コロナの不安が幻なのか?と思えるほどの...東京のきれいな夜景のテレビを見て...父親が...
「うちも東京に出ていればなぁ...もっと大きく成功していたかもしれないのになぁ...判断が甘かったのかなぁ...」
一見?しおらしく謙虚に反省している文章のようだけど...「そうじゃない」
「東京に出ていたならば」→「成功している」確率(期待値)を80%ぐらいに見ている文章なのだ。
むしろ相当に自惚れている。
住んだことがないどころか仕事でも東京と関係したことがない父親に東京の”獰猛さ”なんてわかるはずがない。
それを「知らない」ことを「知らない」のだ。
そんなお馬鹿な発想のベースの上に「一体何が成功出来る?」というもの。
しかも...「判断が甘い」は判断する能力があった場合に「甘く見積もってしまった」こと。
「判断する能力すら無い」場合には使わない。
このスーパー馬鹿な感覚が私のDNA。
一度ぐらい挑戦しているならまだしも...一度の挑戦もなくして、この軽口。
こんな浮足立っているヤツが成功なんてするはずがないのだ。
だから息子が何度もケツ拭きまくる羽目になっているのだ。
親父は「わかっていない」からナメた口を叩けるんだが...
逆に言えば「わかっていない自分」に向き合おうとはしていないということ。
....一緒。
残念だけれども親子一緒。
自分が親同様の「わかっていない人物」と確信するようになったのは...
ごく最近。
このブログを書き出した頃は....
親父同様の「わかっている立場に居る人物」だと思っていた。
もう昔の文章なんて見たくもないけれども...
多分...けっこう自信満々で書いていたと思う。
妙な屁理屈を。
旧家庭内での会話はいつもこの水準。
うんと凄いヤツ居るのに....なんか...この界隈で...
「私が一番」「我が家が一番」の自慢大会....
もちろん”事実”にほど遠い。
武勇伝ですらない。
願望、妄想、虚言の領域...
その証拠は現在”結果”で露出している。
嗚呼アホらしい。