そこへの「ソロキャンプ情報」だったので、タイムリーであったし、非常に面白かった。
そういやそうなのだ。
「みんな一緒」から....「独りで考えたい」人が出だして....
いつしか....「独りで生きて行け」になっている。
「学校に馴染めない子は”学校に来ない”という手もある」
な~んてことは40年前には言われなかった。
「みんな一緒」であるためには...
「無理しても出校させて”一緒に”授業をうけさせる体」が必要だったから。
自分は孤独で生きて行けるほど強くはないと自覚していたが、一方じゃあ集団で居ることの息苦しさも割と早くから感じ始めていた。
小学校時代は登下校さえも分団行動であり、昼食も一斉給食、放課後も集団部活と、独りが許されないシステムに居たので、気がつく隙も無かったのかもしれないが....
中学時代から察知し始めたというか....
好まないのにニキビが出きてきたように”お独り様”思考は登場したと思う。
当時の学校教育は、やたら「集団」を推した。
今思えば明快なんだが....きっと教育上の”便利”というものはあったと思う。
一つの指示で45人が、50人が、同じ方向を向いてくれるならこんなにも楽なことはない。
さすがに戦争アレルギーは出ていたが....それと礼儀やら道徳やら姿勢は切り離されて....
国家にも相変わらずの「集団好き」が残っていたのは....
戦後復興に便利だった。
というのはあるだろう。
が、それは否定しない。
否定できない。
あの焼け野原から「独り独りで頑張りなさい」
だったなら.....
今頃完璧な植民地であり、いや、植民地としてさえも見放されて.....
とんでもなく貧乏な国になっているか?
違う国の占領を受け、全く違う国になっていたのだろうと。
どんな思想だかは想像できないが.....
相当に貧乏な国として。
なので....
「集団」のメリットはたしかに「ある」と思うんだが.....
それは鰯だとかハイエナとか蟻だとかほどではなく
人間の場合はかなり意図的にその時の支配者が
便利に使うために推奨してきた性質でもあるんじゃないか....
とは思う。