小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

戒め



 


年老いた父が言う。

「あれもやっときゃよかった」

「これもしておきゃよかった」

.........

 


う~ん。

それって...「やっていたらば...”出来ていた”」ってことなんだよな、の後悔なんだろうな、と。

「出来る力が備わっていない」との自覚があったらば...いくらボケていてもそんな言葉は吐かないんだろうな、とも。

 

自分も笑えない。

流石DNAの継承者だ。

そんな非現実的願望の思考回路に陥っていることが...ある。

 

しかも...だ。

”その時点”でも...「勝算あるなら...」挑戦していたはずだろうに...

「やらなかった」「出来なかった」....

「ビビっていた」...

そんな...「挑戦すら出来なかった自分」は完全に記憶の外にほかっている。

 

都合が良すぎて...それは...ポジティブシンキングというものじゃない。

統一教会との付き合いを「なかったことにしたい」自民党と同じこと。

未来からでは責任の取れない「白昼夢」だ。

 

なんちゅうDNAだとは思うんだけれども...自分も「持っている」ようだ。

 

努力していなかった時代への回顧まで自惚れていた。

「もう少し勉強していれば...」

「もう少し続けていれば...」

「東京に挑戦していれば...」

 

...

気を付けていないと...自分も...忌野間際にも言いそうだ。

「あれもやっときゃよかった、これもやっときゃよかった」と...

 

実体は...「努力」どころか....その手前の「決断」さえ「出来なかったから」...”今の姿”に至っているのだよ。

”今の姿”を恥ずかしく思うのなら...

そりゃあ「過去の決断」が恥ずかしかった...ってことだ。