小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

喜怒哀楽

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あまり...良い予感がしない。

平昌オリンピックで盛り上がったところに水を差すようで申し訳ないんだが...

そうなんだから仕方がない。

 


いや、悪いことが重なった時など皆言っていたはずだ。

「悪いことばかりじゃないよ、良いこともちゃんとやって来るからね。」と。

なら、「良いことばかりは続かないよ、悪いことも必ずやってくるからね。」にもなるはずだ。

 


昔は青春ドラマというようなジャンルがあって、森田健作さんやら中村雅俊さんやらを主人公とした明朗快活劇のようなものが流行した。

その主人公は大体喜怒哀楽がハッキリしていて、言動に裏表がない。

つまり、とても正直でわかりやすい人間像に設定されていた。

いわゆる親しみやすく愛されるタイプ、ということだったんだろう。

 


が、そりゃあドラマの中の話だ。

現実の日常生活において、”主人公”気取りで、”主人公でもない奴に”喜怒哀楽を垂れ流しにされたら、親しみを覚えるのか?ということだ。

よく「赤ん坊は屈託なく喜怒哀楽を表現するから可愛らしい」と言われるが、”赤ん坊”が付いているように、大人がそうであって欲しいというものではない。

そもそも喜怒哀楽がわかりやすいということは...

 


異常なほどに涙を流して喜んだかと思えば....

髪の毛逆立つほどに怒り出し、

かと思っていたらば「もう自分じゃどうにも出来ないから助けてくれー」と泣き叫びだし....

最後にゃそれら全てが無かったことのように....「人生やっぱり楽しく生きなきゃね」と平気で出来る人のことを言うんじゃないの?

 


テレビドラマの中じゃ誰にも迷惑かからない設定なのかもしれないけど....

現実の世界じゃあ真面目に対処しようとしている周囲の方が主人公である場合もあったりして、大迷惑だろ、そりゃ。

”赤ん坊”がそれを許されるのは、周囲への配慮が出来なくて当然、だからであって、”大人”が同じように許されるはずはない。

 


.....残念なことに、こんな当たり前のことに気が付いたのも、けっこう最近。

案外友達多いので、皆さん我慢してくださってきたのかもしれないが、思い当たるフシは少なくない。

身勝手な喜怒哀楽で、平平凡凡としたことも賑やかに盛ることが出来たこともあるかもしれないが、舞い上がっている最中に辟易していた人には気付かなかったように思う。

 


精神的に幼稚な自分の父親は、絵に描いたような青春ドラマの主人公気取りだ。

似合っていれば、まだ周囲も我慢できるのかもしれない。

が、自分だけが勝手にそう思い込んでいるので、周囲は耐えられない。

いつも”主人公のつもり”で居られるからだ。

 


気が付きゃけっこう孤独になっている。

孤独になっているのに、「周囲が悪い」とイライラしている。

顔も知らないような電話のムコウのお役人を叱り飛ばしたりしている。

テレビ局になんて入ったこともないくせに、ワイドショーの司会を「コイツは勉強不足だ」とコキおろしている。

そして....自分はそのDNAをしっかり受け継いでいる。

 


別にクールを気取ろうというわけじゃない。

が、周囲への配慮もない喜怒哀楽は迷惑なんだよ、ということだ。

アンタだけが生きているわけじゃないし、アンタだけを中心に世の中回っているわけじゃない。

金メダルに沸く同じ日本の中で、同じ時に、人生最大の悲しみに出会っている人が”主人公”の場合もあるってことぐらいは想像するのが大人だろ、と。

 


平昌オリンピックの直前はどうだった?

やたら北朝鮮の心配だったはず。

それは何の進展もしていない。

どころか習さん、プーチンさんがさらに強権を発動しようとしている中で、トランプさんまで負けてはおれないと強硬発言の連続だ。

そして....葬り去ったはずの森友問題に加え、裁量労働制、期待のリニアに泥を塗る談合問題....

どうして円高なの?どうして株価が急落なの?

って....よく考えれば、ちゃんとそういう事態になっている....

 


だからマジで良い予感がしない。

 


世界の動きどころか、日本の動きだって私にゃどうにも出来ない。

黒田さんの再任は反対だが、誰もこんな私の意見なんか聞くはずもない。

ノリが悪い部類になるんだろう。

あれだけの活躍を見せてくれたオリンピックだ。

その余韻に素直に浸っていれば良いだろうの期間かもしれない。

 


が、舞い上がるような喜びから、泣き叫ぶような悲しみへの落胆は、小説じゃあ面白いのかもしれないが、現実世界の大人としちゃあ、あまりにも無責任じゃないのか?...

