小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

夕陽に向かって走って済むなら事は簡単

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毎日のようにねちねちと理屈ばかり考えていて

重苦しい奴だな

と思われても全然構わない。

 


現実の世界では誰にも相談していないので、

多分...重苦しい奴ではない。

 


というか....多方面を巻き込むので....おいそれと漏らすわけにもいかない

 


そりゃあ漏らしてしまえるなら

一瞬の気持ちは楽なんだろうけど

その後の収拾のつかなさは....見えている。

 


普通に慎重なのだ。

 


そして.....このように考えることは無駄ではないと確信している。

 


正直....少し時間を使い過ぎているなとは思うが....

今現在の段階じゃあ、やみくもに具体的な行動を進めるよりも

まずは”よーく考えること”=”足元をよーく確認すること”でもあり

その方が....「足を踏み外さないためにも」

重要だと思う。

 


それは...身体的な傾向とも似ているのかもしれない。

若い時や上り調子なら....

「ここだ!」

という時にタイミングよくジャンプしたり、無理することが飛躍につながった....かもしれない....

が...

今更”飛躍”なんてない。

何度も言うように”若い頃のジャンプ力を過信して”

跳ぼうとするなら谷底へ真っ逆さまだ。

いつまでも自惚れているんじゃない。

 


十分に

十二分に

足場を調べて、固めて、それで一歩ずつ降りればよい。

”一歩ずつ”じゃあ許されない場面も出てくるかもしれない。

それでも....

絶対に慌てるべきではない。

 


そもそもに....

そんなに積極的に降りて行こうとしなくても....

そこで待ってるつもりぐらいでいいんじゃないか?

どのみち....いずれは下る。

今よりももっと下る。

さればそんなに急ぐ必要はないというもの。

 


それよりも....

「考えることだ」

ということ。

 


で、案外すでに実行に入っていることもあるんだが....

それでも今は毎日毎日面倒臭いほど考えている。

 


考えることを若い頃拒絶してきたからなのか?

案外飽きたりはしていない。

「考えれば考えただけのことがあるという発見」?もあったりする。

教師達が....

「よく考えてみなさい」

と言った理由が今わかる。

 


若い頃見た青春ドラマでは

思慮深く考える生徒が馬鹿にされ、

考えることを放棄して夕陽に走ってりゃスッキリするような

主人公が格好いいとされていたけれど....

そんな当時は見る側も....

”考えること”が面倒臭くてやっかいだから逃げていた時代だったんだろうか?

その幼稚さを隠すように夕陽に向かって走っていたんだろうか?

 


悪いが....人間社会とて半世紀も経ったなら

そんな幼稚な対応ではやっていけないということだ。

 


道は下り坂であっても

そんな世の中の変化ぐらには

ついていかなきゃならない。