穏やかに....のんびり生きて行くことが....
健康の秘訣でもあるかもしれない....
でも....だからといって「残された時間」を着々と減らしている現実は....
「精神的な負荷になることなので見ない」
...でいいのか?
というところ。
100年あるつもりだった人生が....
70年しかないという現実が急にやってきて....
その最後の最後に....
「あれもやりたかった」「これもやっときゃよかった」....
「少しぐらい、もう少しぐらいは頑張っときゃよかった」
で.....「いいのか?」
というところ。
その昔....「仕事も出来る人は遊びも出来る」などという都合の良いセリフが流行った。
それに見事なほどに影響を受け、まともに実践した俺の父親の虚像の剥げた晩年は....
「あんなにも遊んでいる時間があったのだから....もっと真面目に仕事をし勉強をしておけばよかった」と
後悔が本人の精神を苦痛で歪めるほどに痛々しい....
気がつかなきゃよかった....
だけのことなのかもしれないけれども....
神様は案外意地悪で....
時としてものすごく痛いしっぺ返しを送ってくださる。
そう。
時間の長さは冷酷なほどに....人間ごときの努力や気力じゃ変わらない。
ある意味誰にとっても平等に一日は24時間。
人間が出来る努力は....
「同じ時間」をどう使うか?どちらに使うか?何に使うか?
選択・決定するだけのこと。
仕事を選んだ人間はその分遊びが確実におろそかになるので、ゴルフもマージャンも上達しなくて当然。
が、その分、仕事は上達する。
逆も真。
それも当然。
共に出来ているかのように”思えている”...のは都合の良い自覚だけ。
人から見たときには....「どちらも大して出来ていない」だけのこと。
上場企業の社長でありながらも、プロ野球の現役選手なんて話は聞いたことがない。
これまでのことを蒸し返してもキリもない。
たしかに人生としてのピークはもう過ぎてしまったのだけれど....
残りの人生に手の施しようがなくなったわけでもないだろう。
いや、むしろ
1/80年だった1年が1/30年の1年になったりしているんだから....
ある意味1年の重みは増している....
とさえ言える。
残りが少なくなってきたからこそ....
時間をどう使っていくのかって.....
その後の人生に与える影響が....
実は格段に大きくなっていくんじゃないだろうか....
ってね。