小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

節目

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コロナになんて負けないように平気で居るつもりなんだが...

異常に長い梅雨の影響もあってか?

脳内が随分とジメジメしているかもしれない。

 

物事は「切った張った」で単純に済むわけがないことぐらいは知っている。

が、かといって...

どうでもいいようなことを回りくどく考えていても仕方がないわけで...

このところ...どうにもその傾向が強い。

 

いや、現実の世界ではコロナというのに、他事で、生涯にないぐらいに忙しく、おまけにミスが許されない状況なので、帰宅後呆けてしまっているほどだから...

きっと「脳に休息を与えている」んだとは思うんだけど...

 

それにしてはちとだらしないかな?

 

そんなこともあって...

ちょっと気分転換に戒めたい。

 

「ここまで諦めなかったから...達成することが出来たんです」

という立派なお言葉を聞くことは多い。

 

確かにそうなんだろう。

難しい試験など、三浪どころか四浪、五浪の末に...なんてのも聞く。

むしろ...

一年、二年で諦めてしまう方がどうにかしている...と。

 

が、世の中皮肉な構造で、そういうことばかりでもない。

大前提として...人間には寿命というものがあるのだから...「死んでからの努力」はあり得ない。

期限は「生きている間」だ。

 

例えば現在大流行しているコロナだって...

流行収まった10年後まで努力に努力を尽くして...「最高のワクチン出来ました!」としたところで...

多分そんな”最高”誰も喜ばない。

 

そういや学生時代にこんなヤツ居た。

麻雀仲間なんだが...出足悪く序盤はいつも負けている。

麻雀好きは徹夜好きのように思われてるフシもあるけど、そんなこともない。

次の日に用事があるなら尚のこと。

 

「さっさと終わろうか?」

と毎度伺うんだが...毎度前半負けているソイツは納得しない。

「...もう半チャン....」

これで結局朝帰りに近くなっていた。

でもって...みんな眠たいので...いつしかそいつに勝ちが集まって...

案外負けずに帰って行くヤツが居た。

という話。

 

「諦めずに頑張る」などと言うと聞こえはいいんだけど...

”節目”を自分だけが無視して頑張り続けることは...見方を変えた時には「とても我儘なルール変更」でもあったりするんだろう。

 

陸上競技なんかもそう。

ゴールのタイムは悪かったくせして...ゴール後に思いっきり走って...

「アイツまだあんなに走れるのか?」を見せつけるのは...

コントでもなければ...実に”姑息な負けず嫌い”だ。

勝負は...

「ゴールまで」だと決められているのに。

 

自分の父親はその典型。

あまり才能ないのか?よく負ける。

あまり勝つことがない。と言った方が正解か?

だから...

負けた後を繕うことに余念がなかった。

 

「負けを認めたくない気持ち」

はわからんじゃない...が、誰の目にも「負けていること」が明確なのに...

それを決着の後に打ち消す努力は...

「誤魔化し」だ。

 

それが通用したと思うなら(ま、本人だけだけど...)

バタバタと眠気に倒れていく徹マンで独り勝ちするのと同様に、試合後に誰も居なくなった競技場で

「俺はこんなにも出来るヤツなんだぜ」

と吠えているのと一緒だということ。

 

コロナ騒動もあって、まずは一回目の人生のゴールとしていた時点を超えてあっという間に一月半が過ぎた。

 

一つの節目は終わったのだ。

それ以前を懐かしむことぐらいは許されても良いのだろうけど...

今からどれだけ努力したところで...

「その節目前の成績は書き換えられない」ことは絶対。

つまり...

「もうどうにもならないこと」を考えている暇があるのかね?

ということ。

今からの努力は”これから”にしか影響しない。

 

ゴール直後以前からも

既に次の節目に向かっての行動は始めても居るんだが...

目標も時限も決められていない何だかわからないところに遮二無二向かっているので...

混沌としているのかな?

 

まあ段々に形が見えてくることに期待したい(笑)