小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

人生論メモ

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もともと脈絡のない文章なんだが....

ここんところはさらに脈略を失っていて、彷徨い続けているような文章になっていて....申し訳ないんだが....

それでいいんじゃないかと思って書いている。

 


精神状態は他人様から見たらば、健康ではないのかもしれないが、自分じゃ”普通のほう”と思っていることと、実際に頭の中は「整理がつつかない」状態なのだから、その様を正直に表現するなら、こうなるだろうと.....

何たって「方向転換」しようとしているのだから、迷いもなくスッキリと考えられるわけがない。

そんな力量が備わっているならとっくの昔に完了している。

 


「力の無い自分」をちゃんと認識し、それなりの分析と作戦を立ててやることが、冷静な判断だと、これでも思っている。

なので、今更格好つけたブログなら、書く必要もないだろうと。

 


荒れ狂った中学二年の夏、英語の教師が読書に導いた。

「授業が嫌なら聞かなくても良いから、座って本でも読んでろ」と。

手渡されたのが三木清の人生論ノートだった。

一応読もうとはしたけれど....

全然意味ワカンネエー

だった。

 


それが悔しくて、トルストイの人生論を買った。

もちろん翻訳本だが、余計にワケワカンネーだった。

 


そういうことだと思う。

トルストイ以下、三木清以下の自分が、岐路にあってそのサマを美しい文章なんかでまとめられるはずがないということ。

文字にしたらばもんどりうっているサマしか伝わらない文章ぐらいにしかならないだろう....というもの。

三木清が人生論ノートなら、よくいって自分なんざ「人生論メモ」だ。

そのメモがはてなで恥知らずに公開されているだけのこと。

 


それでも書いているのは....

全然楽しくないこの”転機”をも、後から「あそこで真面目になって考えてみてよかったな」とか「あそこで格好つけなくてよかったな」とか「あの時一旦立ち止まって落ち着こうとしたのがヨカッタな」とか「簡単に済ませずどうせならあれもこれもと手を広げたのがよかったな」とか「楽せず苦しんだのがよかったな」とか

....

いろんな”とか”のヒントが見つかるかもしれないと思って書いているだけのこと。

 


毎日「暗中模索中」なのだ、いい歳こいて。

毎日「試行錯誤」なのだ。

毎日「支離滅裂」にもなるのだ。

毎日「五里霧中」なのだ。

それでも....

まだ”なげやりになってしまわないだけ”マシなのかな?と。

 


大きなヒントなんて何一つ見つかっていない。

日常生活だって何の変化もないだろう。

周りの人は「まさかこの人の内面に大きな変化が訪れている」などと誰も思っていないだろう。

恐らく....自分の嫁さんとて。

 


それで良いのだ。

けっこういい歳こいても、そうして乗り越えていくしか、飲み込んでいくしか、ないのだと思うようにはなっている。

細かな結論は何一つ出ていないけど、”姿勢”に対する意識は少し芽生えてきていると思う。

だからこそ、それを見せないようにしているのは、この手のことは誰にも起っていることで、「あえて人に言うほどのもんじゃない」と思うようになっているからだろう。

粛々と自分で考えてりゃいいだけのこと。

”自分の精神状態の変化が世界中の出来事の中で何よりも優先”...の父親のDNAを少しだけ剥がせているようにも思うし....

 


そんな毎日なので、楽しいわけもないんだが....

「改めて考えてみたならば....そういや、これっておかしいよな?」ってな発見は意外に多い。

 


方向転換を意識する前までは「全て良し」としてきたからこそ、継続してきたことなのに....

改めて見直してみたらば....

「何で?」

ということは案外多いのだ。

 


日々の暮らしに追われるってのはそういうことで、「なんか変?」と思いつつも過ぎてきたことには同情もするが....

明らかおかしな”こだわり”なり、”信条”なりで信じられない主張をしてくるジジィがけっこう居たりするんだが....

「えっオレも?」

似たようなものなのか?と思うと正直苦笑いだ。

 


人間案外自分のことをわかっているようでわかっていない。

ゆっくりでいいんじゃないか?

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わかりやすく意識している分野がプロスポーツ

例えば高校野球

多くの球児が甲子園、そしてプロ野球を目指していたはず。

 


が、早い者は....その高校の段階で....己の能力や適性を知り、進路を変える。

本当にごく少数、極めてごく少数だけがプロになれる。

それほどの貴重な地位を獲得しながらも....

