その点日本の教育には問題がある。
と、私みたいな者が言い切る立場にはないんだが...
”ようには”思う。
自分の錯覚かもしれないんだが...
なんだか「全教科とりこぼしなく出来る」ことが求められてきたような気がする。
性格や行動の評価もそうで...
「ここが良ければ」全ては許される...
ってな評価はまずなくって...
「良いところ...」よりも、とりあえず「見えるような悪いところ」はなくしてね。
という感じ。
「出来ないこと」や「出来ていないこと」の方が...
気にされ、クローズアップされる「評価」だった気がする。
遠い昔だけれども...
自分に関して言うならば...
ただでさえ自惚れやすい性格なので...
それで「丁度良い具合」だったと思うんだけれども...
見方を変えるならば...
「(子供よりもは)デキる大人達による重箱の隅をつつくアラ探し」
のような教育...でもあるんじゃないかと...
そういう環境に長居するなら...
そりゃあ「出来ること」よりも「出来ないこと」が気になる人間に”育つ”のも当然かも。
さあ...それは一体誰の尺度?
そして...それで...正しいの?
私はそれも「あり」と思うんだけれども...
教える側の人達が語る表面上の「理想」とは随分かけ離れているような気がする。
そもそも...よく考えてみれば...
「全教科とりこぼしなく出来る」
なんてもんのすごいことだ。
超人だ。超人。
そもそもに...”教える側”の先生とて...
中学にでもなれば「教科ごとの担任」なんだから
教わる方が「全教科出来なきゃならない」ってな使命感に燃えるのもおかしな話だ。
いや...未来が固っていない成長途上、吸収過程だからこそ
「何が得意になるのか」
わからないからの...「全教科」であることはわからんじゃないが....
先生ですら「私が全教科教えます」にはならないので...
妙な話
だとは思う。
その「教え」が忠実に浸透していたのか...自分は
「出来ないことがある」「知らないことがあった」のが...割と許せなかった方で...
出来ないことを見つけては
「苦手をなくす」ことに前向き?になって
「出来るように」と「出来ないこと」にムキになっている時間に...
「本当にやるべきこと」を見失ったりしていたのだったりして...
あんまり(笑)えない...
そんなことなら...
「全部できなくたっていいじゃない」
と...”余分”を「諦め」...
”その分”を一番大切にしたいことに「もっと力を注いで」いても...
よかったんじゃないかと...
思うわけですね(笑)
いや、「後悔」ではなく...
毎度言うように...
「半面」だけの正しさにあまりにも自信を持たれても...
なんだかそれは
「もう半面」に盲目過ぎてるんじゃないかと...