小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

呼吸

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こんなヘンテコなブログなのに、真面目に考えてもらって、コメントまでいただくと...

なんだか申し訳なく思うので、また今回もある程度キチンとお答えしておきます。

 

今年はもう何回も書いているように成果が上がりませんでした。

全くではないのかもしれませんが、感触はありません。

これを素直に振り返るなら、「足りなかった」わけです。

 

「能力」「努力」「方法」「タイミング」...

いろいろ足りなかったのでしょう。

これまでや、どちらかといえば、「先を急ぐ方」だったので、あまり立ち止まったり、振り返ったりしなかったんですが、そこにも問題あるかな?と。

 

よく言う「等身大」の自分が見えていないというか、「今の時点での自分の立ち位置やら、能力やらが冷静に把握できていない」のかもしれません。

まさに「柳に飛びつく蛙」といったところです。

 

もう15年は前になるでしょうか?

お恥ずかしい話ですが、初めての資格試験挑戦は「司法書士」でした(笑)

「身の程知らず」

そういうところがあります。

まあ、ゆえに「たまに飛び付ける」結果オーライラッキーだったり、だからこそ無理が出来た経験なんてのもあるとは思いますが、時間を初めとして代償も少なくはないでしょう。

いわゆる「無駄が多い」というやつです。

 

振り返ってみれば...

今年は健康面もよくありません。

体調万全の日がとても少なく、年中不調を誤魔化して生活していたような気がします。

老化もあるのでしょうが、それ以前に「無理」が来ている気はします。

 

もともと...「仕事」以外は遊んで暮らしていましたから、トレーニングさえしていない毎日で、今から思えば楽なもんでした。

が、かといってどれだけでもやることを増やしていけるわけでもないでしょうね。

そりゃあいつかは「満タン」になるんでしょう。

自分じゃまだまだと思っているのですが、そんな「見込み」も自惚れなのかもしれません。

 

に加えて一つ思うのは情報通信やら様々なテクノロジーの進歩の激しいことです。

「5年前のケータイなんざ使い物にならん」ように

「5年前に通じた方法」が通用しなかったりするわけで、そこも「残された年数のが少なくなってくる身」と自覚するからこそ、急ぐ理由になるのかもしれません。

 

のようなところから「前倒し前倒し」「急いで急いで」の習慣になっていたようなんですが、我武者羅な意欲や焦りだけでは成果は出ないということなのでしょう。

むしろ、副作用の”意欲の喪失”に近づくように思えています。

 

なので、ここからは「成果」よりも、ペースダウンしてでもいろいろと「続けること」かな?と

現時点ではそう思ったりしています。

甘いかもしれませんが、「一呼吸」というやつです。

思えば5年ほど前にもこういった時期があったような気がします。

自分は一生懸命やってるつもりなんだけど、全く成果が出ないんで、フト周りを見回してみたならば...

「思っていた場所と全然違う場所に居た」

なんてこと。

それじゃあ成果も効果もあったもんじゃないですね(笑)

 

ヨガに近いストレッチもトレーニングのメニューに入れてありますから、「呼吸の大切さ」はわかっていたつもりなんですが...

実生活では見事なほどの無呼吸泳法だったようです。

 

多分...ずっと努力を続けるってことが嫌なんですよ。

どっかで終わりにしたいから、先を急ぎ、成果を急ぎ、安泰に至ったら「止めてしまいたい」のが本音なんでしょう。

 

そこらあたりはまた別の機会に考えます。

とりあえず今は細々とでも続けた方がいいだろう、ぐらいには思っていますので。

走り回ってはいるけれど走り回っているだけ

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ごいさんのコメントへの返事があっさりとは書けなかったので...