3年を待たずして諦めなければならない者も出てくる。

...の一方で....40を超えてプレーする者も今では珍しくない。

 

 

そういうことだと思うのだ。

そういうことだと思った方が無理が無いのだと思う。

 


年功序列”というニホン独自のような制度は現存している。

何しろ法治国家である国家の根幹のお役人の制度がそれなのだから、年功序列を法で定めていると言っても過言じゃない。

が、その他の現実一般社会じゃ崩れている。

だから皆彷徨っている。

公務員以外の社会が不安に思えて仕方が無くなっている。

 


が、一見残酷なようで自然なのは....現実の一般社会だ。

公務員だけが特別な社会に存在すると見た方がわかりやすい。

 


かつては一般企業でも、特に大企業なんかは公務員に右に習えと出来ていた。

でも....無理なのだ。

カルロス・ゴーンのように飛び抜けた報酬を要求するリーダーが出てきたり、村上世彰のように株主利益の方を優先すべきと要求してきたりすることが正当化される社会になれば...

年功序列は維持どころか邪魔なのだ。

 


実際良い・悪い評論されつつも、どんどん年功序列は崩れている。

順を踏まえず飛び抜けて若いIT経営者が出てきたりするものそれだろう。

 


国を運営する政治家や官僚や公務員の制度だけが年功序列を崩さないがために、普通の社会との軋轢や断絶が年々大きくなってきているだけのことで、そこにハマらなかった一般ピープル年功序列を夢に描いてももう無理なのだ。

それがシンプルにわかりやすいのがプロスポーツの世界だと言うだけのこと。

年齢は評価の対象ではなく結果が評価の対象なのだから....

 


科学や医療の発達で、選手寿命は大幅に伸びた。

にもかかわらず....非常に能力も体力もあり、将来もまだまだ有望であるのに....

30前後で他分野に転職してしまう者も少なくない。

 


彼らには一体何が見えているのか?

 


一方では、プロスポーツ選手を継続したいのに....諦めなければならなくなって、転職を余儀なくされる者も居る。

”その後の生活”に対応できずに消えてしまう者も少なくないと聞く。

が、きっと様々な困難はあったのだろうけど....

早過ぎた終焉のその運命を受け入れて

本望ではないのだろうけど

また、新たな小さな花を、人目にはつかないのかもしれないけど、

咲かせている人も居る。

さらには....ボロボロになるまで現役にこだわる人も居る。

本当に様々になってきた。

私は....プロスポーツ選手のような華々しい活躍がなくても、役所の人間ではないので、そういった人生を参考にすべきなのだと思うということ....

 


皆一同に60歳で定年。

退職金をもらい、65歳まで天下り、65歳からは年金を受け取って....

の制度上に私はいない。

これが国家の規定する人生なので、いろいろなところで目にする情報であるし、あたかもニホン人の基準であるようにも錯覚するんだが....

果たしてそのような人が一体現実にはどれだけ居るのか?

 


プロスポーツ選手で言うならば、私は40歳を過ぎても現役で、しかもボロボロになっても現役でやっていたいと思っていた方だ。

そのための努力というか、あがきもしていた。

が、どうやら私はそのような運命にはないらしい。

能力や気力の問題もあろうが、様々なところで....「切り替え時」を感じるようになってきた。

「簡単に諦めてしまうのか?」と思われたくはないと頑張ってもきたんだが....

頑張ること=しがみつくこと...の弊害も少し感じてきている。

つまり....潮時=運命...なのかな?と。

 


「方向転換」の覚悟は出来てきたつもり。

が....急に出来るものではないし、恐らく何年もかかるものだと考えている。

「したくない」という思いは打ち消すようにしているが.........焦って飛びつくことにはもっと警戒している。

判断が遅れることの犠牲もあろうが、焦った決断の犠牲の方が大きいだろうと警戒している。

 


なので....見た目の日常はあまり変わらないんだが...あまり変わらず過ぎてもいるんだけど....

徐々に、徐々に、毎日方向転換し始めているんだろう....と思う。

なんせ、意識の根底にしっかりと根付いたので。

 


三年後ぐらいには、「かなり変ったな」という感想を抱いているのかもしれない。

それぐらいで丁度いいんじゃないか....と、今は思っている。

セカンドステージに移る前に

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人生なんてそんなにもキチっとした”区切り”がつけられるものではないと承知しているんだが....

それでもあえてこんなことを考えてみようと思ったのは...

