思うようになっているのは、面白くないし、楽しくもないし、重苦しい毎日なんだが...

「おごれる人も久しからず」...よりはマシなのかもしれない。

 


それだって...

「やるべきことをやっていなかった」

「気が付くべきことに気が付いていなかった」

という”負の過去”があったゆえに....

「昔より多少は考えるようになれた今」となり、「”気が付かなかった昔の自分”に気が付くようになれて」いるのかもしれない。

 


なんだかややこしい話だけれども...

要するに...”昔に”

気が付いているものならば”今”の自分にはなっていないし、努力しているものならば、”今”こんなことを考えてはいないということ。

 


そもそも...

”願望”剥がして嫌な面まで”昔の自分”を振り返ってみるならば...

 


相当にヒドい....

ある意味....

こんな”今”でさえ、上等だとも言える....

人生よくぞこの特俵で残っていてくれている....

とさえ言える。

 


そんな分際でありながら....”昔のうちに”

「気が付いていたら」

「もっと努力していたら」

今以上....という推測は...ただの”100%実らない空想”に浸っているだけのことなんだろう。

 


過ぎてしまった”努力すべきだった日々”のことを考えるより、カーネル・サンダース安藤百福を見習うべきだ。

新年早々仕事、仕事、仕事

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新年早々の三連休は全て仕事をするハメになった。

モヤモヤした気持ちにならないわけでもない。

 


が、仕方がない。

多分いろいろ考えても、迷っても、これしかない。

こうするしかない...と思う。

 


そりゃあ独りで仕事をすることになっているんだから、あれやこれやと考えないでもない。

違った人生もあったかも...

違う人生を選べるかも...

...

...

が...全て妄想だ。

 


過去をやり直すことが出来ないのは当たり前だし、ここまで来ての路線変更もありえない。

ある...とするなら...”今”の仕事が終わってからの....路線変更だ。

それも...望ましい方向とは限らない....

 


つまり...”今”

に、しがみつくしかない。

 


これを「哀しい」とか「虚しい」と言ってしまえば、自分の人生が、毎日の生活が、「哀しいもの」になってしまうので、そんな風に思ってしまうなら、なお寂しいことになるだけだ。

なので...

「仕方がない」に留めておけばよいことだ。

 


決して前向きな姿勢で三日間を過ごしたわけでもないんだが...

”今”にしがみつくのが一番良い選択だろうと、

そのためにする”努力”には裏切られることもないだろうと、

新年早々から土俵際で踏ん張っているわけだ。

 


”目標”でも無けりゃやってられねー。

年末年始無事終了

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だらだらと過ごした割には、いろいろと遅れることなく年末年始のスケジュールは消化できた。

ちょと不思議なカンジもするんだが...

考えてみれば、「遊びに出かけなくなった....」というのが大きいんだろう、やっぱり。

 


年末年始に限らず”遊びに出かける”ことは少なくなった。

もともとは....毎週でも、いやさ出来れば平日も、週休4日制で3日のみ働くぐらいでも、”遊んでいたい”と思う方だったのに...

 


頭の中の整理のために...思い当たる理由というか要因を並べてみる。

①仕事第一の生活になって、そもそも遊びに優先的に時間を割くことがができなくなった。

②仕事で十分に疲れることが多く、プライベートな時間にまで疲れていられなくなった。

③これまでに十二分に遊んできて、今さら苦労してまで遊ぶ気が失せている。

④遊ぶにしても”快適に”遊びたいので、苦労や苦痛を伴う遊びに積極的ではなくなった。

⑤苦労や苦痛は日常や仕事上で嫌というほどに味わうので遊びの場でまで味わうぐらいなら遊びに行きたくなくなった。

 


ってなところか?

よってせいぜい積極的になれるのは...「飲み会」ぐらいなもんだ。

苦痛もないし、努力も要らないし、クーラーも、ヒーターも完備しているし(笑)

...で、いいんじゃないの、と思うようになった。

 


なので、こんな生活に別段の不満もない。

いや、むしろ...凍傷になりそうな雪山や日焼けを過ぎて焦げてたんじゃないかの真夏の太陽の下を、どうして我慢できていたのか?不思議に思うぐらいだ。

 


そもそもに....そういった厳しい自然から逃れるためにも人間は文明を発達させてきたんだろうに...

