小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

同感!

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リーマンショックから10年になる。

 


そんな”ショック”が起こる前から予測されてはいた。

サブプライムローンなるものはいつか必ず破綻すると。

 


が、そんな大規模な破綻など私に止められるはずもない。

で....大した防御も出来ずに、思いっきり喰らった。

 


いきなりドカーンと...という印象ではなかった。

むしろ、発端からジワジワと1年ぐらいかけて、「どうしようもないじゃないか....」状態が続いたように記憶している。

なので....兆候から1年経ったぐらいで....耐え切れなくなり...職を変えざるをえないと思った。

 


そんなアイデアは誰しも浮かぶところだろう。

が、わかっていても変えられない事情もある。

変えた方が被害が少ないとわかっていても....

 


「踏みとどまった」という気持ちではなかったように思う。

ただ、なすすべなく、アイデア浮かばず....「耐えるのみ」を選択したように思う。

 


希望は.....

「何年耐えられるか」だった。

1年じゃあ儚過ぎるので、3年区切りかと想定した。

「3年耐えたら合格だ」と思った。

3年耐えたら....変更するよりマシだった....と、思おうと思った。

 


「6年耐えたら...」...もう十分だと自分に言ってやろうと思っていた。

”今”はもう過ぎてしまったけれど...6年耐えられる可能性は50%切っていると考えていた。

 


なので...「9年」...はあまり真面目に考えていなかった。

そりゃあ「耐えられれば...」嬉しいが、その可能性が考えられなかったので、具体的な想像が出来なかった....んだと思う。

 


先日...その「満9年」を迎えた。

色々忙しかったこともあるが....意外にもアッサリと迎えた。

その後にも次から次へと災難が沸いてきているので、正直もう9年前の感傷に浸っていられる場合でもなくなっていた。

なので....達成したことを知ったことすら....少しタイムラグがあったりして妙な気分だ。

 


でも....「有り得なかったはずの9年」...を...「継続して耐えられてきた」....のかと思った。

 


そりゃあ「これで終わりになる」事態が起きていても仕方が無い。

なんせ「有り得なかったはず」の地点まで到達距離を伸ばしてきたんだから、いつ「限界」に到達してもおかしかないだろうということだ。

 


...そんなこともあるのだろうか....

いまだ「境地に達した」にはほど遠いんだが....

「終了」....というよりは「新たな節目のスタートなのかな?」という心境が増えてきている。

 


リーマンショックからザックリ10年...ということよりも、トータルでの生活年齢による環境の変化が目立つようになってきた。

親の介護が必要だ。

孫が生まれた。

役職定年になった。

リストラされた。

また入院だ。

等々....自分の事ではないけれど....そんな年齢だ。

「オレは泣き言言わない」と、若ぶって、強がってきたけど....

「現実」を無視したような強振で「空振り」が増えてきたように思う。

一言で言うなら....「身の程知らず」というところか....

 


「有り得なかったはずの9年」に到達してみれば....そこには9年前の感情はもうあまり残っていなかった。

むしろ9年前に抱いていたのと似たような...「これからの不安」のが圧倒的に多い。

ん?ということは....

何年経っても一緒?

ということなのか?

 


でも、確実に”今”は転機になっていて、毎日色々な変化が訪れる。

今までが単に見えない、聞こえないようにしていただけで、ずっとこうだったかもしれない....ぐらいに....

これまでとは違う”変化”がやってくる。

なので....やっぱり「これまでとは違うやり方、考え方、生き方....を模索する時期がやってきた」と思う”覚悟”は正解なんだとは思う。

 


”思っている”だけじゃあ何も変わらないことぐらいはわかる年齢にもなってきているので....

ともかく実行しなければ....とは思うんだが、なんせ「何もかもを捨てた」というわけでもないので、余計に忙しくなってしまって....

まあ、どっかで聞いたような....

「ゆっくりでも止まらなければけっこう進む」だったかな?

そんな心境でやろうかと....

 


と、思っていたところsetaさんがとても良い文章更新されていて....

「まず一個やる」だね。

本当に。

動き出す

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いまだ”終了”の覚悟は固まっていないんだが...