 

運動を仕事にしているわけではないし、アスリートでもないので、”引退”とか”定年”ということを意識する必要もないし、意識すべきでもないと思ってやってきた。

が、「健康の維持のため」とするトレーニングひとつをとってみても、なんやかんやで17年も過ぎてくると、”効果”どころか”疲労”や”ダメージ”のが大きいってな時も出ている。

要するに「同じこと」こなしていても「しんどい」のだ。

もちろんこんなことは人には黙ってこなしている。

 

他にも...

花粉症の時期のしんどさ、

睡眠不足状態でのしんどさ、

遠方に歩いて出かけた飲み会いのしんどさ、なんてのもある。

つまり...無理をするのに以前より疲労や負担を感じやすくなっている。

 

若い...つもりでなきゃ余計に老けてしまうだろうと平気なそぶりはしているものの、これが実感だ。

まあ、長い事トレーニングなんかしているので、体力の計測値的なものは相当のレベルにもあるんだが、他の人との比較じゃなく、「これまでの自分」と比較した場合に、かなり急激に落ちてきているような気がする。

と、まあ、そういうこと。

 

広島の黒田選手とは当然のように同じように語れるレベルじゃないが、運動ではなくても、かつての力量と同じような100%の力を出すことは難しくなってきて、

「変化球やコントロール」に当たるのかな?経験や感情の調整まで組み込んで、ごまかしごまかし「ニセ100%」のパフォーマンスを見せているが、

どうにもそれすら怪しくなってきた...という実感が出てきたということ。

 

もちろん黒田選手のように引退するわけにはいかないので、それでも継続していかなきゃならないんだけど...

「力ずく」「数打ちゃ当たる」って手法からは離れていかないと駄目だろな、と。

 

どっちかって言うと、あれやこれや考えた挙句に尻ごみするぐらいなら、「まずはやってみる」と、取り組む勢い重視だっただけに、計画的とか合理的とか効率的ではないだけに、無駄も多いんだろう。

 

なので...もう少し考えて...というか落ち着いて...というのが自分の場合は

「もう少しあわてないで」できる範囲でやっていくのはどうだろう?ということ。

 

昨日も垣間垣間でそう思い出してみたんだが...

もう常に、意味無く、急いでいて...

習性というか、ビョーキかよ、とか自分でも思ったりした(笑)

 

折しもサッカー日本代表やっていて....

自分の姿って...

縦横無尽に走り回っているけど...

ちっともボールに触れてない奴、

なんだろうな、と思った。

しかも...いい歳こいてんのに。

 

そういうことなんですよ、ごいさん(笑)

沢山

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たったの一日で、それほどに日常が劇的に変わるはずもなく、これまでと似たような一日に終わった。

ただ...

少しだけ、これまでより、ゆっくりと動くようにしてみた。

 

言葉にしてしまうと、「遅い動き」のようだがそうではなく。

「あわてないように」してみた。

という次元。

 

今までだって「あわてようとしたつもり」はない。

が、結果として毎日あわてていた。と思う。

正直「のんびりできる時間」なんか作っていないし、一年でまともに休むのは正月2日間で十分と思っていたぐらいだ。

から、「用意されていること」は少なくない。

それを次から次へと片付けようと思うなら、オチオチ休んでいられない。

というか一息ついたがために、遅れを取り戻さなければ...という強迫感がまた嫌なもんだ。

 

結果、前倒し、前倒し、の精神構造になる。

締切に間に合う律儀さには良いんだが...

十分に?出来ていても、不足感、不安感に後押しされる日々というわけだ。

 

程度の問題だ。

なので「出来る人」からしたら甘い基準なのかもしれないが、

やることが増えすぎて...結果、どれもこれもにあわてている。

つまりどれもこれもキチンとこなせていない。

どれもこれもが中途半端...

ゆえの悶々とした気分...

もあるかな?と。

で、少し”ゆっくり”してみたというわけ。

 

しばらく見なかった他の皆さんのブログにも少し寄らせてもらった。

皆さん、ちゃんと書いている。

自分が、いかに、いい加減、というか、慌て探して書いているのかここでもよーくわかった。

 

たくさんやろうとするのも悪かないが...

