年老いた父が言う。
「あれもやっときゃよかった」
「これもしておきゃよかった」
.........
う~ん。
それって...「やっていたらば...”出来ていた”」ってことなんだよな、の後悔なんだろうな、と。
「出来る力が備わっていない」との自覚があったらば...いくらボケていてもそんな言葉は吐かないんだろうな、とも。
自分も笑えない。
流石DNAの継承者だ。
そんな非現実的願望の思考回路に陥っていることが...ある。
しかも...だ。
”その時点”でも...「勝算あるなら...」挑戦していたはずだろうに...
「やらなかった」「出来なかった」....
「ビビっていた」...
そんな...「挑戦すら出来なかった自分」は完全に記憶の外にほかっている。
都合が良すぎて...それは...ポジティブシンキングというものじゃない。
統一教会との付き合いを「なかったことにしたい」自民党と同じこと。
未来からでは責任の取れない「白昼夢」だ。
なんちゅうDNAだとは思うんだけれども...自分も「持っている」ようだ。
努力していなかった時代への回顧まで自惚れていた。
「もう少し勉強していれば...」
「もう少し続けていれば...」
「東京に挑戦していれば...」
...
気を付けていないと...自分も...忌野間際にも言いそうだ。
「あれもやっときゃよかった、これもやっときゃよかった」と...
実体は...「努力」どころか....その手前の「決断」さえ「出来なかったから」...”今の姿”に至っているのだよ。
”今の姿”を恥ずかしく思うのなら...
そりゃあ「過去の決断」が恥ずかしかった...ってことだ。