”好転”は期待しなくなっている。

”未来の工程表”なるものもいくつか作成しているが、それも全部”低め”に書き換えた。

さらに”低め”に書き換える日も来るかもしれないとも思っている。

 


いや、そんな高度な次元じゃない。

自分が今やらなければならないことは....

「逃げないことだけ」だ....と思っている。

とりあえずこの事態から逃げずに収拾をつけること...

それが自分の役割だと思っている。

 


細かな努力は別にして....

とりあえず「逃げていない」ので今日も合格だ。

 


それでいいと思っている。

そりゃあ”立派な心構え”を持っていた方がよかろう。

優秀な対策を立てることも有効だろう。

が、格好よく立ち回ったところで....

事態の収拾をはからずに”逃げて”しまうなら....終わりだ。

多分一生後悔を残す。

さらには....簡単な事態ではないので、本当にあれやこれやと考える。

どこかの大学やお役所じゃないが、上手に切り抜けられる方法はないものか?と願ったりもする。

が、それでパニックになって冷静さを失うぐらいならば....

「逃げなかった」だけで”良し”としてやろうと思っている。

それさえ守れば....”終了”後も堂々としていられる....と期待している。

 


が、”逃げてなければ良い”だけではあまりにも策が無さ過ぎるので、衰退に向けて?の具体的な努力も始めたい。

....でも忙しい....

というジレンマの中で...前回の記事にも書いた”減らす”ということを手がけ始めた。

 


それで....本当に、あっさりと、周囲を見回しただけなのに....

不要なものの多いこと。

多分....まだまだ”拡大の人生”が続くと思っていたからこそ”必要かも?”ととっておいたモノが....衰退の人生なら「要らない」ということがハッキリしてしまうようだ....

 


そういったモノを見ていると、自分は永久の命でも保有して、ずっと上り坂の人生があるように、錯覚していたのか?位思える。

それはある意味前向きと言えるのかもしれないが....自然の摂理を無視するほどに傲慢ということでもあろう。

人間は永久の生き物じゃない。

 


つまり....今じゃなく、もっと以前からでも、見切りをつけておくべきだった部分が....

ぜ~んぶ残っている....

と言っても過言じゃない始末なんだろう。

いつまでも若いつもりでいるのは結構なことだけど....

出来ないことまで出来るかのように思っているのは自惚れだ。

そういうことがよくわかる身の回りの品々だ。

 


一挙に整理できればスッキリもするのだろうけど....

未来を見通す目が無かったからこそ残してきたモノであり、その程度の能力しかないくせして、急に慌てても、また狂った判断をしてしまうだろう。

最悪....必要なモノを捨てて、不要なモノを残してしまったり...とか....

 


なので一日一つ。

一日一つ処分できれば、一歩”衰退”に寄り添えたとしよう。

”衰退”に寄り添うというのも変な話だが....”衰退”してるんだから逆らっても仕方が無い。

仲良く”衰退”してゆかなければ。

 


一昨日は有料会員カードを一つ退会した。

歳を食ったら入会できないだろうと入っておいたモノだが、もう3,4年経つのに使っていない。

年会費だけが落ちていた。

こういったモノも、将来に期待して放置していたわけだ。

 


昨日は靴底を修理に出した。

ん?捨ててないじゃないかと....

違う、新品一つ買おうかというところを修理にしてやめた....ということ。

 


今まではこういうことを節約だと思っていたが....

今はそうは感じていない。

使わないものまで持つ必要がない。

買う必要もない。

単にそういうこと。

 


PC内のファイルもそうなんだろう。

きっと恐ろしいぐらい不要なファイルはあるはずだ。

脳みその中も同じ。

毎日一つずつ...整理してゆこう....

それじゃ追いつかないだろうけど....

何もしないよりはマシなはず。

 


少なくとも夢のような期待を賭けて....

描いてもいなかった絵を描き始めるよりはマシだと思う。

 


そういえば....

毎晩晩酌をオカズを一品買って帰るんだが....

今日からヤメ。

大体少し太り始めてきたというのに....

 


なんか無駄ばっかだったんだよなぁ....

