小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

変態

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時々登場させる加藤諦三先生からの影響で、「血縁者からの無意識の支配下から離れること」

は「決して親不孝なことではない」こと

を知ったんだけれども...

奇しくもその作業の末に...

「お前にもそんな”親”のDNAが宿っている」

に”行き着いた”わけだ。

皮肉にも。

 

幼い頃から父親のことを...

好きにはなれなかったものの...

超苦労人、超人、偉人、近所で有名...な人物だとは思っていたんだが...

それとて...

世間が狭い時期で、情報源が”父親”に絞られていた”だけ”

のことであって...

年齢とともに視野が広くなってみれば...

簡単にバケの皮が剥がれて行く様はここでも何回も書いてきた。

 

が、そのブーメランは見事なほどに自分にも跳ね返ってきた。

ということだ。

あれやこれやと振り返ってみたらば...

「俺も...そう」

じゃないの...と。

 

幼少の頃より...「あんな人間は大嫌い」なので...

世界中で「あんな人間だけにはならない」と誓ってきたのに...

流石にタイプはちょと違えども...

違ったタイプの「あんな人間」ぐらい似たところがあるのだ。

 

流石に”二代目”は醜態をも見聞してきた経験ももっているので、父親ほどの失態には至っていないように見せてきたんだが...

どうにも”根源”は同じであるとしか思えないほどの...無意識のうちの反応...

のような気がしてならない...無責任な感想だけど...

 

「振り返り」に浸っていられるものなら...

今でもとめどもなく...

溢れ出てくる。

収集がつかなくなるので、ほどほどにしているが...

それが...”自惚れの屍”だ。

 

これも何度も書いてきているが...

”自惚れ”は本当の自信でも行き過ぎた自信でもない。

「間違った自信」。

なので過信というよりも誤信と言うべき類のものだと思う。

 

そこが...

父親と...

ウリ二つ。

 

ステージの広さやレベルに違いはあれども...

町内で少しデキる程度で...

”大成功者”であるかのように舞い上がってしまう...

クラスで一番であるぐらいで...

オリンピックに出ている選手に共感出来るつもりになってしまえたり....

東大卒の人の大変さもわかるつもりになっていたり...

出来てもいない、なってもいないことまで...

「やれば出来るんだから」

と思えてしまっているのだから...

始末に悪すぎる...のだ。

 

当時は自分じゃ気が付かなかったし、周囲にも「たいそうな自信家」と思われていたんだけれども...

それは多分....大きく違って....

「できない能力」

「持てない自信」

を「大きな鎧」を見せることで隠そうとしていたんだろう。

 

本当に腕前があって

本当に能力があって

本当の自信を持っているなら

 

極端に言えば...

阿保のフリしていようが、

馬鹿だと思われようが、

能無しと誤解されようが...

 

「どうでもいいこと」

 

であって...

 

むしろそんなことを気にしたり...

繕うことに時間を割いたりするよりも...

 

「結果が出せないこと」

 

の方を気にするんじゃないだろうか?

 

「真実の結果」よりも「評判が気になる」ということは...

そういうこと

なんだと思う。

 

消去法的思考

は編み出した

というようなものではなく...

 

能力もない、努力も大して出来ない、精神力にも劣る...

等身大の自分は「そんなもんだった」からこそ...

つまりは「力のない生き物」であることを確信したからこそ

「それでもどうやったら生きてゆけるのか?」

という思考の繰り返しから

構築されてきた...

昆虫や弱者とみられる生物に多い...変態...それ同様の...

”思考的変態”の結果のように思う。

「弱いからこそ」身に付いた”生きてゆくための要件”だ。

 

ま、いわゆる”ド”がつくような...間違ってももう一方の変態ではない。