小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

不幸の予感

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似たようなどうでもいい話を長々と書いているのは...

「ゴルフを断ち切らなければ」

というところから...なのだろう(笑)

しかもその動機が...自分でも半信半疑にしたいほどに...無責任なものだから。。

 

「神の思し召し」

「バチが当たる」

はいわば、”不幸の予感”でもある。

他の私が愛用する「童話類」とて、似た引用。

 

あたかも他人(神)からの伝言でもあるよう説得力を増幅させているのだ。

単にビビっているのとは違う(笑)

 

ある程度の年数?生きてくれば...それがビビリなのか、慎重なのか(自分に嘘つかなきゃ)わかる。

超人的決断や行動の結果の万が一の成功なら歓喜にも浸れるだろうけど...

大谷君の活躍を毎日見られるような現代じゃあ、無理なものは無理とすぐわかる。

”見極め”

はものすごく大事なのだ。

 

幼い頃はな柳に飛びつこうともしなかった反省から...

そうね。15年前ぐらいまではね。

たまたまブログなんてまだ書いていない時代まではね。

まさに「柳に飛びつく蛙」として傷だらけの毎日だった。

 

残念ながら...青春時代からそこまでの間は...(一つも掴めていない)実感だ。

長すぎる青春の門

 

その代表格が「高校時代」と「ゴルフ」。

共になんら「悪」のイメージではない。

むしろ「楽」であることの方が多いはず。

だから...初見の...(馴染めないよなぁ...)の予感は「努力の放棄」と認識して...

それなりに馴染もうとし...いや、割とアッサリ馴染むものよりもうんと執着し、努力しようとは...

してみたのだ。

なんとなく、そのあたりを思い出してもみたのだ。

 

が、「神の思し召し」は事前から山ほど出ていて...

それを無視していたのも...自分だった...ということもハッキリしてくると...

世の中...「なんでもかんでも積極的に受け入れる」ばかりが能じゃなく...

できれば「避けた方が良いこと」もままあるんじゃないだろうかと...

 

それが自分の場合はこれからの「ゴルフ」であって...

そのために...

過去の「高校生活」やら「ゴルフ」やら「童話」まで引っ張り出してきている....

ということ。

 

裏返せば...

それぐらいゴルフには「捨てがたいもの」があるのかもしれない。