小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

そりゃビョーキにもなるぜ

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努力や向上心や意欲や目標....いわば....大志...かな

と「心のビョーキ」の因果関係は少なくないと思っている。

 

不思議なんだけれども...

目標が高かったり、欲が深い割には...

努力はしない...人も居たりする。

それじゃ...よほどの偶然でもない限り...

「達成出来ない」

 

この状態はフラストレーションだ。

 

いや...誰しもが大谷君になれるわけじゃない。

小さなカラダなのに無理やり筋肉をつけて160kmを出そうとすることを...「努力」と言うのなら...

いつか...どこか...壊れる。

 

野球のみならず、どこの世界にも大谷君は居る。

藤井君だから中学生からプロになっても活躍できるのであって...

少しばかり将棋が強いぐらいで「オレも目指す!」となっていたなら...

今頃大変な目に遭っている。

勉強の世界や他の世界も同じだ。と思う。

 

一方で...そういった高望みを最初から放棄し...

普通の生活が出来るなら...「それで十分に満足よ」という人も居る。

「身の程を知る」

とも言う。

 

ならば....

「普通でありさえずれば...毎日満足」ということになる。

そういう人が心のビョーキになることは...少ない。

 

必死なゆえに...

心のビョーキになったヤツは何人も見てきた。

本人は「ぬるくない向上心による高貴な人生」を目指してきたかもしれないんだが...

単なる...「身の程知らず」...

だったかもしれない。

 

そこは....

冷徹な「結果」でしか判断出来ない。

 


本人はビョーキになってから「ビョーキになった」と言うんだけど...

そういう方々はビョーキになる前から十分にビョーキに見えたりする。

いわゆる...

「一生懸命さ」も...「必死さ」に見え...なにしろあまりの必”死”な形相は...

 

向上心は立派なんだけど...

それは裏を返せば...

欲望にキリがなくって...死ぬまで毎日「不満足」な状態を続けるために...邁進しているってこと?

 

そりゃビョーキにもなるぜ。

 

〇〇なヤツ

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泣き喚くことの多かった両親は...「心のビョーキ」までには至っていなかったかもしれないんだけれども...

躁鬱の気質は濃かったように思う。

 

ま、そうだろう。

感情の起伏は激しかった。

”泣き””喚く”からの”バカ笑い”からの...”体罰”なのだから...

 

安定しない両親の感情をとりあえず確認しておかないことには...

安心出来ない環境だった。

思い浮かんだことを発する前にまず...「様子を伺う」...いや、「伺い」は気が付かれてしまうので...

「様子を探る」ことが先行した。

 

「気を遣う」

のではない。

「おべっか」なんて言うはずもない。

機嫌が悪そうならば...「後回し」にするだけのこと。

マズそうな場合は...とりあえず離れる。

離れた方がマシ。

それが...”学習の成果”だった...(笑)

 

このように...

普通なら、思うままに感情を発散させて感情を豊かにしてゆく子供にすら...

「気を遣わせる」

のだ。

 

「感情をコントロール出来ない人」は。

 

「心のビョーキ」がどんなものなのかは知らないし、本人が悪いわけではないのだろうけど...

現実の結果としては...

感情のコントロールが出来ないことで...相手には...迷惑をかけ...心配をかける...

そしてそれはおそらく...自分のことを一番心配してくれる人に...あえての「気を使わせる」ことになる。

その人にはその人のことを考える時間が必要だというのに...

つまりは...迷惑をかけていることに...なるのだ。

 

しかも...

それなのに...止められない。

 

普通は....自分のことを心配してくれるような人に対しては....

迷惑をかける

のではなく...感謝をするか...上出来な場合...大切に守る...だ。

 

今のところ、その程度の判断は「出来る」のかな?

が、こんな矛盾だらけ理不尽な世の中だ。

いつ「出来なくなっても」おかしかない。

 

だから出来ているうちに...

この判断基準を定着させている。

 


「心のビョーキ」にはならない。

「心のビョーキ」だけにはなっちゃいけない。

そんなのになるぐらいなら...

 

「投げやりなヤツ」になったり

「自暴自棄なヤツ」になったり

「我儘なヤツ」になったり

「身勝手なヤツ」になって...

見放され、嫌われ、遠ざけられた方が....マシ。

そうなりゃ...心配をかけることはない。

 

いや、無意識のうちにもなってしまうかもしれないのだったら...

