小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

両面宿儺



 

自分を振り返ってみても...

「孤独」は色々な分岐点での決断で...重要なキーになっていたと思う。

"恐れの多い"幼少期は特に。

 

自分の父親は威張っている割には...”孤独”に耐えられない男。

いや、孤独に耐えられないから威嚇してまで人を離さないようにしていたのか?と今は思うんだが...

 

それぐらい多分...

”孤独”を怖がっていたので...

「一人ぽっちになってるヤツは寂しいヤツ」と必要以上に罵倒し、「一人でもひたむきに生きてる人間」を虚しいヤツと蔑んで...

毎日大勢で群れて飲み歩いている...ことが”自慢”だったんだろう...

”自分達”は「大盛り上がり出来る集団」であることを誇っているかのように...

 

だから...なおさら...だった。

自分にとっても...

「孤独」...なんて”状況”は、基本、悪であり、なっちゃいけない状態であるかのように...

インプットされてきた...のかもしれない...

その”畏れ”によって...「本当はやってみたいこと」....を、随分と遠ざけたりもした...ように思う...

 

「誰もやっていないこと」

に時間を使うということは...その時間「孤独になる」ということであり...

そんな時間ばかりになってしまうなら...

「ずっと孤独な時間」になってしまうから。

 

ま、幼稚な年代なので、それぐらいにしか考えられなかったのだろうけど...

すれば...

「みんなと居られない時間」

は...「大切な時間」..ではなく...「最も孤独な時間」になるので...

「自分だけがやりたいこと」

は...随分と...諦めた...ような...気がする...

 

特別な進学のコースを薦められても...

皆と一緒に入学できる公立の普通の学校を希望した。

部活もそう。

自分がやってみたいことは「他にあった」...としても...

”仲間”に誘われたことを”嬉しく思って”思わず...そっちに入っちゃうぐらいのもんだった。

 

が、ここまでの年齢になってくると...

人生大事な局面は...案外「孤」になる瞬間の判断なような気がしている。

 

数々の出発点は「入学」や「入社」のように言われるけれども...

その前に...

「卒業」があり「退社」があったりする。

 

そう...慣れ親しんだ「集団」から離れ...「孤」としての決断が求められる瞬間は...実は「そこから」だ。

いや、誰一人として「同じ人間は居ない」と言うのなら...

そこから急に...「”孤”になって考えるしかない瞬間」が訪れるのであって...寂しいとか虚しいとか「言ってる場合じゃない」ぐらい、大事な瞬間なんじゃないだろうか?

いわゆる...それこそが...「大人への階段の一歩」だったのかと...

 

それぐらい...「独りで...やらなきゃいけないこと」は数多くあって...重要で、となると...

「独りで居る時間」ってのは”孤独”なんかではなくって...ものすごく貴重な時間...でもあったりしないのか?ってこと。

 

なのに...あの梨泰院の事故を見てしまうと...

単純に...

「あんなんになってしまうぐらいなら...」

も少しネガティブな方面から...独り静かにノンビリと...現代社会に忌み嫌われている”孤独”を楽しむってのも...決して悪いことばかりでもないのかな?と...

思う?ってなオカシナことに誘導されてしまうのだ。

 

...「半分半分」という言葉が好きで、信頼もしている。

白があれば黒がある。

光があれば闇もある。

表もあれば裏もある。

 

これが現実であり宇宙の摂理で、人間はその中に住んでいる。

人間の脳内は「自分勝手な幻想の場」でしかない。

 

「こちらでしかない」

と言い切れる”横暴さ””傲慢さ”は...いつから身に付けた?

 

「どちらか一方の生き方が幸せ」

なんて断定出来るとしたら...

お前って...神様?なの?

 

ぐらいなことでもあると思うのだ。