鉄の斧

下り坂研究日誌~より良い下り坂人生にするために~

飴と鞭

 

 

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もう....

気分的には全然”下り坂”ではなくなってきた。

 


”のんびり”というわけじゃないが....

もう少し...静かに、冷静に、虎視眈々と?

ある意味...悠々自適な方向に....舵を切って....長い下り坂を楽しむように....

と気持ちを切り替えたところだったのに....

 


まさかの急展開で正直困ってもいるんだが....

 


こういうのが人生

これぞ人生

ともまたもや思わされている。

 


非常に楽しくない事態なんだが...

こういうのは....避けられない

と直感している。

いや、避けたり、逃げたりする方が後々後悔するぐらいの人生経験はしてきている。

いやさ、この時の覚悟のために.....

これまでの後悔や反省がまとわりついているんだと思う。

 


いろいろ試される。

 


集中しなければいけない。

順序も大切だ。

が、緊張はよろしくない。

激しい感情もよろしくない。

焦りはマイナスでしかない。

慌ててはいけないし、落ちついては行くべきだが....でも、のんびりでは....多分間に合わない。

 


いろいろ難しい。

 


難しいので....「もう二度と御免だな」という気持ちも含めて.....

 


とりあえずは....「人生最後の試験」としよう。

 


どのみち最後じゃないとは思うけど.....そうでも思わないことには、気持ちが重すぎる。

 


そして、この先には....楽園が待っている....と思いたい.....。

 


まあ、”自分に都合良く”でいいんだと思う。

 


頑張るのは自分なんだし、自分しか頑張らせられないんで。

 


どうにも現代社会というものは、人間の能力から相当に離れた部分も出てきたようで....

 


達成結果を順に並べるならば....

①大成功
②ビョーキ
③小成功
④ビョーキ
⑤小失敗
⑥ビョーキ
⑦大失敗
⑧ビョーキ

ってな図式をも否定できないところにあるような気がする。

「自分だけはあてはまらない」....と、思いたいんだが...

自分の精神力なんて測ったこともないわけで....

 


その後にも人生が続くことを考えるならば....

一に避けるべきは確率の低い⑦よりも、あっちこっちに散らばっている②④⑥⑧のビョーキだろう。

それが最大の「注意すべき点」だ。

ビョーキにならなきゃ、どっからでも復活の可能性はある。

 


でも目標は100点の大成功だ。

大丈夫。

そう思っていても取った試しがないので(笑)

 


いやいや③の小成功で十分と言うならば....

それは謙虚さからじゃなく....①までは頑張りたくないと逃げをうっていること。

まだ始まったばかりなのに。

 


こうして考えてみても

本当に高いハードルだと思う。

なので、飴も欲しいが....

甘い自分が達成に近づくためには、鞭に鞭を入れるぐらいで丁度良さそうだ。

 


しばし下り坂からは道をはずれる。

 

気をつけようね

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加齢とともに....

センチメンタルさは相当に薄れてしまっていると自覚する。

 


それでもどこかに残っていて....

”別れ”だとか”辞める”だとかの際には...

過去の不出来を身勝手に抹消して...

随分と美しく感傷的なエンディングを想定したりする。

 


小説家とか演出家とかのように人様に感動をお届けするような職業であれば、それで、いいんだろうけど....

自分にはそんな役目は無いことは十分に言い聞かせるべきだろう。

 


むしろ....

ふてぶてしく、厚かましい最後であっても

平然と結果を出すことが最重要だ。

 


「退路を断つ」は

神風特攻隊に通じるような無謀な破たんへの誘惑に聞こえて大嫌いなんだが.....

「一生懸命やったんだから仕方が無い」は用意すべきではないと思う。

 


むしろ最後であるならば最後だからこそ、

100%成功の可能性にまで準備も努力も仕上げるべきだ。

 


人生にもう「やり直しの時間」など残されていない分際だというのに....