減らす人生

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人生における”三度の大きな転換期”の一度目に、絵を描いていた時期があった。

が、その時に描いた絵は10年ほど前に全部捨てた。

気持ち悪い絵だったからだ。

全然上手くない。

何もかもおかしい。

ここまで下手じゃない....はずなのに....

 


動機が不純というよりも...描きたい気持ちが無いままに描いている絵なのでおかしいのだ。

病んでいる....とまでは言わないが....気持ちの入っていない小説の文章のようなもんだと言えばおわかりになるか....

形はある、色もある、額にも入っている....サマはいっぱしなんだけど....

”変な”としか感じない絵だった。

 


似たようなことがあった。

とても魅力的な文章を書くブログを知って、自分も始めた頃....

けっこう気取って書き始めた...

が、やっぱり気持ち悪い文章なのだ。

書きたいことを書いているのではなく、自分も上手いと褒められたくて書いていたんだろう....

文字が並んでいるだけの....

”変な”文章を残しただけだったので....気が付いた時に...全部削除した。

 


そういった経験から、このような状態にある時には、それまで努力していなかった突拍子もないことに頼るのはやめている。

 


動揺と後悔から二週間。

事が事だけに簡単に切り替えられることも期待していない。

が、原因の追究は反省のためにも必要だと思っているが、原因の後悔は深堀しなくなってきている。

もうそんなことに時間を使ったところでこれから先に役に立つこともないだろうに。

 


確定したことは

下山の人生に入ったということであり

ダウンサイジングの必要性が出てきたということ。

いわゆる下降路線であり、縮小路線ということ。

それはもう否定しないし、否定できないとの覚悟も芽生えてきた。

 


漢字で書くと寂しいことだが、じゃあ歳を重ねるごとにイチローは活躍を拡大できたか?

....そういうことだと思う。

イチローでさえそうなのだから....

自分程度にしては、よく持った方なのかもしれない。

 


さらにわかってきたことは....

見えてきた路線変更とて....

急に出来るものではないということ。

うまくやれる確証もないということ。

まさに下山であって、ナメていたらば足を滑らせて滑落するということ。

でも....下山をしないとしたらば....

下山を躊躇するならば...

頂上で凍死するということ。

ん?

尾崎豊坂井泉水は頂上での凍死を選んだのだろうか?

そのような生き方を否定する権利は自分には無いが....

自然であればそれも運命であるものの、自らの作為的行為なら....

やっぱり選択すべき道ではないのだろう。

 


誰しも縮小したくないし、下り坂の人生にはしたくない。

であれば当然に消極的にもなる。

今現在....少々の覚悟は出てきたものの、そんな心境だ。

 


しかしながらリストラを告知されたりした日には、ゴネていても確実にその日に近づいて行く。

リストラ後のことを考えずにゴネてゴネて時間を消費してしまってリストラ直後に路頭に迷うのは準備の無かった自分だ。

そういうことと同じことが起きないだろうか....

 


なので、どうせなら、積極的にその準備を始めてみようかと思えてきている。

いや、急転回は出来ないが、例えば...保有しているだけでも金のかかることだってあることだし...

やることも増えるんだから、そうあれもこれもと触っていられなくなるだろうし....

ならば、余分なモノを整理し始めるとか....

 


そもそもに....幾分かにでも身軽になった方が転回はしやすいだろうし....

かつての栄光に女々しくなることもない。

身軽になったればこそ見えてくる景色やヒントだってあるかもしれないし....

 


なんか断舎利のようだが....

そこまでには至らないだろう。

それこそこれまでしてこなかった人間性のくせして....それを標榜するのは断舎利の人やミニマリストさんに失礼だ。

ただ....

モノを増やす人生から減らす人生になって行くことは....案外心地良いものなのかもしれない。

全く体験していない分野なんだけど.....

 


正直これまでは過分にモノを増やしてきたと思う。

自分の収入や立場に不釣合いなほどに大きなモノを所有し持て余していたとも思う。

そうするがために、自分をスリ減らす人生でもあったように思う。

特にこの7年。

そんな見栄張りな生き方を見直す時期だともいうことか.....