ファーストステージに未練を残したままでは、その未練に足を引っ張られるかな?と。

 


よく聞くのは....校長だったり、社長だったりした人は、退職後も随分と”威張る”そうだ。

しかも....さらにタチが悪いことには....”その自覚”が無いという....

 


私はそんなにも偉そうな立場にはないが....

会話の途中からはいつも自慢話になってしまう父親を見ていると....

それは実は”自慢”ではなく、認められなかった”未練”じゃなかろうか....と。

 


本人はいたって”言いっぱなし”なので、気楽なもんだが、聞かされる方はたまったものじゃない。

どのような分野の会話でも....結局自分を一番に持っていきたがる。

 


毎度言うように自分にもそのDNAはある。

だから気をつけようと....

 


自分にとってのファーストステージは

「無知ゆえの暴走」

ゆえに....謙遜ではなく”後悔”や未練”は決して少なくない。

しかしながら、そこをクローズアップして持ち続けるなら.....

それこそ「未練の張り付いた自慢話」を永遠と続けることにもなろう。

 


というわけで....

自分の中の祟り神は祀って葬り去ってやった方が、未来は開けるかな?と。

 


「夢はプロ野球選手!」というほど野球好きな少年ではなかったが、程度はそんなものなので、本田選手のような少年の頃の夢は評価に入れられない。

いやさ、自分の場合は相当にお馬鹿さんでもあったので、やはり社会に出てから意識した現実的な目標が”夢”だったと言ってもよかろう。

 


それらを個別に評価するならば....

全部及第点で良いんじゃないかと....

”大甘”の採点なんだが....

もう”やり直す”こともできない”過去の評価”を厳格にし、遺恨を残したところで、それこそそれは「未練の張り付いた自慢話」の種になろう。

肝心なのはいくら歳を取っても、「これから先」だ。

 


仮に厳しい評価を下した時に「全部ダメ」としたとしても....やり直し....はできないだろうに....

いや、もう、”再挑戦”も出来ない。

だから方向転換なのだ。

セカンドステージの到来なのだ。

むしろファーストステージの恩恵など、「残っているものだけ」。

後は全部忘れてしまった方が良い。

忘れた方が幸せになれる確率も上がるような気もするぐらいに。

なら、後悔が張り付かないように「まあまあだったかな?」で良いんじゃなかろうか。

 


セカンドステージが遠慮を自粛の世界のようには思いたくはないが....

ファーストステージの復讐なんて企てようものなら....

それこそ絶望の海になってしまうように思う。

無知ゆえの暴走

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昨日の続きになる。

自分の人生を大まかに総括するなら....

まあ、「無知ゆえの暴走」ということになろう。

 


哀しいけど一番身近な”本人”の言うところなので、かなり間違いはない。

それが三代続いてしまった。

良い点?などあるわけないが、それでもそれなりの効果?を上げるとするならば....

「無知なればこその怖い者なし」だったり「無知なればこその自惚れ」があったことだろう。

思わぬ収穫につながった....ことも....あるにはある。

 


が、次いで面倒臭い性分には....しかもそれを...あえて周囲にも告れ知らせたがる。

「どう、見ていなよ」というように....ってのがある。

傍から見たらば程度の低い自慢なんだが....ご自分は「大得意」ってヤツだ。

 


そんな三代だった。

そんな三代をもてはやす家庭で育った。

そんな三代をもてはやす家庭で育っていることに気が付かなかった。

 


言い広めたがるほどに力量なんかあったわけじゃない。

が、比較考量ならぬ比較効果とでも言おうか....

まわりに弱者や敗者や力量の無い者を置いておくことで、相対的に自分の地位を高める手法にだけはたけていた。

 


....あたかも自分は集団の中で”さも”優れているかのように見せる(周りにも自分にも)ことだけは上手だった....

典型的な「井戸の中の蛙」手法だ。

 


それぞれの代の証拠の品も見てきた。

自分にも使わないような意味不明の資格とかあったりする。

中でも多いのが趣味の自慢。

確かに有段者とか、なんかの大会での表彰とかは少なくない。

が、それはあくまでも趣味だ。

趣味に一生懸命であることを否定すべきでもないかもしれないが、だからといって

「仕事を一生懸命頑張っていること」と同位に言うべきではないし、そのように伝えるべきではないだろう。

が、三代とも本道でさえない自分を隠すかのように趣味での実績を利用した。

趣味に活躍する自分の姿を見せることで、あたかも人生の困難にも堂々と立ち向かっているかのように演出した。

その分...本業からは逃げてきたくせに。

 


伝えられてきた”家系”では地元の名士だったらしいのに....

