小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

そんなにも”自分”は大きくないぞ

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話を戻そう。

 

「自分は間違っちゃいない」

「自分は一生懸命やった」

「負けたはずがない」

「自分が悪いわけじゃない」

は一瞬...「”負けず嫌い”の頑張り屋さんのメッセージ」のように聞こえてしまうかもしれないけど...

そりゃ決して公平な見方じゃない。

 

「”間違っているのに”....恰好悪くて...認められない」とか....

「真偽は置いておいて...怠けていたと...思われたくない」という自己評価を気にしてのものだったりとか...

「現実、力が足りずに負けているのに...他のせいにしたい」とか

「自分には落ち度も欠落もない」」と思いたいだけ..とか....

事実をネジまげて...

自分の都合の良い記憶にしてしまおうという場合(人)だ。

 

そんな記憶を重ねて行くなら...

経験を重ねるたびに”現実の自分”と”空想(頭の中の自分像)”は乖離することだろう。

 

私の父は...

その典型的な人物だ。

自分の頭の中にある自分と他人が見ている現実的な姿とが見事なほどに乖離している。

だから...

他人と話が合わない。

 

いやいや世の中何の魂胆があってなのか?

おだて上手、褒め上手なんて人が居るから話はややこしくなる。

そんな人こそ...

「自分の事をよーくわかってくれる人」と高評価で祭り上げて”お気に入り”にしている。

 


ゆえに...井戸の中の蛙は井戸から出られないほどに大きく育ち....山椒魚ほどになってしまうのだろう。

身近でずっと見てきただけによくわかる。

 

ある程度の年齢までに気が付かないと....

手遅れにもなる。ようだ。

なんせ....「自分は間違っていない」....から。

 

これも一つの悪いループ。

 

同じDNAを持つ自分もすでにダークサイドに落ち、シスの後継者となっているかもしれないけれども....

 

「まだ間に合うかもしれない」

という一縷の望みも残している。

 

だから...うまく行かない時には....

ま、自分が間違ってるかもしれないし、手を抜いていたかもしれないし、負けは負けなんだろうし、ってことで原因は「全て自分。悪いのは全部自分」

(本当にそう思っているのかどうかは自分でも定かじゃないんだが....一応思おうとは努力する)

と大して....責任感なく軽く考えるようにしている。

 

本当は重い責任感でずっしり考える方がよろしいのだろうけど....

徳川家康じゃないので、そんな重みには耐えられないだろう....

....から...ま、やれるだけの程度で、というところで...

 

凡人なのでそれぐらい一歩ずつで。