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バテたな、こりゃ

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駅伝を見ていると、走破後「本当にさっきまで走ってたの?」ぐらいの選手と、倒れてしまって救急車で運ばれるような選手が居る。

そんなもの専門家なので、ペースの配分から事前の準備、日頃のトレーニングとそう差はないと思う。

イメージだって、ともに”快走”を描いていよう。

が、残酷なほど結果に差が出ることがある。

決して”快走走者”が手を抜いたということではないだろう。

やはり何らかの理由で倒れた選手はオーバーペースに至ったんだ。

これもおそらく”わかっていても”。

 

 

強がってはいるものの、先の「五カ年計画」は、これでも結構無理してたんだろう。

正直、思っていたよりも収穫もあったし、達成ペースも速かった....

が、その分余計に。

 


”その後”も、もう2年になろうというのに、ペースが戻らない。

よりも、結構毎日ダルい。

昨年末から正月は寝込んだのも記憶に新しい。

 

何とかこの低迷から脱出せねばと、いろいろ試してもいるが、これもノリ切れていない。

 

まあ、深くは考えないが、単純にバテたのか?とは思う。

休みが年に2日なんて年もあったし、大体が14時間稼働だった。

 

ということで一つの目標を諦め、最低限の努力目標の維持ということでふんばってはいるものの、それさえ嫌な日も正直増えている。

 


ま、それぐらいはやるけど。

 


まあ、人間いつも順調というわけにはいかないだろうし、いつもいつも前を向いていられるわけでもないだろうし。

 

ってなことで、止めてしまう<ノンビリでも続ける

という選択にしている。

 

いや、どのみち「出来ない」んだから、選択ではなく、継続するために「残された唯一の方法」だとも思うし。

 

イチローの調子が悪いらしい。

というか、一体いくつだと思っている。

あの年齢でバリバリの大リーガー達と争っているんだ。

なまじっかの消耗では済まされないはずなのに...

よーくやってるよな、と毎年思う。

 

が、俺は俺、彼は彼。

彼から見たらば鼻くそのような低レベルの努力でも、消耗するものは消耗するんだって。

残念ながら”休場”は許されないんで、休み休みながらでも続けるしかないのだよ。

正直、今は何を目指したいか?よりも....もう少したくさん毎日寝たいんだし。

最低ラインは維持

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前回はおどろおどろしいタイトルだったので、早めに更新したかったんだけど、また、時間が経ってしまった。

 

勉強を”日課”から外して18日になる。

18日にもなれば、もうそれ以前の習慣すら忘れかけてくる。

あたかも”今”が過去から続いているような....

むしろ....思い出すのは、こういったブログを書く時ぐらいなもんか?

 

”気の持ちよう?”はあまりわからない。

とりたてて考えることもないし。

ただ...勉強を日課としていた時と、”忙しさ実感”はあまり変わらない。

つまり、勉強がなくても、起床から就寝までに暇な時間はさほどない。

ん?

物理的にはそりゃおかしい。

が、実際そうなのだ。

ん?

じゃ、勉強はしてもしなくても所用時間がゼロ?ということになる。

 

んじゃなく、それぐらい他の時間を削っていたんだろ、多分。無意識のうちに。

それが相当のストレスだったのかな?とか思う。

勉強があっても、なくても、所用時間の全体は同じ。

なら勉強時間の分だけ、他のことを圧縮した時間でやってたわけだ。

 

自分じゃ焦らぬよう、急がぬよう、丁寧に、やってたつもりでも....

そうじゃなかった....んだろう。

隠していたけど、自覚も、あったんだろう。

 

そういうことがなくなった分だけでも、少し、スッキリしているのかもしれない。

大してスッキリした気分でもないが。

 

今後のことはわからない。

勉強が日課でなくなったからと言っても別に余裕が出来たわけでもなく、

今日だって、用件全部消化できなくて、来週に残すぐらいだし。

 

まあ、ちょいと詰め込み過ぎていたな、とは思うので、今後のことはこれからまた考え直していこうかな?とか。

 

とりあえず、仕事とトレーニングはサボっていないつもりなので、ま、最低限、は努力してるかと(笑)

憎悪からの努力

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どうもハライチみたいなタイトルが多い。

 

勉強を”日課”から外して12日になる。

ごいさんに言われたからじゃない。

こういったことは初めてじゃないので、自分の中で”尺度”は持っているつもり。

 

ただ...性質...と言っていいのだろうか?

意識していないと、同じことを繰り返す。

今回もそう。

気が付けば...ということになっていた。

 

本当の意味の”努力好き”じゃない。

努力を始める魂胆や、その仕方など、まっとうに努力を重ねている人と並べたら失礼な輩だ。

それもわかっている...つもり。

 

魂胆というか努力を始めるキッカケ、動機までは自分じゃわからないが...

継続につながる意欲の根源が健康的じゃない。

さほどにドス黒いものじゃないが、

見返してやりたい

どうよと見せびらかしたい

賞賛されたい

そんな憎悪?みたいなものが、深層心理にあるように思っている。

 

誰に対して?なのか?

