小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

「独り」ではなく「一人」

f:id:okutavianus:20210201083417j:plain



 

なので...

「一人」を「独り」と表記することには...

作為的、恣意的、気持ち悪いモノを感じる。

 

「独り」と書かれただけで...

恵まれていない。

寂しい。

虚しい。

のレッテルを貼られたような錯覚に陥る人は少なくないように思う。

 

そんなことを思わされるほどに...

「悪い」状態なのかと。

 

悪いが...余程の場合を除いたら..

死ぬ時は大体、普通、ほとんど「一人」だ。

その瞬間幸いにも脳が働いていたらば...

多分...最後の会話の相手は...「自分」だ。

 

人間の最後は...

寂しく、虚しく、哀れなモノなのか?

「独り」なんて書き方は、マスを支配しているヤツらの「高笑い」のように思えて...

「本当に気持ち悪い」。

 

うんと前にも書いたと思うけど...

このような信条を持っているので...

 

「もう一人の自分」が「一番の友達」だと自分は思っている。

「もう一人の自分」に嫌われてしまっては人生生きてゆけない(笑)

「もう一人の自分」は裏切りたくない。

「もう一人の自分」に愛想をつかされたくない。

「もう一人の自分」に失望されたくない。

出来れば...死ぬ時には「よーくやったぞ、お前」ともう一人の自分に言っていただきたい。

 

が...ささやかな行動基準だ。

 

「大志」にはほど遠い。

だから、学校で「何が目標?」と言われても...こんなこと...言えるはずがない(笑)

全く具体的じゃないことぐらい...百も承知している。

 

でも...自分じゃものすごく簡単で...即座に判定できる指標なのだ。

 

あいまいだけど...

全然難しいことじゃないから...誰にでも出来る。

自分でも...出来そうだ...から...届きもしない「大志」なんざには目が行かないということ。

 

ゆえに...「自分と仲良くする時間を大切にする」のは...有意義な時間なんだよ...と思っているのだ。

確信を持って。

 

自分の心の奥底のか細い声なんて...

人との会話にかき消されてしまうだろう。

ましてや「大勢の中」なんかに居たりすれば...

「聞こえなくなってしまう」。