”甘い隙間”は脳内に置くべきじゃない。

 


いや言葉面ほど深刻には構えていない。

構えちゃいけないと言い聞かせている。

 


具体的な準備ももちろん大切だけれども

心の置き方の方が

多分もっと大切だ。

全てのコントロールに関わってくる。

 


大事な場面の連続で

緊張しまくっていたり

焦っていたり

怒っていたりでは

....着地点とて見失う。

 


「冷静に」

という言葉では多分自分には響かない。

 


「怖いほどに冷酷に判断させていただく」

 


ぐらいが”成功への合言葉”になるだろうとの見方とて大袈裟じゃない。

 


もういい加減....欲と欲のぶつかり合う場面の厳しさぐらい....わかっていなきゃおかしいだろ?

今までの人生は何だった?

 


大きな壁を前にした時だけ....

清く優しく純粋ナイーブな青年のように振る舞うのは....

「一生懸命やりましたでちゅよね」

と誰かに言って欲しいからなのか?

 


気持ち悪いぞ。

いい歳こいて。

 

集大成とはこのことか

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「下り坂」の人生に落ち着き始めたのに「覚悟を決めた」は矛盾しているようなんだが....

そうでもない。

 


いろいろと支障があって何もかもを公開するわけには行かなくて断片的な話で分かりづらいだろうけれども.....

順番だ。

 


①「下り坂」に入ったことを確信(納得)できた。

からの、次なるアクションが

②「覚悟を決めた」

だ。

思いつきではないことは、ブログの記事のインターバルの長さからも推測できよう。

 


振り返って正確な期日を探すのも面倒臭いので省略するが....

多分...3年ぐらい前から「上る道」は見えなくなっていた。

ただ....

それでも習性として慣習として使命として?

「上っていかなくちゃいけないだろう」と上っている動作は続けていたんだけれども....

実は停滞していただけだったと。

それは”カラ回り”とも言う。

 


何度も書いてきたが、大きなのはやはり年齢だ。

「もう駄目だ」ということじゃない。

「今までと同じようには行かなくなった」ことに理解が必要だったということ。

ガッツがあれば老眼が回復するわけではないように。

 


極めてシンプルだけれども、面白い例がある。

一昨年には最高13回まで出来ていた懸垂も一旦0になっていたんだが.....

もがいたって、何したって、みっともなくたって、どんなやり方でもいい....

としたらば....

2年ぶりかに1回出来るようになった。

 


そう。

老人には老人なりの目標やら努力に切り替える年齢が来たということだ。

 


老け込まないことと100m走を全力で走ることとは違うということだ。

まだ、幸いにもジョギングは続けられているけれども....

これから先は、100m走を早く走ることよりも、歩くだけの方が、健康にも良く、結果若々しく格好のよい”おじいさん”と見られるだろうと言うものだ。

自分の機能低下を理解(納得)せず、無理して100m走って、肉離れをして、入院して、運動不足で太って余計に体力落として......

という想像が出来なくちゃならないということだ。

 


自分の言う「下り坂」はしょぼくれたジジィになって苦悩の末に死んで行く。

という方向に向かおうとしているわけじゃないということ。

若い時の目標が山を登った向こうにある幸せならば

これからの目標は山を下りたところにある幸せじゃないかと

 


下りることを覚悟したからの

その下り方に

選択肢が登場して、「どれか決断しないと”自然のまま”なんて許されないぞ」となったというだけのこと。

 


ただ....

2つの働き口で仕事をするような状態になってきたので.....

もうそれは「下り坂」の様相ではなく....

モーレツ社員に復帰したようになってしまっているということだ。

 


ま、何年もはこのままというわけじゃないんだろう。

いや、ひょっとしたらばこれが人生最後の頑張りどころなんじゃないかという気がしている。

だから最後ぐらいは忙しくても文句を言わないようにしないと....(笑)

 


もう2度と体験出来ないかもしれないので。

「腹積もりは決まった」

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自分じゃもう少し確認すべきことがあるんじゃないか?とも思うんだが....

「期間の利益の遺失」というものもある。

80年慎重に確認作業に従事して一歩も踏み出せない人生ってのも.....

