小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

半分、とろい

f:id:okutavianus:20210124162946j:plain



 


その点日本の教育には問題がある。

と、私みたいな者が言い切る立場にはないんだが...

”ようには”思う。

 

自分の錯覚かもしれないんだが...

なんだか「全教科とりこぼしなく出来る」ことが求められてきたような気がする。

 

性格や行動の評価もそうで...

「ここが良ければ」全ては許される...

ってな評価はまずなくって...

「良いところ...」よりも、とりあえず「見えるような悪いところ」はなくしてね。

という感じ。

 

「出来ないこと」や「出来ていないこと」の方が...

気にされ、クローズアップされる「評価」だった気がする。

遠い昔だけれども...

 

自分に関して言うならば...

ただでさえ自惚れやすい性格なので...

それで「丁度良い具合」だったと思うんだけれども...

見方を変えるならば...

「(子供よりもは)デキる大人達による重箱の隅をつつくアラ探し」

のような教育...でもあるんじゃないかと...

 

そういう環境に長居するなら...

そりゃあ「出来ること」よりも「出来ないこと」が気になる人間に”育つ”のも当然かも。

 

さあ...それは一体誰の尺度?

そして...それで...正しいの?

私はそれも「あり」と思うんだけれども...

教える側の人達が語る表面上の「理想」とは随分かけ離れているような気がする。

 

そもそも...よく考えてみれば...

「全教科とりこぼしなく出来る」

なんてもんのすごいことだ。

超人だ。超人。

 

そもそもに...”教える側”の先生とて...

中学にでもなれば「教科ごとの担任」なんだから

教わる方が「全教科出来なきゃならない」ってな使命感に燃えるのもおかしな話だ。

 

いや...未来が固っていない成長途上、吸収過程だからこそ

「何が得意になるのか」

わからないからの...「全教科」であることはわからんじゃないが....

 

先生ですら「私が全教科教えます」にはならないので...

妙な話

だとは思う。

 

その「教え」が忠実に浸透していたのか...自分は

「出来ないことがある」「知らないことがあった」のが...割と許せなかった方で...

出来ないことを見つけては

「苦手をなくす」ことに前向き?になって

「出来るように」と「出来ないこと」にムキになっている時間に...

「本当にやるべきこと」を見失ったりしていたのだったりして...

あんまり(笑)えない...

 

そんなことなら...

「全部できなくたっていいじゃない」

と...”余分”を「諦め」...

”その分”を一番大切にしたいことに「もっと力を注いで」いても...

よかったんじゃないかと...

 

思うわけですね(笑)

 

いや、「後悔」ではなく...

毎度言うように...

「半面」だけの正しさにあまりにも自信を持たれても...

なんだかそれは

「もう半面」に盲目過ぎてるんじゃないかと...