ダウンサイジング

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事態を把握したのは5月21日

なので10日ほど経った。

多分....人生上の大きな方針転換を迫られるのは三度目だ。

 


鋼のような精神力を持ち合せているわけではないし、”強がり”で乗り切れるわけでもないと思うので、当たり前に動揺する。

動揺した。

実に嫌なものだ。

 


情けないがうろたえる。

”うろたえる”というのはこういうことを言うのかと思い知る。

”うろたえ”が見つからないように装ってはいるが、中身の自分は十分にわかっている。

 


残りの方が少ない人生になった....とは言うものの、”残り”が無いわけじゃない。

できることならその”残り”とて投げやりにならずに生きていたい。

ならば....

やっぱり「これからのこと」を「自分で考える」しかないだろうと....

 


そのためには....冷静であった方が良い。

いや、冷静でなければ。

 


...が、10日で冷静になれる事態でもないし、10日で冷静になれるような事態なら最初っからうろたえもしない。

そのような”渦中”からは正直抜け出せていない。

 


が、少しは落ち着こうとしているのか?

落ち着いてきたのか?

堂々巡りの後悔や反省ばかりでもなくなってきている。

ある種....「起きてしまったことは取り戻せないのだから、ま、しょうがないじゃないか....」と...

 


人生粘り強い人も居られて....

「諦めなければいつかは達成できる」

のように言われたりもするんだが....

残念なことに自分の人生で”それ”を感じたことはない。

 


わかりやすいのは恋愛なんかで、フラれているのに深追いするなら余計に嫌われるのがオチだ。

これに基づいて表現を直すなら....

「サッパリ諦めて次の道を探す....しかない」ということもあるということになる。

これは自分の人生でも経験している。

 


”今”がどちらなのか?判断できるほど、まだ冷静ではないんだが...

いろいろな事を思い知る”転機”がやってきたのかな?....とは思い始めてもきた。

 


正直けっこう無理してきた。

継続のため、

お金のため、

見栄のため、

贅沢のため、

etc...

「それでいい」と言うよりも、それらがモチベーションにもなっていた。

 


が、やること重なり過ぎて....もれなく全部やれている....とは言えない状態にもなっていた。

特にこの2年....スッキリした毎日が無いというか...毎日疲れているような状態で....

「あと2年」...できれば「あと7年」とやっていたわけだ。

 


今回の”事態”はそこからのほころびで至ったようにも思う。

もう少し丁寧に警戒出来ていたらば防げる事態だったかもしれない。

が、そこまで気が回らないほどに余裕が無かったのも事実。

余裕なんか持てないままで回してきた2年だったのが現実。

....だったんだろうなぁ....とかも思えてきている。

 


「人と同じ行動は嫌だ」

と言っていたくせに...年限や節目だけは人と同じが良い...というのも身勝手な話だ。

思ったより短かろうが...”転機”もまた人それぞれ。

「人とは違う」としてきたなら、尚更だ。

 


正直「人よりも早い」と考えてしまうので...残念じゃないわけもない。

到達できなかった後悔もいつか顔を出してくるような気がする。

しかしながら....

仕事のみならず....整理しきれなくなってきた身の回りの品々や書類の山を改めて見てみると....

処理できる能力を超えて風呂敷広げてきたのかな?

とも思えてくる。

実際「やったこと」「買ったもの」を忘れていることがあるぐらいだ。

 


このような状態で日常営業しているので、車の運転中もよく考え事をしている。

先ごろも変則的な信号交差点とはいえ、赤信号なのに動き出していた...

大きなクラクションで気がついたが....

周りから見たらば「自殺行為」だ。

本人そんな意思はないのに....

そのような状態が日常生活にあるのも事実。

 


”忙しい”のは嫌いじゃないんだが....

広げる”風呂敷”を小さくする時期が来たのかなと....

 


3年ほど前からジョギングのスピードも上げられなくなっていた。

筋トレの回数も増えなくなってきた。

脳の働きは計測したことないんだが....

同様の事が起きているとみるべきだろう。

残念だが....

まだまだ頑張れるかもしれないけど....

これまでより”遅いペース”じゃないと...