せめて意識のあるうちは...なりたくない。

 

ある種...「心のビョーキ」にさえならなければ...

後のことは....人様に対してご迷惑もおかけせず...

自分次第で「どうにかして行けるんじゃないの?」

ぐらいには思っている。

 

 

自己防衛本能?

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よく...「厚かましい顔をしている」とか...

「よくこんな時に平気な顔して...」と悪態をののしられるんだが...

まずはやめて欲しい。

人を面だけで判断するのは。

 

そして...そんなにも”中身”は図々しいヤツではない。

「心のビョーキ」...もしくはその前の「心の弱い」...さらにはその元の...「心の優しい?」素質を維持するがために....

人様にご迷惑をおかけするぐらいなら...

いっそ嫌われているぐらいの方が...面倒のないことも多い。とか...

 

落ち着く...安心と言ってもいいかもしれない。

そう、真面目に考えている。

 

これも父親を見てきたからかもしれない。

というか...両親とも...だ。

 

”普通の親”は子の前で泣くんだろうか?

自分は一度もない。

子供が怯え、不安になるだろうと思うから。

いつも馬鹿みたいに笑っちゃいないけど...

泣き喚くようなことは絶対しない。

どれだけ誤解を受けようが、誤解なら誤解のまんまで...「ま、いいか」...となる。

 

が、両親は違った。

自分も幼い頃は「泣き喚いて」いたんだと思うが...

物心つくようになり、あまりにも両親が泣き喚く日々が多いので...

自分までもが泣き喚けなくなった...のかな?

弟も居たし...

 

自分まで泣き喚くようになったならば...

家庭内はもうぐちゃぐちゃになって...

考えられる状態ではなくなってしまうように....思ったのかもしれない。

 

であるなら...泣き喚かなくなったのは...自己防衛本能か?

心のビョーキ

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正直「心の病気」というものはわかっていない。

自分では「なっていない」つもりだけれども...

わかっていないのだから...「なっている」のかもしれない。

 

そこらあたりはもう面倒臭いので...考えないことにしている。

嫌とか不安とかそんな次元じゃなく...

そんなことを考えている時間は何にもならないということで。

 

だから...鬱だとか心因性とか心療内科とか精神科とか...

そういうことにも詳しくない。

 

その詳しくない自分が言うのもなんだけれども...

詳しくなるつもりもないくせに...

「心のビョーキ」にはなっちゃいけないと考えている。

 

なんなら...

「心のビョーキ」にだけはなっちゃいけないことを...第一に考えている...かもしれない...ぐらいに(笑)

 

無知な領域だからと言って...

フザケているわけじゃない。

間違ってはいるかもしれないけれども。

 

そして...「なっちゃいけない」とホザいている割には...実はもう「なっちゃっている」かもしれないし...

いつの日か「なる」かもしれないけれども...

いや、だからこそ...

「なってはいけない」

を第一に考えている。

 

そう言えば...「大志がない」ことにも気が付かされたんだけれども...

そんな自分でも...

「心のビョーキにだけはならない」という目標はずっと持っていたかもしれない...

 

心のビョーキな人や

心のビョーキの専門家から見た場合には...

「嫌なヤツ」

と思われるかもしれないけれども...

「嫌なヤツ」でも構わないから

「心のビョーキ」にはなっちゃいけないと思っている。

 

やってりゃ成功してたのに(笑)

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コロナの不安が幻なのか?と思えるほどの...東京のきれいな夜景のテレビを見て...父親が...

「うちも東京に出ていればなぁ...もっと大きく成功していたかもしれないのになぁ...判断が甘かったのかなぁ...」

 

一見?しおらしく謙虚に反省している文章のようだけど...「そうじゃない」

 

「東京に出ていたならば」→「成功している」確率(期待値)を80%ぐらいに見ている文章なのだ。

むしろ相当に自惚れている。

住んだことがないどころか仕事でも東京と関係したことがない父親に東京の”獰猛さ”なんてわかるはずがない。

それを「知らない」ことを「知らない」のだ。

 

そんなお馬鹿な発想のベースの上に「一体何が成功出来る?」というもの。

 

しかも...「判断が甘い」は判断する能力があった場合に「甘く見積もってしまった」こと。

「判断する能力すら無い」場合には使わない。

 

このスーパー馬鹿な感覚が私のDNA。

一度ぐらい挑戦しているならまだしも...一度の挑戦もなくして、この軽口。

こんな浮足立っているヤツが成功なんてするはずがないのだ。

だから息子が何度もケツ拭きまくる羽目になっているのだ。

 

親父は「わかっていない」からナメた口を叩けるんだが...