なら、快適な方に向かうのは”当然の選択”でもあるはずだ。

 


かつては「遊びの快楽」に痺れていた。

仕事も家庭も犠牲にしていたと思うが、冷たい視線から逃れるようにさらにより積極的に”遊び”に向かった。

いや、逆かもしれない、仕事や家庭の苦痛から逃れるために”遊びという麻薬”に溺れようとしていたんだろう。

 


そして...結局は仕事がうまく行かなくなって....

目が覚めた

ってなところか。

 


今の自分にとっては”遊びは麻薬”ではなくなっているんだろう。

なので逃げ込むこともないのだろうし、溺れたりしてたらば、かえって後々苦痛になることにも気が付いているようだ。

少し不思議な感覚だ。

 


とある知人からスキー場からの年賀状を戴いた。

不思議なことに全く羨ましくもなかったし、行きたいとも思わなかった。

いや、負け惜しみでもなんでもなく。

 


多分...今の一番の快楽は仕事を成功させることなんだと思う。

いや、それはかなり難しいんだが...

そこまで行かなくとも、遊びの麻薬に酔いしれる...どころか...いつしか、時間も無いのに遊びに出かけて仕事や所用がふんづまる方が...よっぽどか苦痛になっているということだ。

いつの間にそうなったのか知らないが...

で、その方が割とスムーズに生活できているということなんだろう。

 


忘れないようにしたいな。

まだどっか自分の中のわからない場所に、遊びに疼く虫がたくさん隠れているような気もするので。

始動

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年末から飲み倒しているせいか?体調がよろしくない。

ま、当たり前の話であるし、誰のせいでもない。

そして、寒いので外にも出たくない。

たまたまに一日、二日と、恒例になっている訪問の予定もあって外出はしたものの...今日は出たくないそのまんまで家に居る。

おそらく...年賀状の返事出しとちょいとした枯葉のそうじ以外は居ずっぱりになるだろう。

まあそうは言っても半分ぐらいはこれでも”予定通り”だ。

 


と言うのも...昨年の年始には年末からのバテで体調を崩してしまったこともあり、今年の年始2日間は”まるっきり”仕事をしないことに決めていた。

そもそもの下地に、貧乏臭いというか、時間を惜しみ過ぎるというか、少しの暇を作ってしまうことも”悪”とするようなところがあって...

「丸一日何もしなかった」ような日は”最悪”のレッテルを自分で貼ったりもしてしまう方だ。

ましてや”忙しい時期”であればあるほどに、そんな時間は”もったいないもの”とされ、後々ふんづまってくると...「やっぱ、あんとき頑張っておきゃあよかったんだ...」と後悔の種になること必至。

 


...の結果が昨年のダウン。

これまでの人生も大体そう。

途中...シンドい時に...”少し休んだ方がいいんじゃないか?”と脳裏には浮かぶ...

浮かぶ...んだが...そんな時は...「ここが、こここそが、”頑張りどころ”」と鞭を入れてしまう方だけに....ダウンしてから判断が間違っていたことに気が付くハメになる。

 


その予防線というか、そんな思考の改善として、今年の年始二日間は、「まったく何もしない」と決めていた。

ボヤんとテレビをつけてみたり....それも良いかと...

 


というわけで、今日からぐらいは「チョイト動こうかしら...」ともくろんでいたんだが...

昨日の恒例年始ジョギングの後遺症であちこち痛過ぎて...なかなかフトンから出られずに居た。

やっぱ歳喰ってきたな、と改めて思わされる。

それじゃいかんと、年始でもあることだし...五度目の目標でも固めてみようかと....

 


まずもって”期間”は現在の五カ年計画の残りの期間を流用し、そこを「早く到達したのでノンビリ過ごす」などとは言わせないようにした(笑)

”量”ももくろんだ。

 


普段の行動にはさほどの影響は無いんだけれど...