これまでより”少ない回数”じゃないと...

これまでより”楽な方法”じゃないと...

継続出来なくなってきたのかもしれない。

 


この事態からの転換を想定し始めて...改めて”周り”を見まわしたなら....

とてもじゃないが”一人”で畳めないほどに「風呂敷広げてきたもんだ」と思わされたのも事実。

実際....仕事のみならず、家庭にあるものだけでも1年じゃ片付かない。

使わないカードなんか山ほどあるし...

 


自分じゃ全く気がついてなかった。

もっと風呂敷広げたかった。

が...ちょっと能力超えてたかな?

もう時期を過ぎてしまったのかな?

「必要なのはダウンサイジングの方だ。」

と神様に言われているのかもしれない....

 


と言うことで....冷静になろうとしている。

下山の人生

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このブログは一旦中断している。

ちょうど2年前に。

 


それまでも楽勝の人生などではなかったが....

ブログを書きながら、少しでも前進を夢見る希望があった。

しかし、突然にもそれを打ち消された。

 


誰が悪いというものでもなく、運命だと思った。

いや、悪い者が居るとするならば、それを予見できなかった”自分”としか言えない事態だった。

 


我武者羅に過ごした。

そうしなければ片付かなかったし、ともかく”そこで終了”になることだけを避け、”継続”につながる努力をした。

忘れてしまっているわけではないが、あまりにもたくさんのことを一度に消化していたので、細かなところは思い出せないぐらいだ。

 

 

そうして四カ月を過ぎ、多少の余裕が生まれたので、ブログも復活した。

”余裕が生まれた”....わけじゃないことは自分が一番知っていた。

”余裕が生まれた”...かのように振る舞いたかっただけだ。

毎日毎日息苦しいので....そろそろ余裕が出てきた....ように思いたかっただけのことだ。

 


つまり....原因は何も解決せず....

例えば....雨漏りなら...そこが修理できないままに....ずっと手で押さえながら踏ん張っている状態が続いていた....ということ。

 


いや、それでも構わない。

”終了”の笛が鳴るまでは、”踏ん張ったまま”で辿り着けるものならば、それで十分に満足だ...

とも思ってきた。

 


目標は「あと2年」...

本当は「あと7年」だった。

そのようなことはこのブログにも記述して、自分に鞭を入れてきた。

 


決して若くもないし、若ぶりたくも無いんだが....

”歳”を達成できない言い訳にはしたくなかったので....社会の制度にも抗うほどに若いつもりで頑張ってきた。

 


....しかし....そこに相当の無理があることはわかっていて....それでも....と、ことあるごとに打ち消してきたんだが....

やっぱり限界は2年前に来ていたと見るのが冷静な判断なんだろう。

 


2年前から今日までは、本当に良いことがない。

ロクなことがない。

一生懸命右手で穴をふさいでいるというのに、次には左の方に穴が開いて....そっちをふさげば、今度は右足の方に....さらに左足にも....って....

気が付いたらもうふさぐ手足さえ使い切ってしまっている。

まったく余裕の無い状態だ。

 


そこに来て....

神様はなかなか意地悪で、ノーガードにしかなれないボディを毎日のように狙い打つ...

 


それでも....諦めないように....ブログで喝を入れるように....次のラウンドに向かわせてきたんだけど....

ひょっとしたら2年前で終わった決着を諦めきれずに、その幻影と戦っている毎日のようになっているんじゃないかと....

 


大企業には「お疲れ様研修」なるものがあって、50歳やら55歳でピークアウトする方々に対し、その後のライフプランを教示するとのこと....

人生100年時代にも逆行するようなそんな制度、誰も納得するはずもないのだろうに....

「他の道よりまだマシ」と従うのだろう。

 


自分はそんなの絶対嫌だと思ってきた。

絶対嫌だから組織体に服従しない仕事を選んできた。

 


が....正直....限度を感じている。

弱音は吐きたくないが....限界が無いほどのスーパーマンでもない。

むしろ非力非能のくせして根性だけで生き伸びてきた部類だ。

 


もっと有能なイチローであっても引退はある。

西條秀樹でも死はやってくる。

何もかもに”ずっと”は無い。

それに....自分じゃ十分若いと思っているが、決して若いと言える年齢ではないかもしれない...