かつては旅籠の若旦那だったらしいのに....

明治時代では珍しい大学卒業だったらしいのに....

まあ、全部願望からの作り話だったんだろう....

自分が調べたところでは、墓の継承さえ途切れてしまった貧乏百姓の出だ。

家系や経歴を誤魔化した作り話を考えている暇があったなら...

未来への努力にその分だけでも力をそそいでりゃよかったものを...

そういうことはせずに....遊びに出かけていたということなんだろう....

 


簡単な話、誰かが井戸を出てしまえば良かっただけのこと....

でも、出なかった。

いろいろ言い訳して出ようとはしなかった。

どうしてか?居心地がまんざらでもなかったからなんだろう。

そして....居心地の悪い周囲の者達が去っていった。

だから、法事をやっても誰も来ないということ。

 


自分はたまたまに出てしまった。

親と仲良くなかっために、家を離れてしまった。

で、出てみてビックリ....

自分に沁み着いていた”我が家の伝統”のようなものは、実は世の中では通用しない伝統(手法)だったから。

ただ....気が付いたのは随分と遅く....「やり直し」は効かない年齢になっていた。

なので、「同じ過ちは繰り返さない」程度を留意するにとどまった。

 


哀しいかなそれがここまでの自分の人生の総括だと思う。

あまり明るくない。

 


しかしながらその割には悲惨な暮らしにも今のところはなっていない。

いつもギリギリのところで家訓を裏切り、親の言うことを聞かなかったことが功を成してきたんだと思う。

間一髪で人並みの人生のはしくれに飛びついてきた。

そして今もなお、ギリギリとはいえどもはしくれをつかんでいる。

 


が、このような人生にもいよいよ終焉は近づいてきたかな?と。

もう少し頑張っていたかったが、じゃああと何年と言われると具体的に思い浮かぶわけでもない。

ましてや、この暑さの中では正直、もうボチボチ楽にやってゆきたい。

とか、思う。

 


まあ、「頑張れる限りは頑張る」という”気持ち”の基本方針は変わらないが、正直”結果”は頑張ったモノではなくなってきているので、責任は取る日は近づいていると思っている。

その処理も簡単なものではなく、秘密裏で、慎重で、つまり孤独で、一年はかかるだろうと見ている。

その後が第二の人生のスタートか?

つまり....

「責任を取る覚悟」

「後始末」

「その後の人生」

が代わる代わるに脳裏に浮かんでいる最中で、ただでさえ朦朧としているのに、余計に頭が回らない。

せめて気温が平年並みになってくれるといいんだが.....(苦笑)

 


深刻になるほど反省しているわけでもないんだが...あまり...肝心なことは話さなくなっている。

大して肝心でもないのに、重要でもないのに、やたら大袈裟に触れまわっていた先人達のDNAは必ず自分にもあるんだろうと...

それがひいては「無知であるからこその暴走」につながり、結果大騒ぎする割にはいつも何も残せないと...

そんなことを自覚するところから第二の人生はスタートした方が良いかなとか....

 


世の中には素晴らしい生き方や考え方をされる方が山ほど居らっしゃる。

そういう方々はそれにも足りずにさらに修練を積もうとされる。

のような世の中にあっては....

消えてしまった方が、

途切れてしまった方が、

途絶えさせてしまった方が、

人類の為になるということもあるんだと思う。

 


私自身は....そこから....

地味な一平卒で出来ることはないだろうかと...

とか、考える方が良いのではないかと思ったりしている。

消えてしまった方が良いものもある

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「次のステージ」に進む前に、これまでの人生も総括しておかないと....

と、さほど真剣に考えているわけでもないが、「同じ失敗は二度繰り返さない」ためにも、たまにボンヤリ振り返っている。

 


最大の誤算というか、無知は、

「小心者のクセして自惚れ屋で自慢しいで本業よりも快楽優先の三代続く遊び人」のクセして...

「我が家は優秀だけど運の無かった努力家の一家」と本気で思い込んで伝えてきたアホな一家の三代目であったこと。だ。

 


私の家には親戚というものが居ない。

いや、血縁では居ることなっているのだが、お目にかからない。

父方だけでなく母方も、

それが何よりもの証拠。

皆、わが一家と付き合うのは...コリゴリと言うわけ。

それを...「近づき難いかな?」と思い込んでいる馬鹿な一家ということ。

 


三代目などと思うはずもなかった。

運命に逆らってもきたつもりだった。

が、相当に強烈なDNAなのだろう。

そう言われて見直してみるならば....あれも、これも....と...