逆に言えば「わかっていない自分」に向き合おうとはしていないということ。

 

....一緒。

残念だけれども親子一緒。

 

自分が親同様の「わかっていない人物」と確信するようになったのは...

ごく最近。

このブログを書き出した頃は....

親父同様の「わかっている立場に居る人物」だと思っていた。

 

もう昔の文章なんて見たくもないけれども...

多分...けっこう自信満々で書いていたと思う。

妙な屁理屈を。

 

旧家庭内での会話はいつもこの水準。

うんと凄いヤツ居るのに....なんか...この界隈で...

「私が一番」「我が家が一番」の自慢大会....

 

もちろん”事実”にほど遠い。

武勇伝ですらない。

願望、妄想、虚言の領域...

その証拠は現在”結果”で露出している。

 

嗚呼アホらしい。

もう一体何のせい?

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父方の家族からも

母方の家族からも

「自慢話」は聞いたことがあれど...

「自分の力が足りていない」という話は聞いたことがない。

 

政治のせい、行政のせい、社会のせい、総理大臣のせい、タレントのせい、親戚のせい、友人のせい、家族のせい...

はあっても...

「自分のせい」はなかった。

 

「一番肝心なところの考え方」が”逆さ”だから...

うまく行かなかったんじゃないだろうか?

 

じゃあ「自分だけでも」そのまた逆の方向に進んでみようかと...

気が付いたキッカケは至極単純。

 

「いつの間に太ってしまったの?」...

「どうしてなかなか痩せないの?」...

 

誰のせいでもない。

自分の、摂取カロリーが消費カロリーよりも大きいことが原因。

つまり原因は...「自分のせい」でしかない。

 

そして運よくダイエットにも成功した頃から...

「案外こうなんだろうなぁ...いや、もう、ほとんど全てのことが...”自分のせい”なんだろうなぁ...」と考える癖がついてきている。

 

そこから...親とは全く話が合わなくなって行く。

 

それで良かったと思う。

 

大した人生じゃないが...

今のところコロナでも...なんとか精神的な安定を保てている。

 

多分....何のせいにも出来ないので...

「しょうがない」

と案外サッパリ諦めているからだろう(笑)

 

 

自分で向かっているようなもの

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地位の高い人を妬んでいるわけじゃない。

逆...地位が低いには低いなりの理由があると思っている。

毎度言うように、決して”自虐的”とか”謙遜”なんかじゃなく...

”現実”として。

 

私が「下人」ということは...

私が育った家庭も「下人」の地位だ。

 

「現実」よりも、妄想、虚言を頼りに生きる。

よって自分に都合の良い「自己肯定」「自己満足」に安住する。

 

父親も母親もそうだった。

そして私もそうだったように弟もそうだった。

つまり...家族一体が「そうだった」。

ちなみに...父親方の実家も母親方の実家もそうだった。

 

よほどにか強いDNAがあるのだろう。

 

「夢想癖」とでも言えばいいのか?

吉本新喜劇のコントじゃないけれども...

散々殴られている”現状”があるのに...

「負けていないんだよ」...だ。

 

それは...「気持ちでは負けていない」...のとは違う。

「嫌な現実から目を背けた姿勢」だ。

 

「気持ちで負けないこと」が不要とは言わないが...

気持ちじゃ出血は止められない。

そういう意味では「気持ち」は「まやかし」となる場合は少なくない。

 

「気持ち」で「我慢」し、実際の処置は「怠る」ならば...

あっちからも、こっちからも出血するような事態になって...

「負けてはいないんだよ」...

は...「死」にさえ到達する。

 

結果...「気持だけ」の手当で修復したつもりは「何もしない先送り」と同じこと。

 

だからか...

父方の親族もやがて解散。

母方の親族もやがて解散。

こんな親戚一同ってあるの?

 

法事をやっても現在のわが一家と父母しか集まらなくなっている状況は...

それを表している。

 

「現実を見ないようにするから痛みを感じなくて済む」

んじゃない。

それは...「滅亡や衰退につながるサインを見て見ぬフリする」ということなのだ。

 

そして...自ら低位に赴くような行為になる。