小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

集団

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初めて「蓮画像」を見た時は...

瞬間的にこみ上げてきた、”おぞましさ”にも近い”気持ち悪さ”がかなり残って...

「勘弁してくれよ」

だった。

 

笑いごとではなく...「憎悪」さえ思い浮かんだ。

 

世の中に存在する”猛毒”を持つ生物にはそんなのが多い。

一見して「気持ち悪さ」が伝わるから...ある意味「気が付いたヤツ」が救われる。

自然の中での”振るい分け機能”だと自分じゃ思っている。

 

幼い頃はそんな猛者に勇敢に歯向かって行けるヤツがヒーローだと思っていたりもしたけど...

今じゃ...「普通感じること」...に気が付かないほどに鈍感なヤツなんて...複雑怪奇な現実社会で「通用するわけがない」を信じている。

 

だから...あれほど瞬時にも「鳥肌が立つほどに気持ち悪くなった」のはそのような”防衛反応”を呼び起こす”何か”があるんじゃないか?という興味にはつながった。

 

思い出した。

スキーのリフト待ちの地面に散在する「ストックの跡の穴の集団」も嫌いだった。

当時はタバコを吸っていて、吸い殻を捨てようと(今じゃ厳禁!ま、当時も厳禁だろうけど)地面を見た時には、周囲の絶景もヨソに気持ち悪くなる。

 

大学受験もそう。

会場入りは「バラバラ」なので気が付かないが...

終了後の退場時、特に地方で「バスしかない」となると「大勢のバス待ち行列」がデキる。

 

多分...あれは...自分にとっては「蓮画像」と同じで...

「耐えられない」のだ。

10km歩いて混雑していない「電車に乗る」は定番だった。

 

なのに...進学した高校は当時群制で、遠方の方に振り分けられてしまっていたので...

「満員バス通学」が初日で耐えられず、急いで免許を取った(笑)

 

理由なんか知らないし、わからない。

ただ...「気持ち悪い」のだ。

わざとじゃなくて。

 

ちなみに....山盛り、満タン、満員....どれもこれも気持ち悪い。

そもそもに...

「そんな必要あるのか?」ぐらいに思えてしまう。

 

学食もそう。

誘って...連れだって...ということはない。

頑なに「しない」というルールがあったわけじゃないが、そういった欲求が沸いてこないので自分からすることはない。

誘われることをわざわざ断ったりはしないけれども...

誰にも誘われなきゃ一人でメシ食うだけのこと。

何十年とそのスタイルなので...「独りメシ」が空しいとか寂しいという評価がわからない。

 

最近になって「独り焼肉」なんて聞くんだけれども...

独身時代はワープロ(当時パソコンではなかった笑)持って、新聞もって、週刊誌もって、テレビのついている焼き肉屋での「独りメシ」なんて...

誰にも邪魔されない楽しみでもあったぐらいなのに...今さら?

 

ある程度の都会で仕事をしているので...

一日中誰とも会わない、言葉を交わさない、なんて無い。

逆に望んでも無理。

 

なのに...なんでそれ以上に「誰かと一緒」になろうとする人が居るのかは...自由だろうけど不思議。

 

様々な趣味も

大体独りで始めている。

「初心者なんですけど」

といって道具を揃えて始めている。

超恰好悪かったし、恥ずかしかったけれども...

「誰かと一緒」じゃないと始められないってことのが「おかしいだろ?」とは今でも思う。

 

やりたいのか?

やりたくないのか?

は人ではなく「自分に」相談するべきことだ。

 

まあ自民党議員さんのように実入りのいい有意義な会食のためには「みんなと一緒」も必要なんだろうと思うけど...

昼飯までもを「誰かと一緒」だなんて...

一体いつ「一人で考える」んだろうと不思議でしかない。

 

大勢居ればもちろん情報量が多くなるのはわかる。

が、思考や決断は「一瞬?」

博打かよ。人生が。

情報を得ることばかりじゃなく、とことん考えることも、いや、の方が、か、ぐらいに重要じゃないかと思っている。

 


あっ、ひょっとかしたらば...

「一人が寂しい」んじゃなく

「みんなと一緒じゃないと落ち着かない」方が...寂しいことだったりして...