小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

神の思し召し(その3)...ぐらいか?

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歳を取ってきてから...

そう...何年ぐらい前から...になるのだろう...

「そうね、これも神様の思し召しかもね」

と、それまでの目的とは正反対のことが起こってしまったとしても...

そう...考えるようにしていたらば...

 

いつしか考えるようになり...

いつしか考えた方がいい...と思うようになっている。

まだまだ不完全だけれども。

 

理屈っぽく解説するなら...

世の中の全てのことが自分の能力や意欲や姿勢で「思うようになる」わけじゃない。

むしろ...自分の意志や性格や態度など何の影響も持たないほどに残酷な「正反対」を浴びせてくる。

 

わかりやすいのが受験か?

一生懸命頑張ってきたのに「落ちてしまう人」

も居れば...適度に遊んでいたのに「受かってしまう人」も居たりするのが現実。

似たようなことは他にも山ほどある。

 

以前にも書いたと思うが...

出発が遅れて焦って運転していたのにさらにの渋滞で、イラついていたらば...

その目の前の大きな交差点が何台もの重複事故が起こっていて、通行止めになっていたこと。

まさか

とは思うが、時間に間に合うように出ていたらば...永遠に間に合わない人

になっていたかもしれない。

 

もっと大きなことで言うならば、東北大震災の時のような大津波など誰が来ると思えるものか...

 

でも、残念ながら、本人たちの努力や姿勢など考慮もしてくれず、そういうことは起こってしまうのだ。

 

超人願望強かった若い頃は...

「そういうことに負けちゃいけない」

「そこが頑張りどころだ」

「出来る限りそういうことを起こらないように」

と自分の力で「少しぐらいどうにか出来るはず」と自惚れていた。

 

「諦めない姿勢」は素晴らしいんだけど...

それでは東北大震災の被害は説明出来ない。

自分はなんの努力や対策もしていなかったくせに...たまたまに、遠く離れていたから被害に遭わなかったというだけのこと

そういうことは少なくないんじゃないか?

 

と妙に素直に思うようになってから...

「起こってしまったこと」は良いことも、悪いことも

「神の思し召し」とするよう「努力している」ぐらいなのだ。

 

いや、人のせいにしようとしているわけじゃない。

カンタンに諦めろということでもない。

ただひとつの生き物として、一生懸命に切り替える(諦める)ことぐらいしか努力が出来ないこと

なんて山ほどあるだろうということ。

 

ある程度ぐらいの年齢から

同級生達が死んでゆくのも現実。

けっこう若く、死にたいわけでもないのに、あんなにも健康そうだったのに、大きな病気にかかって治らなくて死んだりする。

気の毒だけれども...

そこに...「そんな病気にさえならなければ...」はない。

考えたところで...「どうにもならない悲しみ」にしか辿り着かない。

 

少し大袈裟な話になってしまったけれども...

こんなわずかな人生でも、そういった光景をたくさん見てくると...

「まっ、これも神様の思し召し、なんだろうね」

は、諦める、ということではなく

自分の思いを切り替えてまでして「現実を受け入れる」

つまり

「起こった事実を優先して、自分の欲を引っ込める」

ということにもなるのだろうから

たかだか「自分一人の力」を盲信するより

そりゃあうまく行くだろう

と思うようにしている(笑)

 

昨晩ちょとしたアクシデントで、本日の予定が全キャンセルになった。

一瞬

腹を立てそうになったが...

そこで腹を立てたら多分...「大不幸」を呼び寄せる...

の予感がしたので...

「いやあ、やること山ほど溜まっているので、ちょうど良かったかもね?ヨカッタ、ヨカッタ」

と強がることにした。

 

なんだか悪くない対応のように思たので、書き留めておくことにもした(笑)