 


何が出来るというわけでもないが...どんな事態になろうとも、冷静さを失うほどに大慌てはしたくない。

ので、出来る限りの準備は始めようかと思う。

 


これほどに火を消すような生き方じゃあ青春ドラマの主人公には到底なれないのだろうけど....そんな主人公にはならない方が良いとも思っている。

続いてsetaさんへ

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褒めすぎです。

まずもって”言葉の宝庫”ではありませんし、人様の”気持ちの代弁者”の素質のかけらもありません(笑)

むしろ”素直な記事”はsetaさんの方で、遥か昔にそのようなコメントを書かせてもらったことがあります。

もう忘れていらっしゃるかもしれませんが(笑)

 


何度も話して(書いて)きていますが、ブログの記事をぶつけている方向は残念ですが、全私、です。

おそらくよほどかの気まぐれでもない限り、他の方向見て書くことは無いと思います。

なので....

そんな記事が他人様に影響してしまうとしたらば....

なんだかとても申し訳なく思います。

戒めたいのは”自分だけ”です。

 


別に”S”でもないと思っています。

ただ...ずっと...自惚れていたのでしょうね。

けっこうやる奴だなんて、自負していたんでしょうね。

が、今は自分にバレてしまったんですよ。

小汚らしい生き方をしてきたことが。

そんなはずはない、といろいろ振り返ってみたんですけどね。

余計にあっちからも、こっちからも、そんな形跡が出てきてしまって....

”それ”を一番知っているのは自分だから。

 


そういうことです。

 


このままで一生を終えたくなくなってきたということ。

 


そんな人間で一生を終えたくなくなってきたということ。

 


たったそれだけ。

です。

 


どうしたら良いのかわからないので、ブログに文字で起こして演算しているようなもんです。

 


もう普通には変われない年齢だとか言われるぐらいの年です。

でも、もうちょっとだけ、

あともう少しぐらいは、

ひょっとしたら奇跡的に、

なんとか変われるんじゃないか?

の作戦をこのブログでたてているようなもんです。

 


正直、人様を感動させたいとか、感心させたいとかの興味はありません。

自分にとってはおこがまし過ぎてどうでもいいことになっています。

そんな暇があるんなら、自分の能力少しでも上げたいです。

もうなかなか上がらないんですが(笑)

まずはururundoさんへ

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まず大前提として...頻繁にではありませんが、「読者になった」皆様のブログは拝見しています。

それ以外はほとんど見ることがありません。

理由は...まあ時間がないからです。

 


以前は訪問させていただいた時はスターを付けるようにしていました。

共感したときには多く付けるようにもしていました。

 


が、それは人の捉え方にもよるとは思いますが、自分では、なんだか人様のブログを評価しているようにも思えたので...

ものすごく感心しても”一つ”にしています。

自分には...やっぱりたくさん付けていただくと嬉しいものですから、申し訳なく思う時もありますが、自分はこの方針で行こうと思っています。

 


また、記事を読んでもスターを付けないことも多いです。

基本的には付けてくださった方のを読んだときに付けていくのですが、自分が更新しないときなどに読んだ場合はつけません。

それは....時間がないからです。

スターを付けるのか?

記事を読ませていただくのか?

どちらかしか時間がない場合が多いので

記事を読ませていただく

を選んでいるだけのことです。

私のPCの調子が悪いのか、はてなのシステムが厳重なのか、ページの切り替えに時間がかかるので、手早くあっちこっちに切り替えることが出来ていません。

 


そのような前提で

ururundoさんのブログもけっこう長いこと読ませてもらっています。

一応私は都会?生活なので私とは全然違う人生設計をお持ちなのかな?と思って見させてもらっていますが、こう見えて私「北の国から」のファンだった時代もありまして....

”自然の中での暮らし”には憧れもありました。

もちろん”都会の中”でその実現は無理な話ですし、本当の自然は優しさよりも厳しさの方がうんと大きいと思います。

なので、わかった気になっていてはいけない、とは思うものの、真似事のような再現を試みた結果....

周辺とは違和感のある”半田舎”のような自宅になっている次第です。

 


残念ながら?予想とは違った方向で、仕事がどんどん都会派になってしまっているので、自宅は飲むのと庭周りを整備するだけのために帰るような場所になってしまっていますが、

それでも時折、自給自足の真似事のようなことをしたりしています。

 


ururundoさんは、そんなニセモノの私とは違って、本格的にも自然の中に身を置かれての人生であって、思想・信条へのこだわりに相当に強いものがあるんだろうと感心させらています。

芸術関係のお仕事なのでしょうか?

