努力や向上心や意欲や目標....いわば....大志...かな
と「心のビョーキ」の因果関係は少なくないと思っている。
不思議なんだけれども...
目標が高かったり、欲が深い割には...
努力はしない...人も居たりする。
それじゃ...よほどの偶然でもない限り...
「達成出来ない」
この状態はフラストレーションだ。
いや...誰しもが大谷君になれるわけじゃない。
小さなカラダなのに無理やり筋肉をつけて160kmを出そうとすることを...「努力」と言うのなら...
いつか...どこか...壊れる。
野球のみならず、どこの世界にも大谷君は居る。
藤井君だから中学生からプロになっても活躍できるのであって...
少しばかり将棋が強いぐらいで「オレも目指す!」となっていたなら...
今頃大変な目に遭っている。
勉強の世界や他の世界も同じだ。と思う。
一方で...そういった高望みを最初から放棄し...
普通の生活が出来るなら...「それで十分に満足よ」という人も居る。
「身の程を知る」
とも言う。
ならば....
「普通でありさえずれば...毎日満足」ということになる。
そういう人が心のビョーキになることは...少ない。
必死なゆえに...
心のビョーキになったヤツは何人も見てきた。
本人は「ぬるくない向上心による高貴な人生」を目指してきたかもしれないんだが...
単なる...「身の程知らず」...
だったかもしれない。
そこは....
冷徹な「結果」でしか判断出来ない。
本人はビョーキになってから「ビョーキになった」と言うんだけど...
そういう方々はビョーキになる前から十分にビョーキに見えたりする。
いわゆる...
「一生懸命さ」も...「必死さ」に見え...なにしろあまりの必”死”な形相は...
向上心は立派なんだけど...
それは裏を返せば...
欲望にキリがなくって...死ぬまで毎日「不満足」な状態を続けるために...邁進しているってこと?
そりゃビョーキにもなるぜ。