昨日の続きになる。
自分の人生を大まかに総括するなら....
まあ、「無知ゆえの暴走」ということになろう。
哀しいけど一番身近な”本人”の言うところなので、かなり間違いはない。
それが三代続いてしまった。
良い点?などあるわけないが、それでもそれなりの効果?を上げるとするならば....
「無知なればこその怖い者なし」だったり「無知なればこその自惚れ」があったことだろう。
思わぬ収穫につながった....ことも....あるにはある。
が、次いで面倒臭い性分には....しかもそれを...あえて周囲にも告れ知らせたがる。
「どう、見ていなよ」というように....ってのがある。
傍から見たらば程度の低い自慢なんだが....ご自分は「大得意」ってヤツだ。
そんな三代だった。
そんな三代をもてはやす家庭で育った。
そんな三代をもてはやす家庭で育っていることに気が付かなかった。
言い広めたがるほどに力量なんかあったわけじゃない。
が、比較考量ならぬ比較効果とでも言おうか....
まわりに弱者や敗者や力量の無い者を置いておくことで、相対的に自分の地位を高める手法にだけはたけていた。
....あたかも自分は集団の中で”さも”優れているかのように見せる(周りにも自分にも)ことだけは上手だった....
典型的な「井戸の中の蛙」手法だ。
それぞれの代の証拠の品も見てきた。
自分にも使わないような意味不明の資格とかあったりする。
中でも多いのが趣味の自慢。
確かに有段者とか、なんかの大会での表彰とかは少なくない。
が、それはあくまでも趣味だ。
趣味に一生懸命であることを否定すべきでもないかもしれないが、だからといって
「仕事を一生懸命頑張っていること」と同位に言うべきではないし、そのように伝えるべきではないだろう。
が、三代とも本道でさえない自分を隠すかのように趣味での実績を利用した。
趣味に活躍する自分の姿を見せることで、あたかも人生の困難にも堂々と立ち向かっているかのように演出した。
その分...本業からは逃げてきたくせに。
伝えられてきた”家系”では地元の名士だったらしいのに....
かつては旅籠の若旦那だったらしいのに....
明治時代では珍しい大学卒業だったらしいのに....
まあ、全部願望からの作り話だったんだろう....
自分が調べたところでは、墓の継承さえ途切れてしまった貧乏百姓の出だ。
家系や経歴を誤魔化した作り話を考えている暇があったなら...
未来への努力にその分だけでも力をそそいでりゃよかったものを...
そういうことはせずに....遊びに出かけていたということなんだろう....
簡単な話、誰かが井戸を出てしまえば良かっただけのこと....
でも、出なかった。
いろいろ言い訳して出ようとはしなかった。
どうしてか?居心地がまんざらでもなかったからなんだろう。
そして....居心地の悪い周囲の者達が去っていった。
だから、法事をやっても誰も来ないということ。
自分はたまたまに出てしまった。
親と仲良くなかっために、家を離れてしまった。
で、出てみてビックリ....
自分に沁み着いていた”我が家の伝統”のようなものは、実は世の中では通用しない伝統(手法)だったから。
ただ....気が付いたのは随分と遅く....「やり直し」は効かない年齢になっていた。
なので、「同じ過ちは繰り返さない」程度を留意するにとどまった。
哀しいかなそれがここまでの自分の人生の総括だと思う。
あまり明るくない。
しかしながらその割には悲惨な暮らしにも今のところはなっていない。
いつもギリギリのところで家訓を裏切り、親の言うことを聞かなかったことが功を成してきたんだと思う。
間一髪で人並みの人生のはしくれに飛びついてきた。
そして今もなお、ギリギリとはいえどもはしくれをつかんでいる。
が、このような人生にもいよいよ終焉は近づいてきたかな?と。
もう少し頑張っていたかったが、じゃああと何年と言われると具体的に思い浮かぶわけでもない。
ましてや、この暑さの中では正直、もうボチボチ楽にやってゆきたい。
とか、思う。
まあ、「頑張れる限りは頑張る」という”気持ち”の基本方針は変わらないが、正直”結果”は頑張ったモノではなくなってきているので、責任は取る日は近づいていると思っている。
その処理も簡単なものではなく、秘密裏で、慎重で、つまり孤独で、一年はかかるだろうと見ている。
その後が第二の人生のスタートか?
つまり....
「責任を取る覚悟」
「後始末」
「その後の人生」
が代わる代わるに脳裏に浮かんでいる最中で、ただでさえ朦朧としているのに、余計に頭が回らない。
せめて気温が平年並みになってくれるといいんだが.....(苦笑)
深刻になるほど反省しているわけでもないんだが...あまり...肝心なことは話さなくなっている。
大して肝心でもないのに、重要でもないのに、やたら大袈裟に触れまわっていた先人達のDNAは必ず自分にもあるんだろうと...
それがひいては「無知であるからこその暴走」につながり、結果大騒ぎする割にはいつも何も残せないと...
そんなことを自覚するところから第二の人生はスタートした方が良いかなとか....
世の中には素晴らしい生き方や考え方をされる方が山ほど居らっしゃる。
そういう方々はそれにも足りずにさらに修練を積もうとされる。
のような世の中にあっては....
消えてしまった方が、
途切れてしまった方が、
途絶えさせてしまった方が、
人類の為になるということもあるんだと思う。
私自身は....そこから....
地味な一平卒で出来ることはないだろうかと...
とか、考える方が良いのではないかと思ったりしている。