 


”結婚”はそれを断ち切る機会だと思っていた。

しかしながら血縁というものはさほどに簡単には行かない。

 


まあ、さほどに頑なに考えているわけでもない。

が、やっぱり続けるべき血筋でもないと思っている。

自分の代で途絶える....

いやさ、あえて途絶えさせた方が....良いだろうと。

 


自分の人生での失敗はほぼそこから派生していたと想像できる。

”後悔”

ではなく、せめて気が付いてからは改めていきたいと....

別にあえて誰かに宣言するわけでもないけど...

強がっているから若いというわけでもない

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面白いものを入手したので、少し書きくわえて見た。

少し古いが文科省の調査によるものなので、嘘ではないだろう。

 


この手の話になると、希望を失いたくないがためか、「体力だけじゃない」「経験値が....」「人望が....」という話にすり替えられる方々も居るのだが....

それを否定するわけでもないし、それならそれを信頼して生きて頂ければ良いので、私の考え方など無視して頂いて結構。

非力な私は少しでも科学的な分析に基づいて無駄の無い努力を見つけないことには”徒労に終わって”いられない。

しかも....残された余生にあまり時間があるとも思えない。

 


かといって詳しい分析をするわけじゃないが...

自分(ひょっとしたら多くの人は)希望願望を含めて、自分の能力の劣化をB:握力のように思っている(思っていたい)のだと思う。

しかし、現実としては全てではないかもしれないが、A:シャトルランのように落ちぶれてしまう部分もあるわけだ。

それは恐らく”認めたくはない劣化”なのだろう。

 


様々なスポーツ番組や健康番組のある現在、にわか健康マンとして、私のように”希望想定ライン”を描いている人は多いし、ひょっとしたらば実現させている人も居るかもしれない。

実際私自身3年ほど前までは「そうだ」と確信していた。

現にそれを支えるトレーニングもしている。

なので、文科省調査通りのグラフの延長には居ないと思っているのだが....

それでも、「希望想定ラインに居るはずがない」ことはもう承知した。

 


哀しいとか残念とか、精神論はさておいて....

これを無視した時にはどうなるかと言えば...

怪我につながる、疲労につながる、つまりは健康を害する....ことになろう。

 


脳内文化や精神文化がカラダとは別のモノというわけのわからない信者の方には申し訳ないのだが....

そんなもの自分のカラダの中にワンセットで収まっているのだから、「全部つながっている」。

もしくは「同じモノ」だ。

すれば....Aとは断定できなくとも、せめてAとBの中間ぐらいの劣化路線にあると思うのが....

自然というものだ。

 


私の希望想定ラインを見ていただければわかるように、全く”自然”からはほど遠い。

ゆえに”努力”が必要と、頑張ってきたつもりだが...

多分....あの剛速球江川氏がかつての投球をリアルには再現できないように、無理なことは無理な年齢になっているのである。

 


が、人間諦めが悪いので、「これはあくまでも体力の話」として、脳の活動やら、精神の活動やら(これも普通は脳だと思うんだけど)は”別”にしたがる。

自分もそのような傾向はあったかな?

 


しかし、それは科学的に人間が生き物である以上...「無理な話」ということだ。

 


何もかもを諦めた....という話じゃない。

でも、毎日素振りをしたところで、プロ野球の選手になれる年齢じゃないということ。

毎日の素振りは自分にとっては無駄な努力でしかないということ。

少しでも、残りの人生を豊かなモノにしたいのなら、すべきことは毎日の素振りではないということ。

それにしては、”毎日の素振りのようなこと”をたくさん見つけてきては、実践し、それでへとへとになっていたということ。

そのような努力の方向を切り替えていく時期が到来したのだろうということ。

 


それをグラフにハメて見たらば....

妙に自分に説得力があったかな?と。

 


毎日考えているし、毎日悩んでもいる。

しかし....その割には、”焦る気持ち”が出てこない。

いや、”急ぐ”とか、”焦る”ことすら、出来なくなってきているのかもしれない。

と、思うようになっていたらば、こんなグラフに出っ食わした。

 


下手をするならば進行方向が真逆になるかもしれないほどの方向転換ゆえに、かなりの体力あったとしても、「軽くUターン」なんか出来る事態じゃないんだろう。

その上に”劣化している”。

ならば方向転換し終わるまでは、牛歩にも及ばないほどのノロさで、ゆっくり方向を定めていくしかないのかもしれない。

なので、「出来ていない」フラストレーションは余計にたまるんだが....