たくさんやってりゃいいってもんでもないようだ。

転機

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そもそもが...タバコを吸わない人がタバコを話題にはしないだろう。

ということは禁煙の話をしている時点でまだまだということ。

なので、禁煙の話はここまで。

自ら離れられなくしているようなものなので。

 

今年だって残すところ一ヶ月以上もある。

だから年内にまだ山場は訪れるんだろうけど、とりあえずのところの予定の上の今年最後のチャレンジをしてきた。

結果は惨敗。

またしても。

本当に今年は何の成功もないといったカンジになってしまった。

 

いろいろな原因が考えられる。

もともとは何のチャレンジもしていなかったので、スタートはゼロ。

なので失敗を伴わない程度であれば必ず何らかプラスの成果にはなる。

そうやって積み上げてくると...やがては些細なチャレンジだって多少は高みに上ってくる。

となると...そうはカンタンには成功しないものも増えてくる。

たしかにそんな途上にある。

「やれることは全てやった」とは言わないが、やろうとしていることが「簡単には出来ないこと」になっているのは確か。

 

疲れてきた。

それもある。

愚痴は言わないようにしているが、自宅に戻るのは就寝2時間前であり、それまでは毎日外で活動している。

ってか、そうしないとメニューが消化できないからであり、正直「休みたい」と思うことも増えてきた。

が、今が最後の頑張りどころ、

そして太るのも嫌、

とまあ丁度具合がいいかと、続けられるだけやろうとしてるんだが...

毎日の生活に余裕がないのは確か...

気がつきゃ風呂でさえあわただしく入る日も増えている。

 

そして最後。

哀しいかな、これが結構大きいかな?と感じている。

若ぶりたいわけじゃなく、気持ちから老けてしまうこともあるだろうと、年齢を言い訳にせずにやってきたつもりなんだが...

根性で老眼が治らないように、気持ちじゃどうにもならないこともあるんだと脳裏をよぎる。

いや、妙な気合がかえって無理となり、故障だの不調だのにもつながる。

”頑張り”が必ずしもプラスに働かず、マイナスになってしまうという場面だって既に何度も体験して後悔も残している。

が、全面的に認めてしまうなら、もう頑張らない人生になっちまうんじゃないかと....

 

年相応に。

とまでは言わないが、無理がきかない年齢にはなっているようだ。。

頑張れば頑張るほど(大したことないのに)、気持ちが重くなってくるようになった。

そこは普通、溌剌となりたいところなのに。

 

いろいろな意味で転機かな?

何も頑張っていなかった自分の日々の生活に「少しだけ頑張ること」を取り入れてから17年ぐらいになる。

その強度や回数や分野や範囲も広げてきたつもりだけど、ある意味乱暴にというか行き当たりばったりというか試行錯誤というか

ま、なんせゼロからなので、そんなだだくさな対応でもこなしてこれたんだろうけど...

それじゃ無理無駄多すぎて、通用しないというか成果を見なくなってきたということか。

 

あきらめるつもりは無いんで、放り投げたりはしないけど...

妙な話だが、続けるために”楽しくこなす”という面への努力が必要な年齢になったんかな?とか思う。

嫌になってしまう前に。

 

あとは多分平行線

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禁煙もそろそろ50日になろうかという期間になってきた。

身体的な離脱症状は無くなったと思っている。

日常生活のルーティーンからもタバコは外れ、酒を飲んだから、コーヒーを飲んだから、食後だから、ってのも無くなった...と思う。

 

が、唯一と言っていいほど残っていることがある。

「ムシャクシャした時」とでも言おうか、「うまくいかない時」も含んで、煮詰まっているような状態、本来は問題解決に向き合わなくちゃいけないんだろうが考えることを一時止めてしまいたいような場合、

に異常に吸いたくなる時がある。

 

思えばこれこそタバコの作用と強い結びつきがあるんだろう。

考えることから逃れ、一時的にボーッとすることで、安堵感を得る。ちょっと落ち着く...と。

そのルーティーンが思いのほかカラダに沁み着いているということなんだろう。

 

決して悪い面ばかりではないとも思う。

メンタル的には良い効果と言える時もあるような気がする。

だからこれまでは許してきたってところなんだろうけど...