 


というわけで取り合えず....右も、左も、上も、下も、前も、後ろも確認してみたんだが....

全ての方面を見た時のバランスも含めて....

「この道しかない」

という結論には到達した。

 


成功の確率は自分の願望を100とするなら

最高で110

最低は30というところだろう。

 


ゼロは無いと思った。

安全策を重んじる自分だからこその決断だと思う。

 


こういう場合に格好をつけるべきじゃない。

それはここ20年で身に付けた術だと思っている。

頑張ることは大切だけれども....

脳力にも、体力にも、精神力にも、限界はある。

ないのなら....とっくの昔に世に出ている。

能力以上の頑張りが出来るのは....

漫画かドラマぐらいなもの。

生身の人間は....

壊れる。

 

 

その程度の能力のクセして....「デキる奴」と思われたいがための吹聴に走るなら....

まさに自分の親父と同じになるだろう。

脳内の「出来る」は単なる過信に過ぎず、現実の「出来ない」露呈に耐えきれず.....誤魔化しまくり、逃げまくり、それをも通用しない場面じゃ、いい歳こいて泣きわめく。

 


ここまで頑張ってきて....

そんな気持ちの悪い人間になるべきじゃない。

DNAを断ち切るべきだ。

未来ある後進のためにも。

 


神様は偉いもんだ。

こんなフザけて傲慢な半生を生きてきた自分にも

種族をつなげる一員として....

悪い遺伝子を残さないような働きを与えているんだろう。

 


「この時のために」

様々な経験があったのかと....

 


「どんな結果になるのかはお楽しみ」

な~んて軽く言ってみたいもんだ。

今の自分には決断で目一杯。

「....あとは逃げずにやってみるだけ。ふ~。」

 


ぐらいの格好悪いことしか言えない。

 

どうなってんだ?

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想像以上に忙しくなってきた。

最低限の所用とノルマはこなして今ビール。

 


「忙しいならビールなんか飲んでんじゃねえ」と言われればそれまでなんだが....

ビールぐらいしか楽しみもない。

 


他にもやっておいた方がいいことは山ほどあるんだが....

今は....それにも着手できない。

最低限の消化で目一杯だから....それ以上に「手をつける」なら...どれもこれもをいい加減にしてしまう。

 


ともかく....

明日の重要会議の資料の作成には間に合った。

ギリギリだ。

なんと言っても「明日」なので。

 


しばらく「余計な色気」は厳禁だ。

ともかく必要のあること最優先。

 


全然「下り坂」じゃねーーーーーーーーー。

「下り坂」に入る前に

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何なんだ前回の文章は。

強がっているというよりも、言い聞かせているようで....

しっかり”動揺”が見てとれるじゃないの。

 


ま、そういうことだ。

これが自分の力量であり、その力量を恐らく超えている事態と対峙しなければならない時が来て....

ビビってるんだろう。

 


軽い問題じゃない。

書いたように人生でおそらく一番試される場面が来てしまったと思う。

 


救いは....若い頃というよりも、このブログにも書いてきたように、20年前まで随分とちゃらんぽらんの生き方だったので

後悔とて半分で済まされることぐらいなんだろうけど....

それでもこの20年はあれやこれやと自分の成長を促し、足らないところを継ぎ足し、腐ったところは削ぎ落としてきたつもりなので

その成果ぐらいは味わいたいのだ。

そもそも「成果を味わう」ような機会とて最後になるのだろうから....

「集大成」と呼ぶべきだろう。

過度に欲張ったり、緊張してはうまく行かないのだろうから、もう少し軽くは扱いたいんだが....

 


まあ、フザけ通した自分の人生にも、ついにそんな場面が来たということ。

 


もちろん真面目に考えなければならないし、

かといって縮こまってもいけないだろうし、

力量以上に大胆に振る舞うべきではないだろうし

面倒臭がってもいけないんだろう。

 

 

20年前に、突っ徐なんで「走ろう」などと思ったのか?

なんで資格なんかとろうと思ったのか?