まあ...加齢というか、予想したくない”衰え”からの加減変更は必至だと思う。

ここ数年ずっとそんなカンジで、やるにはやってるが...もう無理が本当に効かなくなってきた。

丁度今駅伝やってんだが...若い時なら前半に飛ばし過ぎてしまったとしても...案外後半も行けたりしたものが...

確実に”無理の代償”が訪れるようになった。

そこを予定しておかなきゃならない。

 


に、加えて...状況というか...環境の変化も、これまで以上にキツくなっていくと予想している。

森友・加計問題は誰が悪いと断定できる立場にはないものの、国のお金がそこに使われる事業にしちゃあ「明らかにおかしい」から問題になっているわけだ。

他にも補助金貰える事業は山ほどあっても問題にならないのだから、極めて異常な貰い方ではあるはずだ。

大相撲もそう。

ビットコインもそう。

そして日本の大借金もそう。

本日の朝日新聞にも、正月早々だというのに暗い警鐘記事が堂々と載せられているんだが....

ウーマラッシュアワーの村本よろしく、「億り人」には興味を持つ癖に、そこは考えないわけだ。

正直...あまり良い予感はしない...

なので今回もさらに、目標達成は「遠い道」だと思えている。

 


が、そんなことを言うなら、そもそも目標を立てる意味すら半減してしまうので、ま、自分も今の日本の状況は...見て見ぬフリをしてしまうんだろう。

いやさ、そうでもしないと”明るい未来”なんか想定できない...という、まあ引き算からのような思考だ。

 


”次の目標”の期限は一応”2年半後”とはしている。

が、人生の本当の清算期日はその次の5年後なんだろうと踏んでもいる。

けっこう「遠い先」と思っていたから具体的な期限を設定することはなかったが...哀しいかな?案外近づいてきてしまった(笑)....ようだ。

この2年半とて、2年半前には「けっこう遠い道のり」だと踏んでいたはずなんだが...過ぎてみりゃ”すぐ”だ。

まあ、後悔しない程度には頑張ってきたから、目標にも手が届いたんだろうけど...サボろうと思えば簡単に過ぎてもしまえるほどのわずかな期間であることもわかる。

もし...サボっていたらば...

と考えてみるなら...けっこう恐ろしい心境になる。

 


今は正直”7年半”は遠いと思っているし、とにもかくにも、その前の”2年半”をまず...というべきだんだが...

そこで”終わり”じゃない覚悟は育てておくべきか?といったところ....

 


そういう中で、今年も始動しようかと思っているんだが....

記憶に新しい昨年の年始早々のダウンは、ある意味一つの良い警鐘にしてゆこうとは思っている。

どんなに美しい途中経過があっても、目標到達前に「倒れちゃ終めー。」だ。

軽傷だから良かったものの、”次”さえ考えられなくなるのなら、何のための頑張りだったか、ということにもなる。

....その前の2年とて...12月は休めないのは変らなかったし、その無理から、いずれもギックリ腰をやらかしている。

飲み会を断り、遊びの誘いを断って...友人も減らしたような気がする....

 


正月の家族で撮った写真を見て、随分フケたと思った。

第三者的に見て、”しゃかりき”はもう全く似合わない(笑)

 


昨日の年始初ジョグはその象徴か?

のんびり進んだからゴールに到達できたものの、記録とか、スピードとか、格好良さとか、そんな色気を出していたら....

肝心の”ゴールへの到達”が出来ない...と

そういった哀しい年齢になってきているという自覚は...昨年にも増して必要なんだろう....

さあ、ともかく”四度目”の目標は過ぎ”五度目の山”に登ることになったのだから...祝宴も終わりだ。

の割には....カラダの重いスタートだ(笑)

ま、自分が悪いんだけど。

 

仕事納め

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仕事納めの日。

今大掃除が終わった。

休み無く働いてきた12月。

例年ここからさらに残って仕事をするのが恒例なんだが...

今年は何故かもう仕事はしたくない。

やめだ。

早よ帰ろ(笑)

 


今年も昨年に増して不遇の年であったように思うんだが...