才能あり、風流な方との交流も多いようで、無粋な生き方をしている私を味気なく思うことも少なくないです。

 


まあ、心配しなくても私の影響なんか一切ないお方なので安心して読んでいられるというのもあります(笑)

心の準備

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仕事の最中とかにブログのネタを思いつくことが多い。

そんな時は即座に書きとめておくようにしている。

今日もそうだった。

 


が、何で仕事中なのかと考えてみたときに....

自分のブログのネタは自分に向けてのものだということを再認識した。

 


誰かに喜んでもらおうとか、

誰かに感心してもらおうとか、

誰かの声を期待して...

「書こう」

...という衝動が起こっていない。

 


「自分に向けて言うべきことを、確認しておいた方がよいだろうことを....”忘れないように”書いておかなければ...」

ってなところがスイッチになっている。

 


しかし、一体何のために?

と、もう少し考えてみたらば....

 


自分のブログは、これから先に起るであろうと予想できる悪い事態への心の準備のようなものかと思った。

他の人はどうかは知らないが、自分は悪い事態には「なって欲しくない」ので、どこかで「悪い事態が来ない」ことを期待している。

相当に”来る確率”が高まっていても.....「ひょっとしたら運よく来ないんじゃないか?」と望んでいる...ということは...

ある意味そんな事態に対処できる方法を考えることから逃げている。ということだ。

 


そもそも”悪い事態”なんてのは、予想して相当に準備していたとしても動揺し、右往左往するもんだ。

なら、せめて「心の準備」というか「覚悟」ぐらいは整えておいたほうが被害が少ないんじゃないかと....

 


いや、仮に良い事態であっても、人間なんて、簡単に自惚れたり、有頂天になったりして、ロクなことにはなってゆかない。

ならば覚悟の出来ていなかった”悪い事態”なんてのに襲来されるなら、そりゃあ相当に取り乱したりしてしまうのではないだろうか....

 


そんな事態でも平然としていたい。

までは言わないが、出来る限りは動揺を抑えたいとして....

「心の準備」ぐらいはしておこうか....

のための「思いついたこと」が多分自分のブログのネタのようだ。

 


と、実は、ここまで書いている間に、今日見つけたそのネタっていうのは忘れてしまったんだが...

 


ま、そんなもんだ(笑)

 


予想出来ていた事態が起こっただけのことなのに....

それが良いことならば恥ずかしいほどに有頂天になり、

それが悪いことならば、みっともないぐらいに取り乱す。

そのふがいなさ、

その心得のなさ、

その幼稚さ、

に懲りてきたんだろう。

 


だから、とりあえずの方法として、「自分への戒め」が見つかったとき

それをネタとして、ブログにそれを書きとめているということなんだろう。

 


そりゃあ他人様が見ても面白いもんじゃないよな(笑)

でも、公共の場所をお借りして申し訳ないんだが...

自分にはこれでも役立っているように思っている。

稼げないんなら使っちゃいけない

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ま、そういうことだ。

”戒め”の期間到来というわけ。

 


全くケチじゃない。

なので、欲しいモノは買う。

さほどの高級趣味ではないので、それでも困らない。

が、節約志向も薄いので、余分なモノまで買ってしまってはいると思う。

 


ずっとそんなんだったから...5年ほど前からかな?

ちょいと大袈裟だが....あたかも終活のような整理整頓も始めたりもしている。

 


そこで感じるのは...

ほとんど使わなかったのに、必要がなくなっているモノの多いこと....

そんな程度の必要性だったのに...「どうして買ってしまった」のかと....

「捨てる」ことは難しくはないが、そんなモノにどうしてお金を使えたのかと...

 


だから...

こういった失態の時は、自戒を含めて買物自粛をすることにしている。

 


そこで感じるのはいつも....

「別に何も買わなくても結構困らない」だ。

むしろ....「買えない」のだから「在るモノから使うしかない」はずで、それなら困るのか?と思いきや「使っていないモノの多さ」に驚いたりして....

 


...ということは、すでに....「余分なモノばかり買い過ぎている」ということだ。

さ、今日から自粛期間に入ります。

コツは...

「欲しいモノを我慢しよう」...ではなく、

「買う前に、在るモノから使っていこう」だ。


さあ2カ月、金溜めるぞ!

 

こりゃまた大きくコケてからに...

