「瞬発的に一生懸命になっている状態」を”努力”と勘違いしてきた自分にとって....
おそらく初めての”継続の努力”(って”瞬間”じゃあ努力とは言わないと思う)がトレーニングだろう。
今から20年前にダイエットの為に始めた。
”続く”どころか「続けたい」なんて思っていなかった。
「痩せたら...」サッサとやめるつもりでいた。
食事制限も、運動も辛くて辛くて仕方なかったからだ。
が、今は日課のようになっている。
残念ながら”食事制限はもう緩いので、辛さもないんだが....
が、”効果”を感じるから続けているし、”波及”という影響が馬鹿にならないと思っている。
”色々なこと”がトレーニングをするようになってからのことだ。
それから....
仕事への努力が加わり....(順番がおかしいが、実際意識の上ではそうなので....)
毎日メモを整理するようになり....
庭の手入れが加わり....
今、プチ断捨離意識を加えようとしている(ややこしいのは、断捨離と宣言するレベルにないため)
「下り坂の意識」は”存在している場所”の見極めなので”努力”との直接の関係はないんだが....
「いつか昇る力も衰えてしまうのだから....一歩でも多く、速く、今よりも高みに昇らねば....」
としていたところから....
「急げば落っこちる」への意識の転換が、また今までになかった視野を与えてくれているようだ。
断捨離が出てきたのもそう。
もう「いくつ捨てた」という記録は載せてはいないし、まとめて捨てる作業に従事はしていないが....
案外カンタンに捨てるようにしている。
1日10個でなくとも、1日1個を10日で10個ってなカンジだ。
そう。
今日10個捨ててしまいたい派だったのだ。
いや、今もそう。
仕事を休んででも”今日中に”10個捨ててしまいたいのだ。
10日で10個捨てても、別に構わないことなのに。
「そういった我武者羅さがあって突破してこれたことも多い」
....そんなお世辞をいただいたことは少なくない。
それに自惚れてもいたんだろう。
が、自分は知っている。
焦るほどに急いでいる自分を。
イラつくほどに急いでいる自分を。
人のせいにしてしまうほどにムカついて急いでいる自分を。
そんな冷静さを失った”急ぎ”で、的確な、良質な、結果が出せると思っていたならば.....
それは大きな誤りだし、大きな自惚れだ。
「それはもう”せっかちな方なんで”」と自分を甘やかしている場合じゃないだろう。
治すべきだ。
自分の”急ぐ癖”は長年甘やかしてきた結果....
「治すべき程度」にまで達している。
断捨離に加えて継続的な努力目標にすべきだろう。
治るまで。