それでもなんとか乗り切ってこれたのは....予定を前倒しで処理する習慣が多少ついてきたからのように思う。

けっこうそれに救われた。

いや、それがなかったらかなりの修羅場を創造していたように思う。

 


常に前倒し、前倒し...だと、結局「休み」もなくなるんだが....それでも「余分に進んでいる感」に救われることは多いし、救われたと思う。

現時点のトレーニングとて、来週の月曜日分まで終了しているので、プライベートでも多少ゆったりできる。

そういった余裕も持てる。

現役で居る限り、この姿勢は続けたい。

 


また、今年は「やるべきこと」を珍しく減らした年でもあった。

資格取得のための勉強を止めてしまったのは正解だったと思う。

続けていたらば”目標”の達成もまだまだだったと思うし、ヘタしたら挫折していたかもしれない。

資格取得のための勉強は...多分...リタイヤでもしない限り当面しない。

おかしな言い方だが...資格取得のための勉強を止めてみて、ちょっとばかり冷静になってみたらば...それ以外に勉強しなければならいことがたくさんあることが判明し、「どっち向いてんだ」と我ながらびっくりしたぐらいだ。

まあ、それぐらい混迷しているというか、見失っていたということなんだろう。

 


超人でもないので...年齢を感じることも多くなったが「次の目標」も少し具体的に見えてきた。

5度目の目標になるが、4度達成しているからという自信が全く持てないのが笑える。

笑っている場合じゃないんだが...

 


本日仕事納めの飲み会がダブルブッキングしている。

いわゆるダブルヘッダーの飲み会だ。

12月の初め頃、約束した時は「それどこじゃないかも?」とかなり気が重かったが...

ま、それこそ余裕で参加できるようにと我武者羅に頑張ったかな?

 


1月とてかなり大変になることは目に見えているが....

とりあえず....今日は、カラダを壊さない程度に楽しもう。

たまにゃいい。

とりあえず”次へ”...かな?

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”しょぼい目標”とは言えども...一応は人生最高の到達点としての設定だったので...それなりの余韻に浸りたかったんだけど...

忙しすぎて回顧する暇もなかった。

で、焦って酔っ払って寝る直前に書いたんだろう...前回の文章は....

ひどいもんだ(笑)

ま、記念として消さずにとっておこう。

 


しかしながら余韻は期待していたほど無い。

むしろ正直言って、先の不安も少なくはなっていない。

目標達成以前と比べて多くなった...ということもないが、目標達成の安堵が不安を差し引いた...ということもない。

つまり...何も変らない。ということ。

 


今回もそうだったのか...というカンジ。

こういった類の”目標”は、これまで4度設定してきた。

つまり4度達成してきたわけでもあるんだが...

大体において達成が見えてくると....次のハードルの設定を考え出している。

毎度。

つまり....目標達成の時点では、気持ちはもうかなり”次”になっている。

 


本人の感覚としては...”前向き”だからじゃない。

結局のところ...目標達成で埋まるモノはない...から”次”を探し始めてしまう...といったカンジだ。

なんとなく乾いている自分のどこかが目標達成によって”満たされる”ことを欲しているはずなんだが....

そうはならない...ということ。

 


どうしてなのか?は今のところわからないし、わからないから4度も繰り返している。

そして多分...今現在は超忙しいので5度目の具体的な照準が整理されていないだけで...

余裕が出来たら...多分...5度目も設定するんだろう...と思う。

 


そうやって...いつの日か...本当に達成できず...”達成できない目標”だけが残る...ってのが”最後の目標”になるんだろう....

そのはかなさ?悔しさ?とともに...どんどん老いぼれていくんだろうか...

 


毎度毎度、「今回が最終か?」と思ってきたことが...

4度目まで達成出来たことだけでも喜ぶべきことなのかもしれないが...

その有難みを本当に実感するのは多分....

達成できないと観念した”最後の目標”の時なんだろう...

 


そう思うと....

なんだか悲しみを最後に味わうために努力しているようなもんだ。

なんだかな...