なんで仕事に一生懸命になったのか?

なんで子供らを全国大会に連れていこうなどと思うようになったのか?

なんで

なんで

そんなにも毎日努力を日課にしようと思ったのか?

 


「何のために?」

自分でも全然わからずにこなしていたんだが....

 


それは....きっと来るであろう「この時」に対処できるような能力が無かったから

恐らく.....

「最低限のディフェンスが出来るような力ぐらいは備えなさい」という神の思し召しだったんだろう。

 


この時のための20年だったのか?と

今、初めて思わされている。

 


だから....対峙する一瞬の結果よりも

努力知らずだった自分が継続してきたこの20年を

「無駄じゃなかった」

と思うような結果にしてやりたい。

 


かなり長い道のりになると思う。

全然楽しくないとも思う。

「その後」なんて全く見えてもいないことを考える必要はないと思う。

 


ともかく乗り切りたい。

結果は....

もちろん成功したいが....

失敗でも後悔のないようにはしたい。

 


しばらくは、

いや、かなり長い間。

これが最優先だ。

「下り坂」の人生は、”それから”考えても全然遅くない。

 


誰にも相談できない出来事なので....

毎度のようにブログの中の自分に相談して行こう。

 


彼ならば、きっと冷静に、背中を押してくれるはず。

 


大胆に勇気を見せる場面じゃない。

慎重に、慎重の上にも慎重に

と言い聞かせて....

 

 

 

「時間です。」

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「下り坂路線」受け入れで、感情を抑えられることも多くなって...少しばかり落ち着いて暮らせるようになってきたというのに....

少々発奮しないといけなくなりそうだ。

 

まあ、仕方が無い。

自分だけが暮らしているわけじゃないし、競争もあるだろうし、なにしろ全てに席が用意されているわけがない。

全部譲るというほど気前も良くはない。

 

もちろん、カラダを壊すほどに我武者羅になることや、冷静さを失うほどに感情的になることは、マイナスにこそなれ、プラスにはならないとわきまえるが....

「のんびり」というわけにはいかなくなったようだ。

それじゃちょっとナメ過ぎといったところ。

 

ひょっとしたらば「最後の大仕事」になるかもしれない。

いや、そう思うべきだろう。

"その後"ってのも...ないわけじゃないだろうけど....

ここを乗り越えないことにはその後もないので、その後はその後に考えればよい。

 

肩に力が入ってしまっては、上手く行くことも上手く行かなくなるので、

常にクールに事は進めたい。

 

ある意味、この時に対処するために、ここまでの葛藤やら、修練があったように思えている。

20年前にジョギングを始めた時は、単なるダイエットのためだけ....のはずだったんだが....

そこか派生した思いもよらない様々な変化は....

「この時のために」あったのか?と

いや、ここに辿り着くために道を変えてきたのかと....

思って大切にすべきだ。

 

もう少し準備時間も経験もあったなら....成功の確率は上がると思うけれども...

リリーフピッチャーとて、予定されるより早い回からの登板なんて....当たり前にある。

そんな贅沢は言っておれまい。

 

「できる限り遅い方がいい」と先送り願望はあったけれども....

死ぬまでに絶対に対面しなきゃいけないのも現実。

「対面せずに死ねば楽」という手もあったんだろうけど....

きっとそれは大きな後悔にもなるだろう。

この20年頑張ってきたのは何のため?と。

 

むしろここで結果を出してこそ、この20年も報われるというもの。

 

ある意味、親父のDNAをそぎ落とせる機会としては絶好なのかもしれない。

逃げれば自分も散々卑怯だ姑息だと罵ってきた親父と一緒だったということ。

仮に失敗に終わったとしても、堂々と対峙するなら、親父のDNAを払拭したということ。

そう思おう。

 

矮小な根性だが、矮小な育ちなのでしょうがない。

それが一番のモチベーションになる。

そう、汚れた家系を断ち切るのは自分の役目。

自分の子供たちが背負うことがないようにしてやるのが私の順番。