小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

下山



 

ギックリ腰になる前からも、本当は自分じゃ気が付いていた。

「走る」ことでさえ、もう「思いっきり」は走れないことを。

ただ...やっぱり”否定したい”のだ。”そんな自分”は。どこかで。

 

自分の中では8年前からだろう。

ささやかなトレーニングをしているので...日々の衰えは手に取るようにわかった。

もちろん何度も「戻ろう」とは思ったけれども...

波のように繰り返す振幅あれども...1年たってみれば...2年たってみれば...”確実に”衰えているのだ。

 

歳をとってギンギンに視力が向上するヤツなんていない。

髪の毛が生えて生えて仕方がないってのもない。

生物が避けられない死への道なので、どうしようもないことなのだ(笑)

 

昔このブログで「下山」という表現でたくさん書いてきた。

最近同様の主旨のブログを見た。

(他ににも同じように思う人居るんだ...)

 

大きな目標を持った人やお金持ちなら”別”じゃない。

人間は生き物なので、赤ん坊で生まれて成長して、”衰退して”丈夫であったとしても...機能は衰えて...やがて”死ぬ”のだ。

なんの精神的高揚かはしらないけれども...「自分だけが200年生きる」ことはない。

 

ま、まさしく登山の様。

それとも...頂上で死ぬのが美しい?

いや、残念ながら...見事に頂上に辿り着いたとしても...

そんな狭い場所...長く居られるはずがないだろう。

まっ、一瞬

ってとこ?(笑)

 

頂上に「しがみつこう」としている人は...外からは「わかりやすい」かな?

が、しがみつけているのかな?

ひょっとして必死な形相でブラさがっている様?

そんな「不自然なこと」...うまく行くものなのかな?

精神的にどう?

 

頭でっかちになった人間は...自分が蟻や蚊と同じ地球上のはかない生き物だということを忘れている。

というか...軽んじている。

自分達が作り出した鉄の塊の自動車にちょっと当てられればあの世行きだ。

所詮それっぽちの力しかないのに。

 

一生懸命生きることは大事だと思うけど...

一生懸命やれば必ず結果につながる...なんてのは思い上がり。

 

少し...そういったことが...理解できるようになってきたかな?

手を抜く...

というよりも...もう「思いっきり走る」ような努力は出来ないのだから...

出来ないことにいつまでも執着しているより...

「歩いて満足出来る何かを」見つけられるように...

 

もとより...災い転じて福となる...というか...ものごと「良い方に」考える方なので...

今回のギックリ腰も

「もうこれまでと同じような努力では結果を出せないどころか身を滅ぼしてしまうのよ」

という神の思し召しがくだった...と思っている。

 

腰はいまだちくちく痛いんだけれども...

なんだかサバサバもしている。