うっすらとはわかるが、気持ち悪いので書く必要はないだろう。

生い立ちか、経験か、環境か、

ま、ここんところは考えたって仕方が無い。

もう過ぎたところだし、自分じゃコントロールもできないところだ。

選んで日本人に生まれたわけではないように。

 

だから....

自分はうまく行っている時には努力を始めない。

もともとが自惚れて、のんびりと、ぬるま湯につかっていたいのだ。

本心はそこにあるのだ。

 

うまく行かないから

嫌々努力を始めるのだ。

 

ただ...そうであっても、努力しないよりはマシだろう。

そう本心をごまかして努力を始める

 

だから自分の努力には恨みがくっついている。

 

自分の努力が評価されないと面白くない。

努力の結果が褒められないと面白くない。

 


そんな自分の性質を思いだしたときは、そんな気持ち悪い努力ならやめてしまえとなる。

で、やめてしまっても、日常生活に影響のないことを知る。


いわゆる「気持ち悪い奴」になろうとして努力をしているようなものだからだ。


相当に負のエネルギーなんだろう。

 

今そんなところ。

 

日課が一つ減った割に暇は出来ていないんだが、他の事は少々落ち着いて取り組めるようにはなってきたかな?

 

王様の耳はロバの耳

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正直な話、

ネットが登場した頃、ものすごく誘引されてしまったのは、

現実の世界で”聞けない話””見られない映像”があったからだ。

健康な成人男性が発する感想なのでお察しを。

 

Hな世界の件ばかりじゃない。

2chを代表として、面白い本音、痛快な厭味、引きずり込まれそうな嘆き...等々

現実の世界でそれを発することは

禁じ手、ご迷惑、失礼、戒めを受ける....としてなどあって、縁の下に隠されていた”思っちゃいるけど発せられない言葉”が大量に溢れだした。

 

もちろんその功罪はあろう。

が、それによって、現実の世界だけでは知る由もなかった「本心の世界」の存在を知り、人間はさほどにも単純ではないことを知る手がかりを得て、

学校で教えてもらったような清廉潔癖な世の中にいつまでたってもならない理由がわかったような気もした。

 

大袈裟に装飾された話も多い?

そんなこと子供じゃあるまいし、わかっているに決まっている。

それを除いても、という話だ。

 

”悪い状況”として話しているわけではない。

自分じゃそれらも有益ととらえている。

聞くにも忍びないほどの汚い罵り。喉から血が出そうな怨念。

それらが”嘘”であることを願いたいが、残念ながら”本音”であることも多い。

 

大体の人は良識がある。

だから...

思っていても「現実の世界」じゃそれを吐かない。

吐いていなかった。

そこに登場したうってつけの”井戸”がネットだった....と、思うのだが....

 

誰にも気付かれないように、こっそり井戸に吐いたつもりの言葉が...

「人としてあるまじきでない言動」やら

「良識というものを全く身につけていない人格」やら

として断罪される。

ひょっとしたらば断罪する側も大して立派な行動しているわけでもないのに、言葉の上での良識の優位を刀にズバっと斬り付ける。

 

道徳の公式に当てはめるなら、

そりゃ言われてしまえばそうだろう。

見つかってしまったということは”井戸の外に引っ張り出されたことになり”反論できるわけもなく”謝罪”するしかないのだろう。

 

....なら...言わなくなるよな。

二度と。

本音を。

 

そしてそれほどまでに誇張する道徳心や公共心に現実の世界も”ちゃんと”満ち溢れているのかな?と。

 

悪いがどんなにきれいな文章でも、”よそいき”の文章なんて、空虚なだけだろう。

どっちかっていうと”本心見たくて”ネットやってんのに、そんなキレイ事の文章なら、新聞、テレビ、雑誌で十分なんだけど。

淡々と

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人並みにゴールデンウィーク

残すところあと2日。

予定の消化は7割か?

正直、いつもに比べて進まなかった。

が、無理にも進めなかった。

もう少し頑張れたとは、思う。

いつもなら、頑張ったと、思う。

でも、そこを、止めた。

止めてみた。

 

勉強も全くしていない。

それでも暇ではなかった。

暇だったらしている。

 

そういう面も確かめてみたかった、というのもある。

自分で言うのもなんだが、無理を入れ、無理が平気になり、さらに無理を入れ、それも平気になって....

消化するだけが目的のような生活、になっていたのかと、先般から思っている。

その判断じゃちょっと自分に優しいかな?

と確認しているところ。

甘いかもしれないが、優しくもないかな?特別には。

 

あんまり頑張ってないので(笑)、特別ハイテンションでもなく、淡々と過ごしている。

淡々とし過ぎて詰まらないぐらいなんだが...

ただ....静かな分、回想というか、過去への反省みたいなものも回ってきて、今何でこんな努力をしなきゃならんのか?やら

庭仕事にしても、もっと知恵があったなら、手入れの楽な庭にしてたのに、とか、

全て自分が判断してきたことで、全て自分が悪いんだけど....

実にアホだったとは思う。

 

ま、誰のせいにも出来ないからな、と思えるところは救われているか?

ん?なんか風向き変わってきたか?

歳とったのかな...

 

実験中

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勉強を必須のノルマとしなくなってみて....