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今回は結構マズいだろうな...と思って見て見ぬフリを決め込んでいたんだが...

際限なく無視したまま、というわけにもいかないので、状況を確認したらば...

予想以上にヒドいことになっていた。

人生二度目の大コケだ。

 


笑っていられるサイズの穴じゃあないんだが...

かといって泣いてもどうしょうもない。

既に記録してしまった過去なので。

 


この程度の陥落はこれまで多分8回はあると思う。

当初は...「もう駄目なんだろうな....」とかなりの落胆をしたものだが...

落胆にも慣れたんだろうか?

というか...落胆していても、喜んでいても、こんな自分の感情なんか無視して世の中は動いて行くということがわかってきたので、自分のことなんか考えてもしょうがない、ぐらいにはなっているんだろう。

 


ちょうど今、オリンピック。

それが証拠のように、こうして同じ日本人がかなりヒドい打撃を受けているというのに....

こんな俺には目もくれず...やれパシュートだ、やれそだねー、と騒いでいる。

仮想通貨に目もくれず、真面目に税金納めているのだから、もう少し救済があってもよかろうものなのに...

むしろ世間の動向は...「まるきりの無視」だ。

 


そういうこと。

これまでの8回とて全て「無視」。

誰も助けてくれないどころか同情してももらえない。

そんな世の中が良いのか悪いのか考えたってどうしようもないと思うほどなんだが....

これが現実なんだとは確信している。

能書きや愛だの恋だの思いやりだの屁理屈だのじゃなく「結果で評価される世の中」だと確信している。

 


にしても厳しいよな~

唯一残されている防衛手段は....

節約・禁欲生活ぐらいなもんだろうか...

当面2カ月かな?

自粛期間は...

 

通常営業に戻って

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正直ここ二週間ほど調子が悪い。

カラダの調子じゃなく、目標への進行度が。

「達成したと思いきや...」後に手の中からスルリと抜け落ちる...なんてことは世の中ザラにある。

まさにそんなカンジ。

抜け落ちているサマを確認してしまうのが嫌なので無視して生活している。

 


さてさてそんな自分の「五ヶ年計画」なんだが...そうは言うものの、徳俵に引っかかって生活しているような状況なので、

五年どころか突然に「今日で終わり」になってもおかしくはない状態で進行しているもの。

今回の五カ年計画だけじゃなく、ずっとそう。

もともと「後が無い」と始めた五カ年計画ゆえに、それが宿命のようなもんだ。

ある意味....「一日計画」が5年続けられたことに安堵するのが目標のようになっている。

 


丁度今、冬のオリンピックが開催されているが...

競技で言うなら「最高点到達」を目指すばかりではなく、皆と同じ距離を走りきることがまずは参加資格であるような競技に近い。

その上で速かったり、高かったり、遠かったらば、尚良しといったところ。

なので、まずは「期間の満了」が目標だ。

 


今回の五カ年計画はすでに半分過ぎている。

残りは2年半ということになる。

もう少し具体的に言うなら残り120日程度で残り2年となり、そこまで到達できれば...少し気楽にもなれそうなんだが...

実は....その時点でのキリはあまりよろしくない。

 


これは計画を立てた時からわかっていたことなんだが...少しでも早くにゴールしたくて、早めにスタートさせて”そこから五年”としたがために、現実的には実に中途半端な時点でのゴールになっている。

むしろ、五カ年半計画になったとしても...そこから”半年伸ばした時点”をゴールとすべきだったのだ。

が、その半年が非常に難度が高いと想定していた。

つまり....五年は到達できても、五年六カ月は到達できないんじゃないかという公算だ。

だから早めにピリオドを打ち、「合格」としたかったんだが....

それもチョトずるいかな?と。

 


が、今回ちょっとした中間報告があり、五年六カ月後にも少しの望みが出てきた。

つまり、残りを二年半とするのではなく、三年とし、そこをゴールとする案だ。

五年六カ月計画と言うと分かりづらいが、「残り三年」はわかりやすい。

年一のものなら、残り3回。

年二のものなら、残り6回。

月一のものなら、残り36回。

週一のものなら、残り156回。

日一のものでも1095回。

と、努力の機会も案外残り少ないものだ。

年に一度の機会しかないものなら...もう3回しかチャンスも無いということだ。

半年増えた地点が「もうさほどに遠い地点でもない」ことを表してもいる。

 


この努力で到達できるところが目標となる。

うん。

実はもうすでに2ヶ月過ぎようとしているので...

残り二年十カ月だ。

とりあえず、これで行こう。