 


こう話しつつも....

諦めたくはないし、まだ諦めてもいないんだが....

”大きな”方針転換は必要な時期なんだろうと....

 


いや、2年前から”大きな”方針転換の必要な時期に入っていたのに....

ずっと方針転換が嫌で抗ってきたんだが....

それは”負け”を認めるようで逆らってきたんだが....

これまでの方法じゃあもう役には立たないかなと...

つまり状況の打開にはならないと....

 


なんとなくはそう思い浮かぶことも増えている。

弱音は言いたくないと言いつつ....このブログでも知らずのうちにそう吐いていると思う。

 


復活してきたブログで、毎度のように煮え切らない記事を書いているのが見事な証拠で、そこに自分の混迷は十分に出ていると思う。

 


今は....人生設計を見直し始めているところ。

”性格”まで変えたつもりはないけれど....

結果絶対主義だったので、鬼のように邁進してきた部分があるのも事実....

それももう通用しないと思う。

つまり....もう、”根性”だけではどうにもならない。

とは観念している。

 


ま、そんなところかな?

記事としては急かもしれないが、復活してきた頃から眺めれば、予見できた道筋かもしれない。

残念だけど。

 


残念だけど....

死ぬ人も居る。

残念だけど....

失業する人も居る。

残念だけど...

家族と生き別れになる人も居る。

残念だけど....

誰だって残念だけど....

思い通りには行かなくて....普通だ。

 


「大きな方針転換」たって...何をどうすれば良いものなのかはサッパリまだわかっていないし....どんなことでもそうだけど、リアルな人生で180度転換は、周りの人にも迷惑なので、さほどに”急”というわけにも行かないだろう。

 


まあ、ボンヤリ想像するには....

五木寛之さんの言うように...

”下山の人生”になって行くんだろうか?

 


今はそんなイメージを想像するくらい...

 


そして.....”下山”という運命は変えられないものだとしても....

せめ「苦しい顔を見せない」下山であるぐらいには....努力できないかな....

とは思い始めている....

 

孤独ブーム

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下重暁子さんの「極上の孤独」を読んだ。

”孤独”は私にとって例外ではなく....というか私こそ”孤独”という自覚を持っているので、興味が沸いたからだ。

 


私の筆力の分際で言うべきではないだろうけど...正直特別な感銘は無かった。

が、敬虔な宗教の修行においては、あえて”孤独”になろうとする....というくだりがあって....

それはナルホドと思わせた。

 


私は修行僧でもないし、敬虔な教徒でもないんだが...ゆえにさらなる凡人だ。

削ぎ落さねばならない煩悩の数とて膨大なはず....

と言う事は...本来は私のようなものにこそ、”修行”も必要というものなのだろう。

 


が煩悩の塊である私は、未熟者にもかかわらず家族を作り、身勝手に世に出て責任を増している。

残念なことにそれらの責任すら果たせているとは言えないような状況で、修行に要する時間はなかなか見つからない。

滝に打たれた方が仕事よりも楽じゃないかと思う時もあるぐらいなのだが、滝に打たれていても収入が入るわけじゃない。

 


そんな日々の中で明らかに”孤独”となるのは庭の手入れの時だ。

炎天下の草取り、長期休暇に遊びに行けない剪定....毎週のようにノルマがある。

毎週のように孤独な時間になる。

ある意味....慣れても来ているので....その最中に考え事をすることは多い。

ある意味....無意識のうちにも自分と向き合う時間になっているかもしれない。

 


と考えるなら、草取りや剪定は自分のしたいことを邪魔するような無駄な時間なんかじゃなく、嫌な時間であっても自分に必要な時間だったのか?と....

冬なんか、モズと二人?っきりなんてこともあるんだが....

そんな時のモズは逃げない。

修行というにはおこがましいが、多少なりとも煩悩やら欲が剥がれているのかもしれない...