正直やっぱ少し気が楽になっていると思う。

 

勉強といったって学生じゃないし、それほどに量のあるものでなければ、内容の濃いものでもない。

一日一時間、いや30分も出来れば上出来で、記憶するというよりは写経に近いようなもんだ。

でも、出来るだけ毎日、少しでも毎日、誰に決められたわけでもない、自分への呪縛が、けっこう窮屈にしていたように思われる。

 

まだ、一週間程度だけど、あくまで仕事優先として、仕事に支障をきたしそうな時は、きっぱりと諦めるようになった。

その分トレーニングは重視しているので、こちらは予定以上に進んで、こっちの負担が軽く感じられるのも相乗効果だ。

 

なので、勉強時間少なくなったからといって、空いた時間が出来ているわけでもない。

ごいさんの言う”幅”ってのは、こういうことを言うんだろうか(笑)

 

パンパンにスケジュールを詰めていた時には、勉強はおろか、トレーニングも、仕事も、何もかもが、やらなきゃやらなきゃという切迫感ばかりで、息苦しかったのが、少し、呼吸しながらやっている...ってな感じになっている。

上手くは言えないんだけど...

 

もちろんゴールへの最短距離、最短時間は放棄したことになるんだろうけど...

こういう形も悪くないってか、こういう形じゃないと続かないこともあるんじゃないか?とか思ったりもして。

 

15パズルだったっけ?16マスの中の15駒を動かしていくやつ。

あれ、16駒だったら、動かないもんな。

あえて1駒空けておく、ってな意識はけっこう重要なのかもしれない。

ってことを自分のカラダで実験中。

ほどほどにしか頑張らないぞ

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資料の整理をしていたら、とある資格の「開講の知らせ」が出てきた。

ざっと3年前のだ。

 

そういえば....現在の仕事に関する資格であっても、その必要性は認識しつつも、「勉強に振り向ける時間なんか取れるはずもない」と長年諦めていたものを....

その時は何故か「エイヤっと」無責任にも開始した。

清水の舞台から飛び降りるほどに大袈裟なものではないが、レポート提出の期限が細かく設定されていて、忙しさ理由での遅延は許されない。のが最大の敬遠理由だったのに。

 

実際に、内容はさほどに高度なものではなかったが、時間はかかった。

平日で毎日30分、土日は1時間ずつ、で、ようやくついていけただろうか?

なので、平日一日サボると、次の日は自然と1時間はやらねばならなくなった。

 

この強迫観念があるので、なかなかサボれないし、溜められない。

受験生の時でさえ、そんな環境に置かれたことがないので、ストレスはかなりあったが、それでも無事1年終了した。

 

そう、もともと勉強時間を確保するなんざ、無理だったのだ。

 

が、この経験でちょいといい気になって、もう一つ資格を取りにいった。

それもギリギリで成功した。

 

「なら、もう一丁」

 

ということで、日常に学習時間を強いる生活が3年目に突入していたんだが....

まあ、一見充実しているように見えてはいたものの、けっこういろいろなことを犠牲にもしていることに気が付き出した。

たかだか1時間、たかだか30分、なので、努力次第のようにも思うが、ことはそんなに単純じゃない。

 

トレーニングすら、継続するために時間を確保するのがもともと手一杯だったのだ。

 

気が付いたら強迫観念に仕切られる生活になっていた。

さほどに苦しいものでもないが、何も楽しくないのも事実。

飲み会に出かける際でも、テキストコピーして、地下鉄の中でも勉強....

 

やらなきゃいけない感から、付き合いを断ることもしばしば....

「オレは....遊んでる場合じゃないんだって」という優越感なのか?強がりなのか?深層は劣等感なのか?

よくわからない意地を張ってきたりもしたが....

 

ともかく一旦「普通の頑張り」で、①仕事、②家事(ほんの少し)、③トレーニング、④勉強としてみたら....

面白いぐらいに(面白くないが)勉強にたどり着かない。

この10日で30分しか出来ていない。

 

かといって日常をサボっているつもりもないし、この期間内にこなした仕事の量はけっこうなもので、それなりの収穫も大きなものだった。

 

ん?この生活のどこがいけない?

 

別に結論めいたことを出す必要もないと思うが、

何が正しいのか?

そんな単純でもないように思う。

 

この10日間、勉強は出来ていないが、着手したことは少なくない。

それも大事なことなんじゃないのかな。

う~ん、よくわからんな。

 

ともかく、無理からに勉強時間作っていたときよりも、アチラコチラが片付き出したのは確かかな?

そして....遅れていたトレーニングメニューの消化も元に戻った。

そして....プライベートな知り合いとの交流も増えてきた。

 

頑張るってのも必要なんだろうけど、なんか必死の形相して、「近づきたくねえや」ってな奴居るけど....

そんなニオイ出てたのかも?

 

ま、勉強も諦めたわけじゃないけど....

よくある「1年で最短合格」...みたいなのはヤメよう。

本業が勉強である学生さんじゃないんだし。

本業大切にしないと。

まあ亀の歩みで10年ぐらいかけて....で、程良い頑張りなんだろう。