 

残念ながら今の時代は、それがためのリスクが多過ぎる世の中になってしまった。

費用、場所、タイミング、マナー...あれやこれや有り過ぎて...思うように絶好のタイミングで実は吸えない。

最悪、大雨のコンビニのわずかな軒先で雨に濡れないよう壁に張り付いて...

おいしくないタバコを吸うのが関の山...だったりするわけだ。

喫煙が習慣になっていると。

 

冷静に考えてみたらば、かつて自由の象徴だった”タバコ”はいつしか”不自由きわまりない習慣”になっていたという...

まあ、おとぎ話のような話で....

散々抵抗してきたんだけど...なら、いっそ吸わない方が早いのかな?と。

自分の意志というよりは環境の変化で吸えなくなってしまったような禁煙だ。

 

飲酒運転の罰則が厳しくなって減った外飲みとなんだか似ている。

読むだけで

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時間の有り余っている学生時代とて、「勉強時間が足りない」と感じるのが常の世の中なので、

誰しもが「効率の良い勉強」を探している。

ネット上でもよく見かけるのは「見るだけで」「聞いてるだけで」のような苦労知らずのような勉強法だったりする。

最たるものはスピードラーニングか?

 

その賛否は知らないが、世の中には「写真を撮るように光景を記憶できる人も居る」そうなので、あながちまやかしでもないんだろう。

もちろんそんな能力を自分にも期待する。

いや、今でも諦めずに期待しているんだが...

少し、妙な記憶が蘇った。

 

見て(いや、見ただけで)記憶する派と思いたかった若い頃、範囲の少ない定期テストだとなかなかの点数を取れる教科があった。

平生がそうならば、入試などそれの集大成なのでさほどの勉強は必要ないだろうし、むしろ「得意科目」と自負して臨んだんだが...

結果は全科目中最も低い得点(偏差値)に終わった。

 

もちろん単なる自惚れが一番の原因なんだろうが、身についているという錯覚?

身についていると思いたい錯覚がこういう事態を招いたのかとか今になってみると思う。

 

限られた時間なので、もちろん無駄に時間を使う必要もなけりゃ、同じ量を覚えるのに時間が短くて済むならそちらの方法のがよかろう。

が、あまりにもアッサリした方法過ぎて...実は覚え切れていない。身についていない。

そんなことも「自分にはある」んじゃないかと最近はよく思う。

 

年齢のせいもあるだろう。

脳回転のピークは過ぎている。

本人の自覚じゃ「片っ端らから忘れる」ぐらいだし。

 

ただ...仕事でもないような、しかも相当リラックスして好きなこと書いているブログなんかの記事を、案外覚えているのは、

やっぱり書いている(打っているとも言うが)というワンアクション多い行動が、記憶につながっているのかな?とは思う。

 

そもそも脳の中だけでの自分の行動は案外無責任だ。

誰にも見られていないのをいいことに、自分の都合の良いように即座に書き換えている。

過ちを過ちと認める時間もないぐらい瞬時に「ヤバイバイ、うっかり間違えるところだったな」ぐらいには持ち直している。

見た瞬間に「ああ、やったことあるな」と思ったのは、「忘れていた」からなのに、都合よく「インプットは出来ていた」などと納得させている。

 

つまり...頭の中だけだと「わかっていなかった証拠」を自分に突きつけないわけだ。

 

こんなことを今更言うのは時代に逆行しているんだろうけど....

