小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

素直なレールの上に

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言い訳とか説明とか

には、「憎悪か」と思えるほどに殴られた。

父親に。

 

まあ、当然なんだろう。

毎日のように飲んだくれてご機嫌に帰ってきて、横暴な態度に反抗的な目を向けるなら...

そりゃあムカつくだろう。

自分の子供でも。

 

だから...だと思う。

言い訳や説明に憎悪を抱く人間になってしまった。

 

言い訳や説明を非常にみっともない行為だと思うことは当然で、まかり間違って「してしまった時」に気が付いてしまうなら...

「末代までの恥」のように感じてしまう...

 

「絶対にしない」とは言わないものの...それぐらい「しない」スタイルは根付いている。

 

だからだろう。

様々な軋轢を生んできた。

 

女房ともそう。

「ちゃんと説明して欲しい」

と何度も言われている、

 

なので、「ちゃんと説明した」ことがある。こともある。

が....その方が....ウラにハマった...と思う。

こちらは「ちゃんと説明した」...つもりなんだけど...

「ちゃんと理解してもらえない」ことはあるのだ。

 

アホだと言っているのではない。

育ってきた経緯やら、素質やら、環境が違うので...「同じ感受性」で理解できることばかりではないのだ。

 

こんなことは実は「小さい頃から」山ほど経験してきている。

で、「ちゃんと説明した」...つもり...が...

「言い訳」認定されたり、「屁理屈」扱いされた日には...

「そんなことなら言わなきゃヨカッタ...」に舞い戻ってしまうのだ。

 

もう何度も繰り返している。

だから女房にも何の「言い訳」もしなければ「説明」もしない。

 

いや、そのことに不自由を感じることはない。

むしろ”嫌”なのは...

望まれた「ちゃんとした説明」をしたつもりなのに...

「すぐに言い訳をする男」

「すぐに屁理屈で言い返す男」

と認定されることの方がずっと”嫌”なのだ。

 

ゴールを過ぎてまで、学生のようなコツコツした努力を日課に入れているのはそういうことなんだと思う。

結局人なんて、女房でさえ、「口で説明してもわかってもらえない。」

「結果を見せるしかない」

「結果は努力でしか残せない」

それがわかっていても...努力は...

「ささやかな程度のものしかできない」

 

実に素直なレールに従っているだけ...