小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

”みんな”と一緒。

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多分..."偏見"なんだと思う。

幼少のみぎりからの...

 

幼い頃のヒーローは皆孤独だった。

あしたのジョー、いやさライバルの力石徹でさえ。

星飛雄馬に至ってはチームプレーのはずなのに、結構”子供”なのに...”孤高の人”なのだ(笑)。

彼ら今ならコンプライアンス違反の人生だ。

 

いやいや大人にも居た。

木枯し紋次郎、木暮修、三島由紀夫太宰治芥川龍之介までイメージは孤高の人だ。

 

なんだか...人間って...そこを目指さなきゃいけない...って洗脳を受けてきているのかもしれない。

 

その後だ。

何があったのか知らないけれども...主役が「みんな」になってきたのは。

学園ドラマは「みんな」で夕陽に向かって走ったり、その中に「先生まで混じっちゃったりしちゃったり」

主人公すらもう何人にもなっていたり...

 

その方が「現実に近い」のかもしれないけれども...感化されるものがないというか...

そんな”みんな”に依存するような生き方で果たして人生やっていけるものなのか?ぐらいはいつも思っている。

 

独りが好きというよりも、独りで考えること、独りで決めるということ、独りで悩むということを大切にしてきたつもり。

アドバイスを受け、人への寄りかかりや相談もしたことはあるけれども...

結果には後悔するものが多かった。

 

当たり前の話なのだ。

その人が悪いわけでもなんでもない。

全く違った環境で育ち、考えてきて、同じ未来や方法を描けているはずがないのに

ひょっとしたらば本人にとって遠い異国の人からのようなアドバイスを受け入れてみたところで...

右手と右足が同時に動いちゃったりして...

うまくやれないのだ(笑)

 

たまたま現在大谷君が一番の成功者のような見本になっているんだろうけど...

彼のような能力があるのなら、どのような環境に入ってもうまくこなせるのだろうけど...

みんなが出来るような環境だったり

みんなが普通は居心地いいと思える環境だったりに

妙に違和感を感じることは...

別に異常でもなんでもないことのはず。

 

ならば...そこに罪悪感を持つ必要はない。

ということ。

 

今は学校教育もかなり変わったと聞く。

が、自分が体験してきた教育は。

「皆と一緒じゃない」と殴られたりした時代。

 

自分が悪いことも多かったので、恨みは一つも残っていないけれども

皆と一緒にならないと...殴られる...ってのは殴る方の神経の方が異常な世界のはず。

 

それが戦前じゃなく戦後の話でけっこうまだ最近まで残っている風習。

 

それが公の教育の場。

そんな国。

 

オリンピックをやりたいヤツはやればいいと思うけど、やりたくないヤツ見たくないヤツまで...

どうして応援しなきゃならないの?

しかも税金納めるために、ひょっとしたらばオリンピックの軍資金になっているかもしれない金を稼ぎ出すのに知らずのうちに必死なっている様かもしれないのに...

忙して応援している暇もないのは...日本人じゃないまで言われなきゃならないの?と

 

案外税金ちゃんと真面目に、そして結構入れているつもり。

それを怠っていたらば国民として非難されても仕方がないとは思うけど...

 

おかしいこと言ってるのはどっちだ?とは思う。

 

だから

みんな

となんて一緒じゃなくてもいいと、思えてしまうのだ。

この国だから...

 

「とくに」

「あえて」

 


かな?(苦笑)