採点の正確さやいろいろの合理化、効率化もあって試験のマークシートは普通になっている。

 

が、そこに「白紙回答」はない。

正確にわかっているものだけをジックリ答えるよりも、あやふやな知識であっても速く全問塗りつぶした方が点数が高かったりもする。

自分だってそのおかげでクリアーできたことも何度もある。

 

が、そういう勉強だから身に付かなかったこともあるんじゃないのか?

と、最近思うこともある。

 

もともとが勉強嫌いだったので勉強の仕方すら知らないし、そんな時点からの試行錯誤なんだが...

当たり前なんだが....カンタンに覚えたことはカンタンに忘れると、勉強だって日常生活と何ら変わりはないとするのが、ある意味当然のようにも思う。

というか...「見るだけで記憶する」んなら、見ているテレビ、見ているネット、読んでいる小説...全部覚えてしまって頭の中が整理つかなくなるだろうに。

ということは、やっぱ「見ているだけ」じゃあ記憶しないように(脳みその負担とならないように、つまり自分のカラダを守るように)、人間のカラダはうまく出来ているのさ、

 

ということで、自分も「書いてみた方が」覚えられるし、考えられるし、派じゃないかと思う今日この頃です。

格好悪いんですが(笑)

遺物

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「過去は振り返らない」

なんて言うと格好いいんだけど

別に格好つけるまでもなく、「時空は絶対に遡らないので過去への努力に時間を消費するのは無駄だ」と思っている。

いや、「変えようもない部分に一生懸命になる」のはどうかしているぐらいは思っている。

 

なので、自然過去を振り向くことは少ないんだが...

決していいことばかりでもないと何年か前から思うようになってきてもいる。

ちょうどブログを書き始めた頃かもしれない。

 

自分じゃ

「前に、前に」と

号令かけてひたすら前しか見ないように過ごしてきたつもりなので、過ぎたことへの執着もない。

そりゃ精神的な部分だけなら構わないんだろうが

音楽は、本は、勉強は、仕事は、服は、靴は、家具は...

ってな具合に文句も言わない「過去の用品」はどっかにぎゅうぎゅう詰めにされてきたわけだ。

 

そこにブログを書くという習慣が備わってきて、頭の中を整理してみたら...

けっこう身近なところにぎゅうぎゅう詰めにされている「いらないもの」が部屋の中にもあるだろうと。

 

年齢もあるんだろう。

どっかの段階までは「まだまだいつか出番がありそうな」もんだったが、

多分、もう、永久に、使わないぞ(似合わないぞ)ってなものも出てきた。

 

資格挑戦本なんかもそう。

2001年改訂って....

もう法改正だらけになっていて、しかも問題数やら配点まで変わってるじゃないのさ。

 

口じゃ「前に、前に」と言いつつも、おかしなぐらい使わない「過去の遺産」と共生していたわけだ。

 

ってなことで、ここんところは毎年のように、気付いた際には「整理整頓期間」を設けるようにしている。

 

完璧にやろうなんて意気込むとそもそもスタートしないし、余計にたまってしまうから、例え一日であっても「整理整頓期間」としてマメに整理しようとはしている。

 

ザクっといってここまで2周りは済ませているんだが...

1周り目に何してたんだ?ぐらいに2周り目にも不要物は噴出した。

というか1周り目から2周り目の短い時間に「新たに溜まった」ということなんだろうか?

 

んなことない。

んなことないが、ともかく「過去の遺物(遺物自体がもはや過去なんだが)」に整理をつけなきゃ、前に進むのにも邪魔んなって仕方がない」と。

 

そういう意味じゃあ、たまには過去を振り返るってのも必要な作業だろう。

というか、過去だってやりっぱなしにしておかずに、整理はつけておくべきっ、てことか?

 

整理するモノを見ている限りでは「前、前」と言いつつ、オカシなぐらいに「過去のもの」と共に生活している自分が滑稽だ。

 

今日の目標「5個は捨てるぜ」