A:20mシャトルランのグラフに自分を当てはめてみるならば....

「そらましゃーないかな」と。

 

 

 

なんだか久しぶり

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何度も”同じ話”はやめよう....

 


というか....別に”同じ話”をしたいわけじゃないんだが....

間が空き過ぎて前回話したことを忘れてしまっているので....

”同じ話”が登場しているんだと....思う。

 


それだけ....

同じ場所に留まっているということなんだろうね。

 


...ということで、今回はそこから少し脱出してみたい。

 


かつては....

なんやかんや言っても。

なんやかんや言っていても。

”趣味”を拠り所にしていた。

あるいは....

”趣味の仲間”を拠り所にしていた。

 


ということは....

”そこ”を切ってしまうなら....

随分と”孤独”になる。

”孤独”になれる。

 


のがわかっていて....

何故だか数年前にそうした。

ら、

不思議なことに他とも縁がどんどん切れていった。

 


いわゆる....”友達”は随分と少なくなったので、”遊ぶ”には不便になっている。

そして....間も空く。

が、意外にも....本当に意外なんだが...寂しいという気持ちが沸かない。

 


こんなものワザと沸き出すものでもないだろう。

そう。

そういうこと。

 


そんな”彼ら”と結びついていた”道具”が山ほどある。

再び....脚光とまではいかないものの、そこで楽しみたいという気持ちがないわけでもない。

が.....

そこが「鍵」なのかな?とは感じている。

 


”趣味”が悪いわけじゃない。

かつて....”そこ”に没頭出来ていた自分は、ある程度人生が確定できていた。

”いわゆる”....「問題を起こさなければ」...”まあまあの安泰”を自由を差し出す代わりに保障されるという立場だった。

 


それは....「幸せの泉」だったのかもしれないけど...

自分には「恐怖の沼地」に見えて....

そこから立ち去った。

 


”それ”に後悔するつもりはない。

ただ....

そのくせして...

”覚悟”が無かった。

”ここ”が大誤算。

 


そういうことが人生遅まきになって”今”わかってきた。

というか....”思い知らされるハメ”になってきているというのが正解か?

 


だから”今”は趣味を遠ざけている。

いや、正確には「ストレス発散」とか言っちゃって、時折やっちゃってもいるんだが....

でも、かつてのことを思うと....

遠ざけている。

 

 

というか....”やっている”ことを公言しない。

 


そんな中でSNS全盛の中、旧友らの楽しい趣味の活動記録が、静止画で、動画で、配信される。

付き合いが続いていたならば...”自分のアホ顔も”さらされていたんだろう。

 


それが嫌という訳じゃない。

が、”今現在の”自分の悩み、自分の思い、自分の目標....etc

と、余りにも違い過ぎる。

余りにも違い過ぎて....

かつて肌を接するほどに身近だった知合いが....

まさに”会ったこともない画面の中の人”に見えている。

 


少し冷静になる。

 


昨今の状況は、仕事なんか辞めてしまって再び趣味の世界で没頭できないことも.....

ない、状況にもなっている....

それももう一つの人生か?のように....

なっているんだが.....

 


それでも....とりあえず....

 


俺は”趣味”より、仕事しようかな、と。

その仕事が窮地に追い込まれていて、もう最終局面であっても...

もうちょっと...仕事をい優先しようかな?と。

 


多分....”ターニングポイント”ってのはそんなもんだったんだ。昔も。

いわゆる”頑張り所”....

で、俺は...

”なんとなく酔っ払ったままで居たくて。”

”なんとなく気軽になりたくて”

”なんとなく見栄を張って”

”なんとなく....深くは考えたくなくって”.....

”そんな気持ち”

がバレるのが嫌で....

”趣味であっても、そこに”命を賭けてるんで”ってな”顔”で....

誤魔化してきたんだろうね。

”オレ”は。

 


イヤイヤ...”本人”だから、よーくわかっている。

哀しいほどに。

 

 

ということが想像出来たので....

ええ歳こいた自分は、今回ぐらいは...

ちょっと趣味に逃げずに踏みとどまってみようかな?と。

 


ま、そんなところ。

 


こういう挑戦の機会も残り少ないと思うので。(笑)

 


ただ....

残念なことに....

”家族”は極めて無関心。

 


ま、そこは深く考えない方が良いんだろう。

”オレ”の問題だ。