「予定」への”対処”も同じ。
どうしてあれほどにも「完全制覇」を望んだのだろう?
予定は...あくまでも...”予定”で良いはず?
だったら...
「他に優先すべきことがあったりするなら...」
「全部やらんでいい」のだ。
もともとに。
どんなところに忠実?献身的?
そもそもに...
「多め、厳しめ、に予定を立てる人の量」と「少な目、優し目、に予定を立てて”それが限界”と思っている人の量」を比べれば...”違い”は歴然のはず。
「完璧にこなしました」は平等でも公平な水準でもない。
勝手な満足、勝手な不安、の目安でしかない。
なのに、頑なな小心者は...
「全部やらなきゃ...恥ずかし者」
「全部やろうとしなきゃ...社会の落第者」
「全部やれないのは...落伍者」
のように自己を追い立てる。
そもそもに、そんなことぐらいで...「不幸になる」ほどに大袈裟な日課ではないのに...
焦って、急いで、必死になって...「完全制覇」を試みて...
挙句...怪我して、後悔して、...
て...
冷静な脳みそないのですか?
状態だ(笑)
一時の暴発したような「やる気」による障害で...
「やめてしまわないこと」のがうんと大事。ではないかしら?
たしかに...コンピューターの介添えにもよって...かなりのことが隙なく、綿密にこなせるようにはなってきた。
だから...何をやっても...「完璧」にはほど遠さを感じさせられる毎日なんだけれども...
宿儺じゃないが....
「もっと広く使ってみよう」だ。
スマホの中を懸命に除き込むような集中は...
それはそれで”一生懸命”であるのかもしれないけれども...
重箱の隅をつつくのにも似ている...
「その姿」を外から見ている”第三者の目”が欠損している。
次の瞬間には...”すぐそこの角から”車が左折してくるかもしれない”という危険すら「気が付けていない」のだ。
そんな姿勢で...
「遠い未来」なんて見えるはずもない。
自分には...”遠い”未来は残念ながらないはず(笑)
なら、よけいに、
ということだと思う。