 


修行に成果をを期待するのもバチあたりな話だが....単純に庭がきれいになる、という現世界での目に見える貢献もある。

嫌な思いだけをさせられる修行にあっては、儲けものではないのか....(もう既にこの考えがバチ当たり)

 


「極上の孤独」を読み終えた今週は、あれほどにも”時間の無駄”になっていると嫌々に感じていた草取りが、何故だかいつもより丁寧にも出来た気がしたりして...

 


考えてみるならば....

私とて、なかなか”孤独”の方を選択することはない。

庭仕事だって、本当は家族に手伝ってもらえるなら、そんな楽しく有難いこともない。

が、誰も手伝わない。

感謝の言葉もない。

だから余計に面白くない作業....と思っていたのだが....

「孤独に自分と向き合う時間」と考えるなら....

否が応にも毎週伸びてきて必要を迫られる庭仕事は....格好の修行の時間なのかもしれない。

 


下重暁子さんによると....

孤独を大切にする人は人相が違うという。

多少はいい男になっているんだろうか?

 

ゴミ拾い

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本当のところは....

単に、「やる気が無い」だけだ。

どうしてそうなったのかは自分じゃわからないが、「やる気が出て来ない」だけだ。

 


じゃあ、「いつやる気があったのか?」と言っても、ずっと”あった”わけでもなかったし、ずっと”なかった”ってこともない。

”あった”り、”なかった”りして、やってきたのだから、今更に変ったわけでもないが...

やっぱり年々「やる気が無くなってきている」とは思う。

 


社会的風潮や日本の情勢の影響が無いとは言えない。

が、むしろそんな大袈裟なものではなく、やはり「残された時間」が少ないことが大きいのだろう。

 


いや、すぐに死ぬわけじゃない。

が、社会に出た頃とは大きく違う。

不安も大きかったろうが、「これからのが長い生活」で考えることと、「これからは限られている」生活で考えることはおのずと違ってきて当たり前。

そこへの移行がうまくいってないんだろう。

 


と言うことで...

一度まとめて考えてみようと....一見珍しい”連続更新”をしたかのように見せたが....

なんのことはない...GWに書いた長い文章を分断させて載せただけのこと。

まあ、連続で更新作業したことには違いないんだが....

 


状況打開のためにGWに原点を回想してみたものの....

やっぱ回想は前に進ませない。

”原点”やら”キッカケ”は再確認できた気もするが...

「じゃあどうするの?」は出てこない。

 


”目標”というほど立派なものじゃなくても、具体的なものじゃなくても....

「ああしたい」「こうしたい」「こうなりたい」「こうでありたい」....

というような未来の設定がないと、”やるべきこと”も生まれないということか....

 


一方....身の回りを見回してみると....

余分な回想に浸っていたおかげで....散らかっている...というほどではないが、片付いてはいない。

自分の頭の中と同じようだ。

 


また、片付けからやり直さなくてはならなくなっている。

毎度毎度同じ事の繰り返しだ。

 


が、そこなのかな?とは思う。

同じ事の繰り返しになる前に気が付かないこと。

もう少しの踏ん張りや我慢で継続できるのに飽きてしまうこと。

必要なのは、大きな決意や広大な妄想や崇高な理想ではなく....

目の前のゴミのような所用を一つずつ整理し、片付けていくような....

”実行”

なのに、それを一番おろそかにしてきたから反省すべき今になっているのに、それを懲りずに何度もまた繰り返している愚かな人間だということ。

 


もう何かになりたいと思ってもなれる歳ではなくなった。

なら、せめて”愚かな人間”から脱出したいのだ。

”みっともない人間”では嫌なのだ。

それが本心なんだろう?

 


そういう願望がありながらも実際の生活はけっこうだらしなかったりする。

ついつい怠けている。

快楽に引き寄せられてしまって、面倒なことを後回しにしてしまう....

 


ま、文章書いている暇があるんなら。目の前のゴミでも几帳面に拾え、ということなんだろう。

解決策は。

 

正直”やれやれ”だ。

そのゴミ拾いに飽きてきて、ゴミ拾いなんかで何になる....っとも思えてきてんだろう...

 

 

けど、やっぱりそれしかないんだよな、多分。自分の能力じゃ。