う~ん....
アッチも閉鎖、コッチも自粛...
何処にも行き場がねー
話は突然変わるけど...
信長だの秀吉だの家康だのに代表される人々は...
意欲強くて...向上心高くて...いわゆるクラーク先生の好きな「大志ある人々」なんだろう。
それは...理解出来るんだけれども...
じゃあ...ヒトラーやムッソリーニやスターリンも「大志ある人々」だね。
...それは...「違う」...と言うから「大志」なんて信じられない。
「善・悪」は誰がジャッジしている?
どんな見識で?
道徳?主観?哲学?....それとも国家に都合の良い教育の影響?
嫌われ者?とて...ヒトラーやムッソリーニやスターリンが、純粋な”単独”でその”地位”までノシ上がれるはずがない。
ただ...”嫌われていた”...かもしれないけど...”応援者”は居たわけだ。
むしろ「見たヤツ」の利用の仕方だ。
創始者の本人達よりも...「見て判断(利用する)する奴ら」の良心にかかっている。
今の日本は結構わかりやすいんじゃないのか?
信長だの秀吉だの家康が「正義の英雄」で...
ヒトラーやムッソリーニやスターリン以上に残酷で冷血....ではなかった...とどうして決めつけられる?
それぐらい...「大志」なんてものの使われ方は...誠に都合が良い。
だから信用しないのだ。
そもそも....世の中そんなにも大志ある人だらけになったなら
...必ず争いになる。
クラーク先生は日本中を向上心の競い場にして...
争いだらけの国にしたかったってこと?
あっ、確かにそれもあるかも。
そのスキに乗じて....
「大志」ってのは競って、争って、相手を蹴落としででも....
「自分の願望を叶える」
ってことだよね。
「100人でノーベル賞を取りましょう」
って.....言わないよね。
それは...栄冠を...「独り占めしたい」って欲?
強欲が大志?
「お世話になった人に感謝したい」
なんて”言葉”じゃなく...
いつの日か....受け取った金メダルをバラバラにして...
お世話になった人に実際に配って
「喜びを共有」するようなチャンピョンが出てきたならば...
少しは「大志」ってのを考え直してみるのかな?(笑)