小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

誰もが主役というのはそういうこと

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選択する際には...

自分なりの作戦というか、基準というか、ものさしというか...

判断の条件としているようなものがある。

 

たくさんあるんだけれども...

常時頭の中に入っているのは...

一日は24時間。

カラダは一つ。

なので世の中は無限ではなく、有限。

自分一人の力で出来ることには限界がある。

それは能力ではなく、宇宙の物理がそう決めている。

ってところだろうか...

 

ひと昔前の根性精神論なら...

「最初っから諦めるな!」とドヤされることだろう。

 

それにも同感していた。

だから...実は...最初っから

「諦めなければならないこと」

いや、「叶わないだろうこと」にも「ひょっとしたらば...」と色目を使い...

散々に無駄な時間を浪費したように思う。

 

「いやいやそれも実は良い経験にはなっていて...」

と、どこまでも擁護していただけるような方々も居るんだが...

”無駄な割合”が少なくないのも確かだ。

 

すっぱり「諦めてしまって」

他に向かった方が良かったってことは

山ほどにある

 

そう。むしろ、不要なことには振り向きもせず、バッサバッサと切り捨てて行った方が、「モノになることに集中できる」ということ。

 

その理論を具現化してくれている人が...ピアニストの清塚さんじゃないだろうか...

おしゃべりも上手なので、器用そうに思われるが、

全ては彼が「異常なほどにピアノが上手い」から。

 

お利巧なお母さまが

「その一点」

で育てられたのだという。

 

博打じゃない。

お母さまはピアノどころか音楽が全く駄目だったと聞くが

「あれもこれもじゃどれもこれも成せない」

という宇宙の物理を会得されていたからだと思う。

 

ただ...

それは”素質”あってのこと

”環境”も備わっていてのこと

中途半端では本当の博打になってしまう。

 

普通は「一本に絞った」ぐらいで、結果は出せない。

高校野球を見ていてもわかる。

”失敗”に共感してしまうほどに、成功者の数は少ない。

最後まで負けないのはチームとしても4000分の1の確率であるし、その中のレギュラーで主力となれば...

そんな人がプロに進めばまた、厳しい洗礼にもまれ、「成功者」となれるのは一体どれほど居るものなのか?

テレビに映る野球選手は山ほど居る...ように”見える”ので、多くが成功しているかのように思えてしまうのだろうけど...

大半以上にほとんどは氷山の見えない部分なのだ。

 

私が宇宙の物理を理解しながらも...

「一本に絞れない」

のはそういうこと。

 

もともとに

「事を成せない」能力だということ。

 

いや、失礼ながら大概がそうなのだ。

方法や質や方向の違いこそあれども...

自分が何が得意で、何が取柄で、何が出来るのか?下手すりゃ何が好きなのかさえわからないままに...

ともかく金を得るために「必死でしがみついて行く」しかないわけだ。

 

若い頃は多いに迷った。

裏返せば宇宙の物理の真理を信用していなかったんだろう。

「頑張れば誰でも成せる」

なんて感情的な言葉にそそのかされて随分と無駄足踏んだように思う。

いっそのこと

「大したことないヤツ」

とハッキリ言っていただければ、もう少し早くに改心したものを(笑)

 

今は...

「これは無理」

「それも無理」

「多分そっちも無理」

バッサバッサと切り落として

なんとかなりそうなもののみ残している。

ケチ臭い自分は「諦めきれずにどうせ余分なものまで残すのだろう」から。

むしろ切り捨てることに前向き(笑)になっている。

 

そんな毎日。

 

なんだかオカシな状況だけれども

あっちにもこっちにも妙な希望(願望だろう)を抱いて

右往左往していた頃よりも

うんと不安が少ないのは...

 

感情的な言葉にそそのかされて

ケツが宙に浮いているわけじゃないからだろう。

 

映画も良い。

漫画も良い。

小説も良い。

でも、自分は作者が都合よく想定したその中で生活しているわけじゃない。

 

魑魅魍魎と言っちゃあ失礼だけれども...

全く思惑の違う70億の人が住む地球の中で活動しているわけで...

74億9999万9999人の人から見たらば...

「脇役」

だということだ。

 

主観的というのはそういうこと。

多分75億の人は皆そう思って生きている(笑)